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2004年

カウントダウン 宇都宮BIGAPPLE

いよいよ今年最後のライブになりました。例年だったら、「今年も残すところ大晦日のカウントダウンだけだ!」って言うのが普通だが、今年は30日に「全市町村キャンペーン」のファイナルがあったので、連続していて大晦日という実感がなかった。思えば10月31日から突っ走ってきたような今年の後半でした。途中で韓国もあり、大宮ソニックシティーでのコンサートもあり、テレビ出演あり、ラジオ出演あり、新聞取材あり、であっというまに大晦日になってしまいました。朝起きてびっくり!大雪が降っていたのです。でも大丈夫! なぜって、こんな日の為に車のタイヤをスタットレスにしておいたのです。逆に東北自動車道でそんなスタットレスの成果を実感できるという方が強かった。いつもより2時間早く出発した。7時の埼玉県吹上近辺は大渋滞。チェーンがないと走れないくらい そうだなー 20センチくらいはつもっていた。今日のカウントダウンは一人でやるので、僕一人で向かった。東北道羽生インターまで行ってびっくり!川口から郡山(福島県)まで全面通行止めだったのだ。「早く出てよかった」そうつぶやいて、国道4号線に向かった。「うわー!」予想はしていたが、ほとんど動かない大渋滞だった。バイパスならすいてるだろうと思って、途中道を反れて、4号バイパスに出た。すると思った通り順調に流れていた。車では紅白歌合戦が流れていた。「いつかこれにでれる日がくるのかな?」なんて素朴に思っていた。ギター侍が出た時は、一番おもしろかった。「せっしゃ!この1分足らずの出演の為に、10時間も待ってます! 切腹!!」の時は大爆笑だった。11時過ぎにBIGAPPLEに到着した。12時ちょっと前から僕のステージがはじまった。昨年の時はカウントダウンを正確な時間を伝えたくて、携帯で時報を聞いていた。・・・でもその時間電話が込み合って、繋がらなかった。結果、12時0分30秒をお知らせします、という事態になってしまって、カウントダウンが出来なかった。そこで今回は色々考えて、携帯は信用できないので、ノートパソコンを使って、正確な時間を出した。僕のステージがはじまった時は11時57分くらいだった。これで普通に1曲やったら年を越してしまう。そう思って、短めの曲「curari」を2番まで歌った。そして「いよいよ今年も残す所1分をきりました」と間に合った。そして、10秒前からカウントダウン、4,3,2,1!AHappynewyear!!こうして2005年がはじまった。会場も盛り上がった。新年初の1曲目は「YUMEしかなかった」でスタートした。2004年の波瀾万丈も夢があったからやってこれた、そして今年も夢に向かってがんばろうという気持ちを込めて歌った。途中でオーナーの小野さんをドラムに招いて、ベースに娘さんの舞ちゃんを招いてセッションになった。そして「出会えてよかった」「Goodちょっとパラダイス」をやった。そして、小野さんが「水垣さんもいるよ!」と言った。僕の前に出演していた女性ピアノ弾き語りシンガーだった。そして、今度は彼女をステージに招いて、ピアノと歌でアドリブをやった。するといつのまにか、宇都宮のお正月という曲になって、ボサノバのリズムに乗せて「~正月と言えば・・・」みたいな歌になってしまった。そして、お客さん一人一人に聞いて言った。ピアノのタイミングも絶妙ですごく楽しかった。途中から「では~冬といえば~なべですねー 鍋の具と言えば~・・・」みたいな歌になった。これもお客さんに聞いて会場全部が音楽になった。最後に「さよならも言えなくて」で終わった。すぐにアンコールになってみんなで踊って「元気」をやった。こうして2004年最後のステージ、そして2005年最初のステージが終わった。帰りはもう完全に道が凍っていて、途中ハンドルをとられてスピンしてしまったが、幸い近くに車もなくて助かった。たとえスタットレスタイヤでも凍った道はみなさん気をつけましょう。吹上に着いた頃はもう初日の出を向かえていた。雪で真っ白になった銀世界に今年初の日の出が輝いた。その足で太田の呑龍様に初詣に行った。寝不足の目に真っ青な青空と出店のにぎやかさがやっと「お正月」という事を実感させてくれた。2004年は本当に色々ありました。2月にデビューが決定して、レコーディング。3月にデビューに向かっての準備4月に「さよならも言えなくて」でデビューアコースティックコンサートをさいたま市民会館で行い5月にデビュー曲キャンペーン6月にソニックシティーでホーンセクションを入れたコンサート7月に小野が入院の為ソロ活動開始声がキキタイをリリース8月はさだまさしさんのコンサートに飛び入りしたくて長崎へ飛んだ。Foreverをリリース9月にメンバー笹沢チャーリー昌之が脱退ストローとしての活動の行き先が不安になる10月さいたま市民会館でアコースティックコンサート「さよならも言えなくて」をより多くの人に聞いてもらおうと西武線全線ライブキャンペーンを発案西武の会長の問題により、企画を改正「ふるさと埼玉全市町村90カ所ライブキャンペーン」を発案。FM79.5に生出演「さよならも言えなくて」を熱唱するもののあまりの緊張で歌詞を間違えてしまう。31日の吹上公民館からキャンペーンスタート11月鴻巣フラワーラジオに頻繁に出演キャンペーンは続くさくまの誕生日に産経新聞にキャンペーンの記事が大きく掲載初の韓国遠征に大成功、韓国語のさよならも言えなくてもFM79.5で流れる12月 NHKテレビに出演キャンペーンが取り上げられる夕刊フジに記事が掲載文化放送で生歌を披露「さよならも言えなくて」の生歌が10万人以上の人の耳に届いた瞬間だった。大林宣彦監督作品「理由」全国公開スタート、ワンシーンに出演大宮ソニックシティーでコンサート 30日大宮駅で盛大に行われてキャンペーンを無事達成。あまりの集客に警察沙汰になった。31日カウントダウンライブ 2004年の幕をとじた。本当に色々あった年でした。辛い事がすごく多かった年ですが、逆にお客様の声援に耳を傾ける事ができ、そして支えられていた1年でした。2005年はどんな動きになるかちょっと不安もありますが、精一杯がんばっていきます。ただ一つ言えるのは、僕が作った歌で、誰かの心がちょっとでも安らいだり、優しくなれたら、いいなと思います。そんな歌を残せるように今年もがんばります。みなさんも素敵な2005年であるように!!写真:2005年幕開けの瞬間...

