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2018年3月11日に思う事

3月11日。
毎年この日が来ると「歌」の力を考えさせられます。
2011年3月11日東日本大震災がおこり、前日に渋谷マウントレーニアホールからの帰りに帰宅困難を経験して翌日11日の2時過ぎに帰宅。そして地震。日本でなにが起きたのか情報が混乱してわからない、さらに地震後はずっと停電が続きました。12日は金沢でのステージがあったので、わからないまま、車で交通規制の中、北陸へ移動したものの、翌日早朝に「本日のイベントは中止です」と電話。
その後も3月、4月5月のステージ中止の電話が鳴り続けた。テレビでニュースを見ると心が震えうような映像の数々。「あの場所に行った事ある」という場所も沢山映し出され、そこが別世界のような映像で映し出された。
「なんとかしなくちゃ」そう思う気持ちと「なにが出来る?」という葛藤の12日。歌が歌えないのなら、被災地に行こうとも考えました。でも道は閉ざされて、むやみな行動も出来ない状況。「このまま歌が歌えなくなるのかな」とも思いました。決まっていたラジオゲスト出演があったのですが、それもコンサートのお知らせをするゲストだったのに、そのコンサートも中止。いったいなにが出来るのか、無力さを感じました。そして思いついたのです「歌をすぐに届けよう」そしてゲスト出演の時間を使って、1日で書き上げた「命~2011からのメッセージ」を生放送の電波で歌いました。その反響は大きく、「親戚が宮城にいるからCDを届けたい」「岩手の友達に聞かせたい」数々のメールをいただきました。そして売上全額チャリティのCDとして世に出すことを決めました。すぐにチャリティライブの声はかかり
「また歌が歌える」と涙が出ました。でも今までのように楽しく歌おうとか、歌っていると気分がいいな、とかそんなものではなく、「歌で心に安らぎを届けたい」という気持ちに変わっていました。その後はNHK第一放送全国放送のラジオでも流れて、それを聞いた方が「歌いに来てほしい」という事で、女川や気仙沼、石巻に歌いに行きました。翌年の3月11日は仙台東北大学を会場に行われた追悼式でも「命~2011からのメッセージ」を歌いました。
その後も毎年FM NACK5では2時46分にこの歌を流していただいております。今でも大切にそして「少しでも被災地の方が笑顔になれるように」という想いだけで歌ってきました。
津波で奥さんと女のお子さん2人を失った方が埼玉に避難していましたが、このCDを聞いて、CD一枚を持って東北へ帰っていったというお話も聞きました。
福島で歌った時は「がんばって生きてみるよ」という声は
さらに病院でのコンサートでは「もう少し生きてみようと思えたよ」という声をいただきました。歌の無力さを感じた2011年3月11日から7年、歌がもっている可能性がやっとわかるようになってきました。命をかけて生きている人がいる、だから命をかけて歌わないといけないんだ、そう思って歌い続けた7年。まだまだ本当の笑顔になれない人が沢山います。でも、ほんの少しでも笑顔の方へ向っていけるなら、僕はこれからも命をかけて歌っていきたいと強く思っています。本日はこうのすびっくりひな祭りのグランドフィナーレのステージを務めさせていただきましたが、2時46分には黙とう。3時からのステージの1曲目に「命~2011からのメッセージ」を歌いました。津波が実際に押し寄せたのは地震の15分~20分後、その時にこの歌を歌いながら、色々な想いがかけめぐってくる5分間の歌いでした。「誰かのぶんまで生きる命・・・」「必ず笑顔になれる命・・・」これからもそこにある大きな命、そして今はそこにないけれどかけがえのない命に
歌い続けていきたいと思います。







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