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2004年

ラジオ生出演

今日は午後からリハーサルでした。明日の吹上公民館のリハーサルで、全体の流れを練習して、夕方に終了。ラジオの生出演までには大夫時間がありました。FMナックファイブの生出演は2回目ですが、今回はスタジオが銀座、しかも深夜の放送なので朝帰りは覚悟していた。スタジオでちょっとした仕事を終えて、夜10時に出発。土曜日の夜の東京へ向かう道路はさすがにすいていて、12時ちょっと前に銀座に到着。入りは1時だったので、そこで車を止めてラジオを聴いていた。番組は12時からなので、「今日のゲストはストローのさくまひでき君と・・・」というDJ長谷川さんの言葉を聞いていた。ちょっと不思議だったのが、今回ゲストは3組。みんな「さん」付けなのだが、僕だけ「くん」だった。さすが10年くらい前からのつきあいだと親しみがあるのでしょう。僕にとってもなんか仲間みたいで嬉しい事です。ラジオを聴きながら、ふと地図を見ていました。最近「さいたま全市町村ライブキャンペーン」というのをやるので地図を見る事が多いので。そして、銀座の地図を見て、気が付いた。昔の東京は(まだ新宿が発展してないころ)仕事を東京でやって、その夜はこの有楽町駅のあたり、いわゆる銀座4丁目というのがすごく楽しい場所で、そして発展していったんだろうな、なんてイメージしていた。三越や松坂屋が立ち並んで、きっとにぎやかだったんだろう。でも今のようにゴミゴミしたにぎやかさではなく、のどかな雰囲気だったのでしょうね。よく新横浜のラーメン博物館にいくのですが、そこが昔の昭和の町並みになっていて、そんなきれいな夕焼けとのどかなにぎやかさが味わえる。そんな場所だったのかな?なんて色々考えていた。僕は来月、韓国に行ってくる、目的は文化交流を日本と広げはじめて韓国の街並はどんなだろう?そして日本の音楽がどれくらい理解されているのだろう。という事を調べる為だ。そして、もし歌う事ができたら、ストリートで歌ってくる。もちろん「さよならも言えなくて」の韓国語バージョンで。もうすでに訳詞も出来ていて歌う事もできるようになった。知人の韓国の人が「ソウルは今の日本の銀座のような街です」という事を聞いたので、ふとこの銀座でその事を思い出して、発展していた頃の日本をイメージしてしまった。さて、12時50分。車からおりて、雨の中ギターを持ってスタジオに向かった。僕の前のゲスト「ユンジさん」がちょうど出てきて、その人は韓国の女性で今は日本でデビューしている。「僕は来月、韓国いくんです、テハンノというところで歌うんですよ」と言うと、「テハンノはいいですよ!がんばってくださね」と笑顔で会話が弾んだ。13時30分いよいよ出演の時がきた。スタジオにギターを持って入った。一誠さんと長谷川さんのと3人でスタジオに入るのはよく考えてみたらはじめてだった。大抵、一誠さんのコーナーとかで出ていたり、3時からの一誠さんの番組だったりなので、緊張感は増していた。「今日の2組目のゲストはストローのさくまひでき君です」「今晩は!」夜中とは思えない、楽しいトークが進んで行った。全市町村をまわる話題になったり、以前全国の有線をまわったりと、話題は絶えなかった。「では、今日は生で歌っていただけるという事です、それではお願いします」そう長谷川さんが僕にふった。・・・・。実は10月22日のさいたま市民会館のライブで「心を込めて歌います、と言ったら今日ここにいるみなさんに伝えていると思ってくださいね」というそこにいる人だけが解る暗号にしておいた。「言わなければ、言わなければ」そう来る時から思っていたのに、突然ふられたので、焦ってしまって、「はい!」と言っただけで、ギターを弾きはじめてしまった。イントロを弾きながら「タイトルも言ってなかった、フォーライフの人も来てるのに」と色々な事が頭にめぐってしまった。「でも、今歌っているこの歌に心を載せて精一杯歌おう。今現在、電波にのって僕の歌がたくさんのラジオから聞こえているのだから!」そう思ったらますます緊張してしまった。歌っている時はしっかり心を込めて歌っていたのだが、なぜか最後の歌詞を間違えてしまった。本当に情けない話しです。聞いてくださった方、申し訳ありません。歌い終えた後もトークは続いて、「このキャンペーンをナックファイブをかけて応援しましょね」と一誠さんが言ってくれて、ますますやる気になった。本番終了後もスタジオに残って、次のゲストを聞いていた。3時に番組終了。みんな、缶ビールで乾杯して楽しい夜が終わった。もちろん、僕はビールは飲まずに持って帰ってきた。車を走らせながら、のんびりと吹上に帰って行った。さて!明日は・・・今日は地元吹上でコンサート!がんばるぞ!そう思って空の星を見ようと思ったら、すでに明るくなってきていた・・・「・・・ん!これは寝れないって事か?」翌日の日記に続く!...