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全市町村キャンペーン ファイナル! さいたま市大宮駅

いよいよキャンペーンのファイナル さいたま市大宮駅!10月31日吹上公民館から始まったこのキャンペーンも思えばあっという間にファイナルを迎えました。最後に大宮を選んだのも、この場所は昔からやりなれていたのと、ストリートライブを初めてやった場所という事もあった。ずっと生歌生ギターでやってきたが、最後は音響と照明を使って盛大にやろうと思って早くから準備をした。夕方4時にスタジオに集合して積み込みをした。総勢4人で大宮駅へ向かった。行く途中も昨日の文化放送の話しや、今までキャンペーンの話しで盛り上がった。いざ、大宮に着いて気が付いた。「あれ?発電器のガソリン買うの忘れた・・・!」車はすでに機材をおろすのにいい場所に置いてしまった。今更移動して置き場所がなくなってしまうのも困るので音響の黒澤さんが歩いてガソリンタンクを持ってスタンドへ買いに行った。ところが何分たっても帰ってこない、約20分くらいして帰ってきた。「いやー 遠かったー、いつも車乗ってるガソリン入れにいくから、その癖で一方通行とか守っちゃって、わざわざ遠回りしちゃったよー、帰りは歩きだって事に気が付いて、駐車場とか突っ切ってきたら、すごく近かったよー」なんて言って大爆笑だった。6時になって機材をおろし始めた。さすがに2階のデッキに運ぶのは苦労した。そしてすぐに準備をしてしまうと、警察が来てとめられてしまうので、なるべくゆっくりこっそり準備をした。7時半を過ぎると沢山の人が集まってきてくれた。みんな「おつかれさま!」と声をかけてくれて嬉しかった。7時40分 黒澤さんの合図で発電器のエンジンをスタート、すぐにリハーサルをした。明かりがつくとたちまち人だかりになった。そのまま本番へ流れ込んだ。「ここにいるから」はこのキャンペーンでほとんどの場所で歌った歌。1曲1曲終わるごとにこのキャンペーンも終わりかー なんて考えていた。「出会えてよかった」この歌もぴったりの歌だ。色々な人と出会えた2ヶ月間だった。「今日は発電器を使ってしまって、すいません」と一言あやまった。今まで大宮でやっていた時は「生音!」を意識していたので、発電器を使っているミュージシャンがいると大夫苦労した。「今日だけなので許してください」と言って、「聖夜」を歌った。「ChangeMyHeart」もほとんどの街で歌った歌だ。次々に最後のライブが終わりへ向かって進んでいった。「なごり雪」を歌いながら思った。このキャンペーンは雨や雪になってしまったらすべて予定がくるってしまう、でもなんと1度も雨や雪がなかったので、降った時はあったが演奏時間になるとやんでしまう。まるで神様までも味方してくれたキャンペーンだったと思う。「Goodちょっとパラダイス」を歌う頃はもうだいぶ暖かくなっていた。見てくれている人には申し訳ないと思っていたのだが、実は照明がすごく近くでついているせいで、僕の位置はだいぶ暖かかったのだ。みんな寒いのに本当に悪いなー と思いながら精一杯歌った。警察にとめられる事もなく最後まできた。最後に「さよならも言えなくて」を熱唱した。90カ所すべての場所ですべて歌った歌、「さよならも言えなくて」。思えば今年1年はこの歌で僕は存在できたような気もする。歌うたびに数年前の実話が胸によみがえる、だからこそこの歌はいつでも、どの街で歌っても生きているのだと思う。歌いながら今までの想い出も一緒によみがえった。本当にこのキャンペーンは終わるのだろうか?真っ白な地図を見て不安になった深谷駅。真っ暗な騎西玉敷神社でみんなペンライトをふってこれた事。ラジオを聴いてきてくれた人がいた上福岡駅、桶川駅、本庄駅、寄居駅、毛呂駅、妻沼道の駅。新潟のチャリティー募金をしていた白岡中学校の生徒さんとの出会い。そして、番外編で行った、韓国の大学路の言葉は通じないが人の温かさ。子供たちにさんざん邪魔された都幾川村の明覚駅。誰もいない夜の公園にただ歌だけが響いた八潮市大原公園。「なんだ、来るならポスターとかで宣伝しておいたのにー」って言ってくれた久喜菖蒲公園。ミュージシャン仲間も来てくれた幸手駅。こんなに沢山人がいるのに誰も見てくれない、そんな無念さを感じた川口駅。NHKテレビの取材が入った、森林公園、嵐山駅、所沢駅。沢山の人が集まった羽生駅。「こんな暗い所でかわいそうに」と言って歌を聞いてくれた川本町鹿島古墳群のたこ焼き屋のおじさん。クリスマスイブに大自然の山で歌った三峯山。本当は外でやるはずが中の大広間で歌わせてくれた両神村道の駅。誰もいないと思っていたら、大勢の人が集まって僕もびっくりしてしまった大里町大芦橋。見ているお客さんにお茶を出してくれた川島ドライブインの女将さん。近所の中学生を電話で呼んでくれた吉田町龍勢会館。無人駅なのに各地から沢山の人が集まった美里町松久駅。2軒の峠の茶やさん、みんな集まって聞いてくれた東秩父定峰峠。車のヘッドライトで歌った、名栗村正丸峠。そして、その集大成の大宮駅。いくつもの想い出がよみがえった。歌い終えて、最後1つだけ白くなったさいたま市を赤く塗りつぶすと、あちらこちらでクラッカーが鳴り響いた。すぐにアンコールになった。「なにをやりましょう?」と聞くと、だれかが「ヨン様!」と言った。そして冬のソナタのテーマを歌った。そして最後の最後は「Forever」で幕を閉じた。最後のフレーズを歌っていると、ついに警察がやってきてしまった。でも、歌い終わるまで待っていてくれた。歌い終えると沢山の花束、プレゼントをいただいた。そして僕は警察に連れていかれて、端のほうで、職務質問をうけた。これもはじめからこうなるとわかっていたので、驚かなかった。警察の一人が「ずいぶんギャラリーが集まってるじゃんか」と言ってくれたので僕も笑顔で「はい!」と答えた。そして「なんて芸名でやってるの?」と聞いてきたので「ひらがなでさくまひできです、ラジオとかテレビもちょっとだけ出たんですよ」と言うと「すごいねー」と言ってくれた。「まーこんなに集まってしまうと迷惑だからすぐに片づけてね」と言って去って行った。注意を受けているにも関わらず、ちょっと嬉しかった。もちろん人の迷惑にならないように今までやってきたので、しっかり点じブロックも空けていたので、それほど厳しくなかった。明かりが消えると、祭りの後の寂しさだった。「終わったんだ」と実感した。そして同時に「これからどうしよう」という気持ちがわいてきた。2004年は本当に色々あった。デビューしてそしてメンバーが入院、脱退。ソロ活動をした夏。さださんの長崎のイベントに行った8月、初の海外進出した韓国。そしてキャンペーン。限りなく平行に近い右肩上がりを貫いてくた結果がようやく出てきた1年だった。これも本当にお客さんに支えられているからこそです。そのエネルギーをバネに2005年もがんばっていきます!!改めまして「ふるさと埼玉 全市町村90カ所ライブキャンペーン」みなさんのおかげで達成する事ができました。本当に2ヶ月間ありがとうございました。そして、これからもどうぞ宜しくお願いします。では、素敵な年末をお過ごしください。よい お年を!  ...

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文化放送「辻よしなりのラジオグラフティー」生出演

当初は昨日のキャンペーンの予定が今日29日だったが、文化放送の出演以来があったので、変更していた。朝起きて、また神様に助けられたと思った。あたり一面雪景色だった。もしも今日キャンペーンの予定があったら、間違いなく出来ない場所があっただろう。ギターを持って車で四谷に向かった。真っ白な雪がボンネットに当たる姿は、「年末だ!」と余計に思わせる。3時40分入りだったが、思ったよりも早く着いてしまったので、ドトールコーヒーでベーグルを食べた。車の中はずっと文化放送が流れていた。吉田照美さんの声があたり前のように聞こえている、ただ、違うのは、この番組のあとにこのスピーカーから僕が登場するという事だ。文化放送にいくと、警備の人がすぐにわかってくれて「さくまさんですか?どうぞこちらへ」と案内してくれた。2階のスタジオに行くとたくさんのスタッフと、そしてガラスの向こうに、さっきまで車で聞いていた吉田照美さんとオマタマサコさんがいた。「本物だー!」と実感してしまった。担当の方とフォーライフの方と数人で番組の打ち合わせをして、歌うのは「さよならも言えなくて」一曲で、その曲の経緯を根ほり葉ほり聞きますので、という事だった。ここで僕の秘密暴露ですが、番組で話してしまったので、書きますが、「さよならも言えなくて」は実話でとある人と結婚生活をしていて、その終わりの時に作った実話です。しかもなんの運命か、その彼女は文化放送で毎週レギュラー番組を持っていたんです。黒ブタオールスターズというグループで、その3期生にいたんです。ちなみに2期生はELTの持田かおりさん 4期生はかはらともみさんもいた。しかも、今日の番組「辻よしなりのラジオグラフティー」のパーソナリティーが藤木さんと言う女性で、その人が黒ブタの番組の司会だったのだ。すごい組み合わせで、「この話しで盛り上がるんだろうな」なんて思いつつ時間を待った。すると「お久ぶりです!」と一人の男性がやってきた。よく見ると、今年の夏、さだまさしさんの長崎のイベントの打ち上げで一緒に飲んで話しをした、文化放送の人だった。「いらしたんですか?」と聞くと、なんと吉田照美さんの番組担当だった。「さくまさんのも聞いていきますよ」と言ってずっと聞いてくれた。4時半になっていよいよスタジオの中へ入った。辻さんと藤木さん、そしてその他にも数人いた。スタジオのガラスの向こうにも5人くらいいる。すごい人数でそれだけで緊張してしまった。「今日のゲストは埼玉県の全市町村をすべてまわっている、さくまひできさんです!」と紹介され、いよいよ生出演がはじまった。初めは僕のプロフィールで、そのあと、この曲の事についての話しになった。そして、彼女は実は文化放送でレギュラーをやっていたという話しと、その頃は中学生で、「犯罪じゃないですか!?」という感じで盛り上がった。僕的にはすっごく恥ずかしかった。でも、事実だという事で、その雰囲気でしっかり歌を歌えればいいのだ。そう思っていた。いよいよ生で歌う時がきた。「それでは、さくまひできさんで、さよならも言えなくて」周りにたくさんの人がいて、本当に緊張したが、このマイクの向こうに数万人の人がいる。そう思ったら、ますます緊張した(笑)。ここにくる途中何度も発声練習していたので、本気で歌えた。ガラスの外に見える雪景色が今日のさよならも言えなくてにはぴったりだった。そのあとはキャンペーンの話しになるのだが、結婚生活話しで盛り上がってしまって、少ししか時間がなくなってしまった。いよいよ明日30日、大宮駅でファイナルです!という話しをして、「今日のゲストはさくまひできさんでしたー!」「ありがとうございました」無事に初の文化放送生出演が終わった。みんな「おつかれさまでした」と言ってくれた。フォーライフの方の「CDを持って宣伝している私が言うのもなんですが、やっぱり生歌はいいですねー」と言ってくれた。番組担当の人が「おつかれさまー もっと話したい事あったのにねー、映画のこととかもねー・・ これを期にまたいらしてくださいね」と言ってくれた。帰り際は辻さんも、藤木さんもみんなで見送ってくれた。文化放送を出て、「どんな放送だったのかな?無我夢中でよく覚えてないや? ちゃんと歌えたかな?」いくつもの不安があった。そんな時に富澤一誠さんから電話が来た「聞いていたよ、いい放送だったよ、歌もばっちりだったよ」そう言ってくれたので、安心した。雪はやんだが、まだ小雨の降る四谷を歩きながら、ふと思った。来る時と帰る時、僕自身は変わっていないが、確かに変わったのは、この関東地方の数十万の人が、僕の「さよならも言えなく」を生歌で聞いてくれたという事だ。さていよいよ明日はキャンペーン最後のさいたま市、大宮駅西口です。今まで積み上げた力を発揮できるように精一杯がんばります。...