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さいたま国体 行田グリーンアリーナ ザッツエンタメ劇場

いよいよ国体本番朝5時半頃には起きていた。会場に7時に到着。吐く息も白くなって、すかり寒い季節ですね。軽くリハーサルをして、あっという間に本番。8時半頃、オープニングが始まった。昨日のリハーサル通りに舞台が(アリーナ全体)が進行していく。そして、舞台袖でディレクターが「では、スタンバイお願いします。」その合図で、ステージに向かった。しばらく、先に出演しているバンドがバトルをやっていたので、ずっと動かずにいた。そして、松井君のピアノが響きわたった。僕の裏声が響き、司会の紹介が入った。しかも、歌に入るのとぴったりの司会だった。歌っている時も、なんだか気持ちが入ってきて、1曲入魂という感じで燃え尽きた。終了後は外でCDを販売した。中にはバレーボール女子の選手まで来て、名札を見たら、「関西代表」と書いてあって、背は高いし、話しのテンポはいいわで、すっかりたじたじになってしまった。帰りはあまりに早かった。10時にはすっかり片づいて、あとは帰るだけ、普通なら、これから一日がんばろう!っていう時間だったので、残った時間をどうすごそうかな?ってみんな迷っていた。スタジオに戻って、トラックの整理をして、僕は前回のアコースティックコンサートのミックスをして、午後3時頃にはみんな帰った。やっぱり大きいところは気持ちがいい。そう思えた一日だった。...

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さいたま国体 会場リハーサル

さいたまのビックイベント「彩の国 まごごろ国体」その行田でのオープニングイベントにメインゲストとして出演した。イベントのしきりは、普段行田のイベントでお世話になっている、どら猫さんの企画。今日はその前日リハーサルだった。分単位に動いていくので、出演者全員の息が合わないと上手くいかないのだ。午後会場に入ってびっくり、さすが最近の体育館はすっごく大きくで照明もすごく派手で、舞台もバンド用が3つもあって、そのセンターが僕らの舞台だった。セットをしてサウンドチェックをした。メンバーはドラムが山ちゃん、キーボード松井清、ベース小野、そしてエレキギターボーカル僕さくまの4人。ひさしぶりのエレキギターだった。しかも今回は「さよならも言えなくて」1曲のみの演奏で、かなり1曲入魂できそうだ。司会の人とのからみも練習した。僕らはMTRというストリングスの音が出る機会をつかっていて、いわゆる音楽はそれに合わせて進んでいく、そのため司会の人の紹介が遅れたりしても、歌いに入ってしまう。何度も練習して、司会の人が語り終えて、ぴったり僕の歌が入れるようになった。今回の出演者はバンドさんが3つ、ダンサーグループが1つ、和太鼓1つ、小学校の吹奏楽が1つで、楽屋もにぎやかだった。リハーサルの時は観客席で他の団体のを見ていた。中でも和太鼓はすごく感動した。高い音の太鼓が一定のリズムで響きはじめて、そして大きな太鼓の重低音がまじるとすごい胸に響いた。「かっこいい!!」と思った。さて、僕らの通しリハーサルがはじまった。ドラムの山ちゃんが今日はこれないので、代役でミトモ君という男性が叩いてくれた。大きな会場にピアノが響き、そして僕の裏声が響く、そして司会が紹介、さよならも言えなくてのイントロがはじまる、そしてまた司会が曲紹介、終わってすぐに歌が入る。ばっちりの流れだった。歌っていてもすごくいて最高の気分だった。明日はこの会場の人の心までこの歌が響くのかな?そう想像するだけで嬉しくなった。外も暗くなった頃リハーサルが終わった。全出演者が衣装でやっていたので、僕も写真のように衣装だった。これはエンディングの全員が並んで、手を振っているところ。楽屋で着替え終えて、「では帰ろうか」と話していたら、その瞬間大きなこの立派な建物がものすごい勢いで揺れた。「これ地震ですよね」と松井君が言った。すごい大きかったのでみんなパニックだった。かと言って、特に被害もなく、車に乗ってさて、帰ろうとしたら、また揺れた。「これ、震源地は大夫すごい事になってるよ」と僕が言ってすぐに車のテレビをつけてみた。「新潟地方で震度6と緊急ニュースをやっていた」小千谷と聞いてびっくり、なぜかというと、僕は以前有線放送全国をまわったので、小千谷のゆうせんにも挨拶に言った事がある。町はすごくのどかで、すごく好きな町だった。本当に心配だ。自然の力は本当に偉大で、時にはやさしくて、時には恐ろしいものに変わる。くれぐれも被害が少ない事を祈っています。...