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小川駅~東秩父定峰峠~横瀬駅~名栗正丸峠~飯能駅

10月31日からはじまったこのキャンペーンもいよいよ2日。今日が終われば最後の大宮駅1つだけ、色々とまわる最終日だった。1カ所目は11時からは小川駅。今日も天気が良くて日差しは暖かだった。駅は年末という事もあって、結構人は沢山いた。「なごり雪」から歌いはじめると、学生さんや買い物の主婦の方が見てくれた。2カ所目は東秩父村の定峰峠。ひたすら峠を登っていくと、山頂付近に2件の茶屋があった。そして、朝からなにも食べていなかったので、そばを食べようと思って茶屋に入った。山菜そばを注文して食べていると、おばさんが横に座って「どこから来たの?」なんて気さくに話してくれた。実はキャンペーンやっているんですよ、は話をすると、その方も音楽が好きらしく、色々と話しをした。さだまさしさんも好きなようで、僕も夏にお会いしたんです、と話すとびっくりしていた。「1時からそこの駐車場で歌っていいですか?」というと「是非やってください」と言って、どこかに電話をしはじめた。よくよく会話を聞いていると、なんと知り合いを呼んでくれていたのだ。歌いだすと、遠くから来てくれたファンの方も集まってくれて、たまたまドライブに来ていたカップルとかも聞いてくれた。しかも、さっきの茶屋のおばさんも、そして隣の茶屋のおばさんもみんな集まった。言ってみれば、定峰峠の茶屋付近にいる人が大集合してしまったようだった。歌い終わると、2人ずれの奥さんがきて、CDを買ってくれた。「テレビで見たことあるような気がする」と言ったので「NHKに出ましたよ」と言うと「そうそうやっぱりねー、今日たまたま来てよかった」と言ってくれた誰もいないと思っていた、定峰峠だったが、なんとすごく盛り上がる会場になってしまった。3カ所目は横瀬駅。西武線の駅で、このキャンペーンを考案するまえに、「西武鉄道全線キャンペーン」をやる予定だった。その企画の時だとしても、この場所はやったんだなー なんて考えていた。武甲山に向かって歌うと、心が雄大になった。今半は「Goodちょっとパラダイス」を足で踊った。4カ所目は名栗村。名栗村は中学校の時に林間学校で来た事が会った場所。少年自然の家というのがあって、そこで飯ごう炊飯をやった。懐かしい記憶だ。当初の予定は正丸駅だったが、到着してからその場所は飯能市だった事を知った。これでは全市町村の地を踏んだ事にはならないので、正丸峠に場所を移動した。時間に駅に来てしまう人がいるといけないので時間まで待ってから出発した。正丸峠を登って、山頂になった時、カーナビの住所が名栗村になった。「ここだ!」そして車を降りて、山頂で歌った。明かりもなにもない真っ暗な場所だったので、車のヘッドライトを照らして歌った。ヘッドライトがこんなに眩しいものだと初めて知った。話しはまた変わるが、昔16の頃、バイクに乗っていた。そしてよく友達と2人ノリで正丸峠に来た事があった。グレていたわけではないが、ただ遠くに出かけるのが好きだったので単純にバイクは好きだったのだ。いつも冬場に来るので毎回寒かった記憶がある。正丸峠で熱唱した後は、いよいよ!5カ所目はいよいよ 89カ所目の飯能駅。早く着いたので、デパートPePeでちょっと買い物をした。車で待っていると、今日も一緒にまわってくれた方が花束を持ってきてくれた。なんだか花束をいただくといよいよ最後だなーと実感する。さて、時間がきて準備をした。初めはぺぺの入り口近辺で歌っていたが、途中警備員さんが見に来てしまって、なにやら無線で連絡をしていたので、1曲だけ歌って、すぐに移動した。移動してからもたくさんの人が集まってくれた。年末ともあって、大きなダンボールを運んでいる男性が、いきなり千円札をもって近づいてきて、ギターケースに入れて「がんばってね!」と言ってくれた。最後に「さよならも言えなくて」を歌い終えると、また花束をいただいた。こうしてキャンペーン89カ所目の飯能駅が終わった。明日はいよいよ文化放送の生出演。そしてあさってはキャンペーンのファイナル大宮駅。あっという間の2004年でした。さて、2004年の締めくくりです。がんばってファイナルを向かえます!写真:定峰峠で食べた山菜そば...

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吉田町~皆野町~長瀞町~神泉村~神川町~児玉町~美里町

2004年も押し詰まった27日です。今日はこのキャンペーン最多の7カ所。朝も早かった。8時に吹上を出発して、秩父方面に向かった。1カ所目の吉田町は行った事のない未開の場所だった。140号を反れると皆野町の市街地が現れた。その町並もはじめてみた。ひたすら走っていくと、広い田んぼの風景になった。道の駅龍勢会館に着いたのは9時半頃だった。吉田町は龍が有名なのだ。しばらくすると、大滝村でも一緒に来てくれたご家族がまた今日も1日ついてくるそうで、挨拶をした。龍勢会館に挨拶いく時もついてきてくれて、色々事情を説明してくれた。すると、両神村の道の駅の方から話しは伝わっていて、「人が少ないけど、どうぞお願いします」と言ってくれた。さすがに朝10時で人はほとんどいなかった。20分ほど歌い終えて「ありがとうございました」と龍勢会館の人に挨拶したら「もう帰っちゃうんですか?」と言ってくれたよくよく聞くと、人がいなくて寂しそうなので、地元の中学生を呼んでくれたというのだ。さすがに次の場所が11時からで、時間もないので、CDだけプレゼントして帰ってきた。「また今度歌いにきます」と言うと「是非来てください」と快く笑顔で応えてくれた。「草の乱」という映画のロケ地になったという事で、その建物も見てきた。いま公開中らしいので、今度みてみようと思っています。2カ所目は皆野町の美の山公園。山頂の駐車場に着いた頃はもう11時、3分前。すぐに準備をして歌った。地元の人がたまたま来てくれて、「テレビで見たよ!」と言って最後まで聞いてくれた。しかも「ここまで来てくれたんだから、ご飯でも食べなよ」と言って金一封をくれた。僕が好きで行っているのに、「来てくれて」と言ってくれた一言が嬉しかった。3カ所目は長瀞。長瀞の有名は岩畳があるのだが、その上で歌った。長瀞はなぜながとろって言うか知ってますか?荒川が長い区間でトロトロとゆっくり流れている場所だからです。岩畳も断崖絶壁になっているところもあって、その高い岩の上で歌っているとちょっと怖かった。4カ所目は神泉村の城峯公園。ここもはじめて足を踏み入れる場所だった。走っているといつのまにか群馬県に入っていた。鬼石町というところで、本当に石ばっかりがある街だった。神泉村は群馬との境目なのだ。しかも城峯公園は山をずっと登ったところにあった。冬桜が有名なようで、か弱い枝に、小さな桜が咲いている姿はなんとも美しかった。5カ所目は神川町の丹荘駅。丹荘駅はずっと昔に来た事がある。毎年11月14日の埼玉県民の日になると「埼玉自由切符」というのが発売される。県内のJRならどこでも乗り降り自由の券で、小学校の時は友達3人で毎年、早朝の始発から出発して、1日中旅していた。そして、その切符の一番はじっこ、有効な最後の駅が丹荘で、「そこまでいこう!」と言って来た事があった。神泉村からの移動の途中は山がすっごくきれいに見えた。地平線が広くて、日光男体山から長野の浅間山まで見えた。駅に到着して、歌いはじめた。時刻表を見ると電車が1時間に1本しかこないので、その時間の人を逃したら、立ち止まる人はいない。ちょうど電車がくる頃に「さよならも言えなくて」を歌った。降りて来る人が見ていくが、なかなか立ち止まってはくれなかった。そんな中に一人のおじさんが聞いていてくれた「神川はここの丹荘駅が中心だからいいよ!」なんて言っていた。歌い終えるたびに拍手してくれた。千葉の方からきてくれた人もいて、殺風景だが、心あたたまる丹荘駅だった。6カ所目は児玉町の児玉駅。丹荘駅の次の駅だった。すぐに着いてしまって、近所のヤオコーでゆっくりしていた。年末でお買い物にくる家族連れがなんだかあったかく見えた。時間が来て準備をした。さすがに日も沈んで寒くなってきた。でも歌う僕よりも聞いている人の方が寒いんだ! そう言い聞かせて歌った。何人かが立ち止まって聞いてくれた。7カ所目は美里町の松久駅。ここは行ってびっくり!なんと無人駅だったのだ。電車もやっぱり1時間に1本。準備をして歌いはじめた。あたりはシーンとした駅なのに、次々に人が集まってきた。そうだ、今までやった所で聞いてくれた人が、近くだという事で集まってくれたのだ。美里町なのにもかかわらず、寄居の人、本庄市の人、小鹿野町の人、柏市の人で盛り上がった。こうして再会できると本当に感動ものです。今までやってきて良かった!本当に最近実感しています。ふと赤く塗ってきた地図を見ると、「あと2日で終わりだ」と寂しくなる。今年のラストスパートをかけてがんばります!!そうそう文化放送のゲストもあるし!みなさんも寒くなって来たから風邪には気をつけてくださいね。では、明日もがんばりましょ!...