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アコースティックコンサート さいたま市民会館

4月にこの場所で初のアコースティックコンサートをやってから、早いものでもう6ヶ月。大宮ソニックシティーで行うビックイベントとは別に、お客さんを近くに感じるようなシンプルなコンサートをやろうという事で、その2回目のアコースティックコンサートになった。今回は小野がベース、松井くんがピアノ(キーボード)そして僕(さくま)がボーカルとアコースティックギター、その3人編成で行った。13時に大宮のさいたま市民会館小ホールに到着。途中照明の黒須さんを迎えに行ってから、会場へ向かった。黒須さんも最近は、大宮ソニックのコンサート、星空のコンサート、と大きなコンサートはすべてチーフで入ってくれている。僕よりもいくつか年下だが、すごい技術の持ち主で、「歌詞カードがないと照明はできません」というくらい歌を意識してくれる人だ。会場に着くとすでに音響&舞台の黒澤さんは来ていた。前回の反省点もいかして、だいぶ要領よく搬入が終わった。僕はライブレコーディングをするので、楽屋を一つ貸し切ってレコーディング機材をセットした。15時を過ぎる頃からサウンドチェックがはじまった。そしてリハーサル。照明のきっかけも、最後の曲のSEと歌のからみ、等々、いつものスタッフ&メンバーなので楽しく進んで行った。時間通りにリハーサルを終えて、休憩。18時30分に本番がはじまった。1曲目は「ありがとう」そして「壊れかけの地球儀」と続いた。平日という事もあって、誰もお客さんがいなかったらどうしよう?と心配していたら、たくさんの人が見にきてくれていて本当に嬉しかった。中盤のピアノと歌だけでお届けしたラストシーンはホールに響く自分の声に心が色を付けているように感じた。アドリブもやって、「冬のソナタ」の曲をやった。また、めがねをかけて、マフラーをしてヨン様気取りをやってみた。途中で「アニョハセヨー」と言って自分で爆笑してしまった。後半は心の奥にあるふるさとに触れてもらおうと思い、童謡の「ふるさと」からオリジナル曲の「ふるさと」そして「遠い記憶」と続いた。このコーナーは松井君がピアニカを披露してくれた。そして、ピアノに戻って、「さよならも言えなくて」のイントロ。最近リズム入りのバージョンしかやっていなかったので、このシンプルな編成がすごく心地よかった。本編後半は「ライオンの瞳」「愛という名の列車」と続いて終わった。愛という名の列車はキーが低いところからはじまって、すごく高くなる。難しい歌だと自分で思ってしまった。無事に本編を終えて、薄暗い通路に行った(明かりが漏れるので、楽屋や通路も電気を消していた)するとアンコールが聞こえた。嬉しい事だ。アンコールは「Goodちょっとパラダイス」で盛り上がった。最後の方だ段階で早くなって楽しかった。今回のテーマはとくにならなかったけれど、最近よく僕が思う「形のないものの大切さ」をテーマにしてみた。「ありがとう」という形のない言葉がタイトルの曲からはじまって。自然をテーマした「壊れかけの地球儀」この歌は照明さんと音響さんも大好きなうたらしい。ふるさとメドレー、そして愛という名の列車では、ちぎれ雲が悲しい空へと・・・というフレーズがある。まさに形があるようで、ない雲がいつか消えてしまう、人の心を表している。色々と文化が発達していくと、発展していくものが多い。でも、最近よく考える事がある。進化していくのはすべて形あるもので、心や怒り、悲しい気持ち、嬉しい気持ち、人を愛する気持ちとかの形のないものはいつの時代も進化しないんだと思った。どれこそが人がいきているなかで一番大切なものだと思う。「最後大切な人を思い浮かべて聞いてください」と言って、シーケンサーのリズムが入って、Foreverを歌った。無事にコンサートも終わった。みんな満足いくステージになったと言ってくれて、なによりも感動して帰ってゆくお客さんの背中を見て、やってよかったーと思った。バラシをして、楽器をを搬出して、あの部分はこうだった、とか、ここは最高だったとか。色々とみんなで立ち話をして、12月また同じメンツでやりましょー と解散した。最近どんな歌を歌っていけばよいか、自問自答している時が多い。今日思ったのは、自分の心のスクリーンに映るものをしっかりと歌で伝えなければいけないと思った。ようするに、僕の心のスクリーンにしっかりとその曲のイメージを映していなければ伝わらないという事だ。だから、これからも自分がこれだ!と思える歌をしっかりと歌っていこうと思った。帰りも照明さんを送って、今日の話で盛り上がった。10月22日というたかが、なんの変哲もないただの金曜日が、僕らにとっては特別な日になり、その1日をスタッフもメンバーも振り返っている。もしもお客さんがこの同じ日を特別な日として、思い出してくれたら。きっと共通の記念日をもてるんだと思った。さあ、次回は12月12日大宮ソニックシティー小ホール。明日からはそっちに向かってさらにがんばります。これからも応援してください。...