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大里町~吉見町~川島町~桶川市~北本市 クリスマス

今日は1カ所目が事務所のすぐ近くで、15分前に出発してまにあった。大芦橋の土手にはたくさんの人が集まっていた。本当にたくさんの人だったので、自分でも驚いてしまった。そしてすっごく嬉しかった。遠い人だと、秩父の方から来てくれた人もいた。天気もよく、上着がなくてもちょっと汗ばむくらいだった。2カ所目は吉見の百穴前の土手でやった。川をバックに階段を客席にして歌った。途中、コンサートのビデオを撮影してくれているスタッフが見にきてくれた。すぐ近くの福祉で働いているのだ。こうして、お客さんももちろんだが、スタッフまで、僕の活動を気にしてくれているという事が嬉しかった。ここもたくさんの人が来てくれた。そして、終わって、次の川島ドライブインをみんなわからなくて、みんなで大移動した。実際僕も行った事ないところで地図上で見て予定を入れたので、行ってみて驚いた。大型車がたくさん止まるようなドライブインかと思っていたら、普通の食堂だったのだ。しかも準備中になっていた。でも、予定を告知した以上ここでやる!そう決めて、お店に入った。お店の女将さんが出てきてくれて、新聞記事を見せて話しをした。「うちは宴会の貸し切りばかりで、人通りもないし、・・・・」と困っていた。「ここでやります、と告知してしまったので、是非お願いします」というと、「外で歌うのは全然かまいませんよ、でも寒いし大変ですね」と暖かい言葉をくれた。17時になって歌いはじめると、もうあたりは暗くなってきていた。それでもたくさんの人が集まってくれた。途中に昔話しをした。24歳の頃(8年前)この道を通って、川越の埼玉医大に通っていました、そして入院して手術をしたんです。という話をした。声帯ポリープで入院していた頃があったのだ。そして、その頃に作った歌を歌います、と言って「平凡だったけど」という曲(FM79.5JapaneseDream13位受賞)を歌った。かつてジプシーというバンドをやっていて、そのバンドの後期のメインソングだったので、すごく身にしみた。歌っていると、途中でなんと川島ドライブインの女将さんが、見ている人全員に熱いお茶を出してくれた。これには本当に感激した。終わったあとも、女将さんに挨拶して、「今度、寄らせていただきます」と言って帰ってきた。「がんばってくださいね」と言ったあの笑顔がまた僕のエネルギーになった。そして桶川駅に移動。移動中も考えていた。僕がもっとビックなアーティストになれれば、川島ドライブインもきっと誇りに思ってくれるだろうな。よし!もっともっとがんばらねば!桶川駅ではラジオを聴いて待っていてくれた男子高校生がいた。いつも来てくれる人もたくさんいて、タクシーの運転手さんも遠くから聞いてくれていた。「これから山に行くんですよ」という大きなリュックを背負った女性もCDを買ってくれた。「どこの山に行くのですか?」と聞くと「谷川岳ですよ」というので、「すっごい雪ですよ、気を付けてくださね」と僕は言った。結構を年を召したかたなのに、すごいパワーだな、と思った。きっと、こうして「やるぞ!」と思っている人は何歳になっても輝いているのだろうな、と思った。ラジオを聴いてくれた高校生も最後の最後までいてくれた。今日の最後は北本駅。駅前のツリーがきれいだった。ここにもたくさんの人が集まってくれた。多い人だと、このキャンペーンのうち、3分の2以上来てくれている人もいる。本当にありがたい事です。歌っていると、5人組くらいのおばさまが立ち止まって「ヨン様!」と言って来たので「あにょーはせよー」と応えて、冬のソナタを歌った。「ヨン様より格好いいからがんばってね」と言ってくれた。中学生くらいの集団も聞いていってくれた。今日もそれぞれの場所でそれぞれのドラマが生まれた。いつも塗りつぶしている地図も真っ赤になってきた。帰りにふと思えば、もうあと3日でこのキャンペーンも終わりなんだ。と思った。色々あったので、本当にちょっと寂しい気持ちになってしまう。でもこれをバネに来年もがんばっていけそうです。夜、産経新聞の草野さんから電話が来て、来年の抱負の取材があった。また、産経新聞にのるそうです。来年の動きを話していると、「また来年も厳しそうだ! もっともっと気合いを入れていかなくては!」そう思った。そして、同時に今やっている事が次に繋がる。今日やっている事が明日へ繋がる。今年やった事が来年に繋がる。そう思った瞬間。キャンペーンをやってよかったと実感した。吹上に付いてからは、ラジオの電話出演の話しがきた。今夜もラジオから僕の声が流れる。きっと昔だったら考えられない事も、今は現実になっている。そう考えると、本当に夢は現実に変わり、そしてまた次の夢が生まれるのだと思った。今は大きな夢の前にある、いくつものハードルを乗り越えている。ゴールを見る事も大切だが、一つ一つを大切に生きていきたい。そう思っています。それが結果的に将来の夢に繋がるから。今日はクリスマス、サンタクロースは確かに心の中にやってきたような気がした、そんな夜だった。写真:大里町大芦橋...

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大滝村~荒川村~小鹿野町~両神村~秩父駅 クリスマスイブ

今日はクリスマスイブです。キャンペーン最大の難関、大滝村の三峯山からはじまる全5カ所のキャンペーンでした。朝も早くに出発。ひたすら秩父へ向かった。秩父市を抜けるとどんどん道も狭くなっていく、僕の好きな雰囲気になってくる。途中、桜井さんの家を見た。中学の頃アルフィーが大好きで、そのメンバー桜井さんの実家が荒川村にあるのを知っていて、中学の頃来たことがあった。それ以来ここを通るたびに桜井さんの家を見ながら通り過ぎる。秩父から山梨に抜ける道が出来てから、2回くらい山梨にいった事があるが、さすがにいつ来ても秩父市の先は遠く感じる。「埼玉ってこんなに広いんだなー」と実感してしまう。東京よりの大都市、さいたま市、川口市、のような場所もあれば、大自然の山々の大滝村、等がある。本当に別世界なのに同じ埼玉県なんだと思うと、「広いなー」って感じる。熊谷とか吹上っていう場所はそんなちょうど中間に位置するのかな?なんて事も考えた。秩父湖を過ぎていよいよ山を登りはじめると「本当に来てしまった」なんて自分で組んだスケジュールのくせになんだか変な気分だった。天気もすごく良かったので、山頂から見る山々の景色は絶景だった。だれもいないと思いきや、地元(小鹿野)の家族の方が見てきてくれた。ここで一つやってみたい事があった、それは「やまびこ」だ。「やっほー」と言うと、本当に「やっほー やっほー やっほー」と帰ってくるのかどうかがやってみたかった。山に向かって「やっほー!」と叫ぶと、よくある「やまびこ」は聞く事ができなかったが、ものすごい広さを感じる、「響き」を感じる事が出来た。山全体が僕の声を受けて、響き返しているようなすごさを感じた。クリスマスという事もあって「聖夜」も歌った。そして「さよならも言えなくて」の後半の張り上げるところで、山の方を向いて歌うと、埼玉の大自然の山が響きわたった。こうして無事に、大滝村が終わった。本当に大自然のパノラマは、狭くなった心をまるでブルドーザーでひろーくしてくれるようだった。2カ所目は荒川村の浦山ダム。途中で浦山口のキャンプ場があった。ずっと昔、僕が小学校の低学年の頃に家族と友達の家族で来た事がある場所だ。写真は今でも残っていて、想い出もずっと残っていたのだが、いったいどこだったのか?それがわからなかったが、今日はじめてそれがわかった。「ここか!」と知った。キャンペーンはそんな僕の記憶もよみがえらせてくれる事もある。到着するとお客さんも集まっていた。ダムの中央あたりで歌った。きっとダムの上で歌った人なんて、過去にもこれからもいないだろうなー。しかし、湖側を除きこむのは平気なのだが、反対の放流側はまともに見る事ができない。僕はきっと高所恐怖症なのかもしれない。だからジェットコースターも乗れないのだ。あの高さが嫌なのだ。でもスペースマウンテン(TDL)は何度でも乗れる。きっと真っ暗な中を走るからだろう。きっとこの世で一番怖いものはと聞かれると「自分の明日」と「フジヤマ」と応えるだろう。ダム風を受けながら歌い終えて、次へと向かった。3カ所目は小鹿野町のミューズパークだ。ミューズパークは秩父市と小鹿野町に挟まれている。ちなみに野外音楽堂の近くにある神殿はアルバム「天使がいた場所へ」の歌詞カードの裏に使っている。時間になって歌いはじめると、小鹿野のご家族の方のお友達も集まってくれて、遠くから来てくれる人も集まってくれた。ミューズパークの人も見てくれていた。クリスマスメドレーもやった。4カ所目は両神村の道の駅。キャンペーンの予定を組んだ時は外でやる予定だったが、今日はすべて見にきてくれているご家族のお父さんが力を貸してくれて、なんとこの道の駅の中にある、温泉の大広間で歌えるように配慮してくれたのだ。本当なら寒い中やるのに、暖かい館内は本当に極楽だった。気温の暖かさはもちろんだが、なによに、ここの人の温かさが嬉しかった。和室で準備をして、18時にいよいよはじまった。歌いはじめると、人がどんどん集まってきた。若い人から、家族連れから、最後まで楽しんでくれた。壁にはたくさんのサインが飾ってあった。僕もサインをして来たので、是非みなさん見に行ってくださいね。両神村道の駅 両神温泉薬師の湯です。温泉大好きな僕もさすがに時間がなくて入れなかったので、今度改めてゆっくり行こうと思っています。さて、また小鹿野町を抜けて秩父へ向かった。小鹿野には文化会館があって、そこには何度か舞台の仕事で来た事があったので、「懐かしい」なんて思って通り過ぎた。5カ所目、今日の最後は秩父駅。秩父駅は秩父鉄道と西武鉄道と2カ所駅があるが、西武の方で行った。寒さも増してきたが、駅前の木もイルミネーションが付いてクリスマス雰囲気でなんとなく暖かだった。こうしてクリスマスイブの1日が終わった。今日は長い一日だった。でも色々なところで歌った。山、ダム、公園、温泉、駅 とすべてバラエティーに富んでいた。キャンペーンの中で想い出に残る1日になった。小鹿野の家族で応援してくれている方には本当にお世話になった1日でした。これからも埼玉を大切にして、ますますがんばろうと思った。そして、いつかまた道の駅薬師の湯でやりたいな、なんて思っています。2004年のクリスマスイブは最高のクリスマスでした!メリークリスマス!!写真:大滝村三峯山...

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志木ららぽーと

今年最後のららぽーと。今まではいつも野外の広場でやっていたのですが、今回は館内の2階の吹き抜けでやった。思ったよりも音の響きもよくてリハーサルもすごく気持ちよかった。今回は小野と僕の2人構成。13時に本番がはじまった。一曲目はクリスマスイブイブなので「聖夜」ではじまった。もちろんアカペラって訳にはいかないので、楽器を弾いて歌った。実はこの歌は昔のデモテープの頃からやっていた曲で、その頃はアカペラではなくバンドアレンジになっていた。そして2曲目は「出会えてよかった」「足でまとい」と続いた。階段から見る人もいたり、2階で見てる人もいたり、たくさんの人が見てくれた。最前列のイスはすっごく前の方で、近すぎてちょっと緊張した。途中でクリスマスメドレーもやった。「ラストクリスマス」「クリスマスイブ」「クリスマスキャロルが聞こえるころは」「きよしこの夜」「ジングルベル」と続き、「お正月」を歌った、最後は「ラストクリスマス」でまた閉めるという構成。しかもこれ、数分前に楽屋で構成練習したのだ。「さよならも言えなくて」はさすがにたくさんの人が立ち止まる。2回目のステージは「こな雪はスローモーション」ではじまった。無事にステージを終了して、片づけをして出発。今日は夜はキャンペーンがあったのだ。和光市駅につくと、本当に寒くて「冷たい!」って感じだった。ケンタッキーやロッテリアがクリスマスチキンを路上で売っていて、本当にクリスマス雰囲気だった。とちゅう立ち止まった人が、一度いなくなって、再度やってきた。「これ冷めないうちに食べなよ」と言って肉まんをくれた。その気持ちが本当に嬉しかった。2カ所目は朝霞台駅。着いてみてびっくり、「あれ? 北朝霞駅じゃん?」と思ったらすぐ横が朝霞台駅。違う鉄道会社が別の駅名でこんなに近くにあるなんてびっくりだった。ここもやっぱりクリスマスチキンの販売が外でやっていて、みんなマイクを使っていた。とうてい生声では勝てないと思って一曲歌った後、「ちょっと本気で歌ってみます」と言って、いつもより高いキーで「ChangeMyHeart」を歌った。すっごい大きい声で歌いはじめたら、近くのお店の人ものぞきこんで見ていた、もちろん立ち止まる人もたくさんいた。そこで、なんとなく不思議に感じた事があった、「・・・あれ?チキン販売のマイクの声が聞こえない」そう思ったらみんなマイクをなして生の声で販売していたのだ。僕が歌っているので気を使ってマイクをやめてくれたのだ。ふだん煙ったがられるストリートミュージシャンなのに、こんな風に意識してもらえるという事がすっごく嬉しかった。明日はクリスマスイブついに秩父の一番はじ、「大滝村」からのキャンペーンに入ります。クリスマスもがんばろっと!!...