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いよいよ明日

いよいよ明日は大宮のさいたま市民会館でアコースティックコンサートです。最終リハーサルをやっております。明日はじっくりと聞いていただけるコンサートになっております。もちろん途中みなさんと一緒に盛り上がるコーナーもございますので、是非楽しみにしていてください。昔の懐かしい気持ちに帰っていただくコーナーでは、縦笛も登場! うまく吹けるかな?って心配ですが、僕らもみなさんと一緒に感動できるコンサートにします。台風も去った事ですので、気をつけておこしください。...

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吹上 コスモス祭り 

やってきました。地元吹上!話をいただいてのが確か7月頃だった。僕の中学の頃の友人から電話がきて、実は今年は町でのお祭り事ができなくて、青年部の俺達だけでがんばってイベントやろうって事になったんだよ。という話しだった。もちろん予算もなかったらしく、アーティストも呼べない。だからさくま頼むからやってくれないかな?と言われて、友人の頼みだったらしかも吹上の為にやるんだったら快く引き受けるよ。という事ではじまった。何度か打ち合わせをして、気が付いたらもう10月ですからね。時間が経つのは早いです。朝8時半に会場に行った。場所は荒川土手のすぐ脇にできた体育館のあたりの土手だった(日本語変かな?)すでに黒澤さん(音響の)がセッティングしていた。予算がないと言っているのに、ものすごい数のスピーカーを骨組みまで組んでセットしていた。今日のメンバーは小野と僕だけ。リハーサルをして楽屋に入った。懐かしい人ともたくさん会った。僕の後輩(後輩と言っても中学卒業と一緒に入学してきたので直接の後輩ではないのだが)がいた。名前は仮にシュウジ君にしておきましょう。彼はバンドを組んでいて、しかも僕より先にデビューした「メロディー」というバンドのボーカルだ。今は解散してしまっているという事は聞いたいたので、どうしてるのかな?なんて思っていたのに今日はそのお兄さんが青年部の人だったので手伝いに来ていたのだ。「久しぶりだね!」と言って色々話した。神戸の有線放送に僕が行った時にちょっと前に彼が来ていた、とか。FMナックファイブの番組で彼がゲストで出ていて、しまも僕の歌をコメントしていた。「あの時はやりずらかったですよー!」なんて笑っていた。お昼のお弁当も一緒に食べて、音楽の話しとか、地元の話し、後輩の話、先輩の話、先生の話とかで盛り上がった。13時になっていよいよ本番。すごくたくさんの人が集まっていた。1曲目のcurariがはじまると、ギターの音がびりびり言ってしまって、すぐにケーブルを変えてなんとか対処できた。天気も良くすごく気持ちよかった。今日のイベント名は「コスモス祭り」だったので、急遽さだまさしさんの「秋桜」を歌った。そして「なごり雪」と続き。