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江南町大沼公園~花園道の駅~川本鹿島古墳郡~寄居駅

朝から天気が良かった。江南町は四季の湯温泉によく行くので知っていたが、大沼公園は始めてだった。いざ行ってみると公園というより沼があって、その真ん中に小さな島がある、そこに赤い橋がかかっているのだ。その島で歌った。鳥居がたっていて、社もあって、心の中で「キャンペーンやってますさくまです、ちょっとお邪魔します」と神様に言った。ここにも聴きにきてくれる人がいた。地元の人が「ここに主は白蛇なんです」と言っていて、日本昔話を思い出した。2カ所目は花園町の道の駅。実は順番を次ぎの川本と逆にした方がよかった事に今更気付いた。江南と川本は隣、そして花園の先に寄居、という順番なのに、なにを間違えたか川本と花園が反対になってしまっていた。ここでの許可をもらった。そして歌い始めると、一人の営業マンの人が来た。「さくまさんって知ってますよ」と言ってきた。なんと宮原のステラタウンで奥さんと見ていたらしいのだ。こんな所で会えるなんて嬉しいですね、と話した。秩父方面からのファンの人も来てくれて、夕焼けの中歌い続けていると、「テレビで見ました、いつ花園に来るのか待ってたら今日だったのですね」と言ってくれる人が現れた。まさか偶然ここにきて良かったです。そう言ってくれた。川本と花園の順を逆にした事でこんな素敵な出会いがあった。これもなにか見えない力が働いているのかな?3カ所目は川本町の鹿島古墳群。もう夕暮れになってしまって、寒さもしみてきた。場所につくと、「白鳥飛来地」と書いてあって、何台か車もあって、たこ焼き屋も出ていた。県内でも珍しい白鳥が飛来する場所だったのだ。白鳥を見ようと思って、川沿いを歩いていったが、歩いても歩いても出てこない。10分くらい歩いただろうか、やっと川辺に出た。そこに広がる景色に僕は胸を打たれた。夕日が映った川に何羽もの、そう50羽近い白鳥がいたのだ。カモもそれ以上の数がいて、みんな自然の中で中でゆっくりと戯れていた。しかももう人はだれもいなくなっていて、そんな景色を独り占めしてしまった。是非みなさんも行ってみてください。川本町の鹿島古墳群の所に白鳥飛来地入り口があります。10月~3月まで見れるそうですよ。さて、5時になるとさすがに真っ暗だった。歌いはじめようとしても誰もいなかった。でも、やらなければ!と思って準備をすると、たこ焼き屋のおじさんがやってきた「なにをやるんだい?」「今埼玉の全市町村まわってるんです」すると、「テレビで見たなー、そういえば、しかし今からかい? 誰もいなくてかわいそうだなー」そう言ってたこ焼き屋のおじさんは歌を聴いてくれた。そして最後に「なにもないけどさ!」と言ってチョコバナナをくれた。「今度は休日の昼間にくるといいよ」そうおじさんが言ってくれて、古墳群を後にした。寄居駅は突き刺すような寒さだった。そんな寒い中聴いてくれる人がいると本当に嬉しい。「インターネットで調べて来ました」という寄居の方もいた。タクシーの運転手さんも聴いてくれた。いよいよ終盤にさしかかったキャンペーンだが、最近思うのは、このキャンペーン終わらないで欲しい、そんな事を思ってしまう色々な人と出会って、色々な場所で歌えて、今思うのは「やって良かった」という事だ。・・・でもまだまだ続くから、しかもどんどん寒くなってくるので、ますますがんばろう!明日は志木ららぽーとです!がんばっていきましょ!!...

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鴻巣フラワーラジオ生出演

最近は出演が多くなった鴻巣フラワーラジオです。アツコさんのフラワータイムのゲスト。今回はわらいっぱなしのトークでした。一緒に出ていたマサノリさんがいて、前回クリスマススペシャルの時の話しをして「さくまさん酔っぱらって観葉植物に話しかけてましたよ」なんて言われてしまった。大失敗したことが一つ。聴いていた人はびっくりしたでしょうが、視聴者クリスマスプレゼント用の獅子舞の玩具があった。説明しづらいが、胴体を握ると口を開くのだ、それがおもしろくてCD中に獅子舞をマイクに近づけて「バァー」と言って、いかにも獅子が鳴いているようにマネをしていた。もちろんCD中なので音声は出ていない。そして、強く握るとすごく大きく口が開く事に気付いた。「これはおもしろい、アツコさんとマサノリさんを笑わしてやろう」そう思った事が命取りだった。胴体を強く握って、大きな口を開けた獅子をマイクに近づけて「ヴァァァァー!!」と言った・・・瞬間スタジオが凍り付いた。CDは明けていて、今の一声がCDあけの第一声になってしまった。みんな笑いをこらえて「さくまさんなんて声だしてるんですか?」と言って、僕もすっごく笑いたいのにこらえて「イヤぁー獅子舞の玩具もプレゼントなんですねー ガオー」なんて言ってごまかした。本当にみんな爆笑だった。歴史に残るような珍場面を作ってしまった。来年からはもっともっと沢山出演できそうな話しもあります。ずっと「さくまさんをレギュラーで!」と言ってくれたファンの方のおかげです。これからもがんばりますので、是非鴻巣付近まで来てラジオ聴いてくださいね。次の出演は24日クリスマスイブの日 19時~22時の「GOGOインディーズ」です。その後はお正月4日の12時~14時のアツコさんの番組にお邪魔します。しかも1階のサテライトスタジオから公開生放送です。...

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