Goodちょっとパラダイス。きぐるみの虎まで一緒に踊ってくれた。そして「さよならも言えなくて」は吹上で歌うとちょっと切なくなる。2人で暮らした町だからだ。今日のこの歌を聴いた人は本当に心に届いたと思う。そして最後に「ChangeMyHeart」で客席まで行って歌った。終了後も即売会がものすごい勢いで、大忙しで嬉しい悲鳴だった。販売を終えて、楽屋で今度の31日の公民館でのイベントの打ち合わせをして、会場に戻るともう夕焼け空でテントも大夫片づけられていた。最近天気も悪かったので久しぶりに見る夕焼け、しかも荒川のきれいな場所で秋桜も揺れていて、遠くの方の大芦橋が見える。この場所は結構好きで、Foreverと声がキキタイのジャケットもこのあたりだ。朝早くに来て、夕方に終わってしまう。お祭りの終わった時はいつも寂しくなる。そして、ちょっと肌寒くなってきた。「なつかしい人とたくさん会ったな」なんてふと思い出し笑いなんかしてしまった。幼さなじみのお兄さん、中学の頃の友人のお母さん、僕のいとこの親戚、友人の昔の彼女、一緒に音楽をやってきた大先輩の娘、そしていつも来てくれる人達も吹上に足を運んでもらえると嬉しい。夕暮れ時にシュウジ君が「では、帰ります」と言った後「すごいですね!」と笑って帰って行った。本番中もずっと真ん中あたりで見てくれていた。実際僕のステージを見るのは、10年ぶりくらいだと思う。彼のステージも実は見た事はなかった、でもずっと昔から知っていて、そして彼がデビューした時も先を越されたと思ったと同時に本気で嬉しかった。「俺も負けないぞ!」という気持ちでいつでもいられた。そして今は僕がデビューした。「同じ吹上なんだから、がんばろうよ!」という僕の本当の気持ちを解ったのかどうか「音楽はずっとやっていきますよ、一緒に共作でCD出しましょうか?」なんて冗談まで言っていた。土手の向こうに日が沈んだのを見て、ふと彼の言った一言を思い出していた。「僕、さくまさんと一緒に学校から帰った事あるんですよ」と言ったのだ「ウソ!?いつ」僕が全然覚えていなかったのだが、彼が小学校2年、僕が小学校5年の時に、「低学年が一人で帰ってると危ないよ」と僕が言って、一緒に家まで帰ってくれたらしいのだ。「だから、僕は昔からさくまさんのイメージは優しい人なんですよ」なんて言っていた。昔ある人が言っていた「人にしてあげた事は忘れてもいいけれど、人にしてもらった事は絶対に忘れてはいけないよ」その言葉を思い出した。僕は覚えていないくらい、小さな事でも、彼にとっては一生忘れない僕の想い出なのだ。「やさしいのかな?」ふとつぶやいてみた。でも、そんな風に人の心でいつまでも生き続けられるそんな自分でありたいと心から思った。「いやー疲れたね」という小野の声が助手席から聞こえた。「うん。疲れたけど、すっごく楽しかった」今日の一本の僕らのステージがいつまでも誰かの心で生き続けてくれたらいいな・・・。そんな思いで、ふと振り返ると、だれもいなくなった土手に、秋桜が静かに揺れていた。「おまえの聞いていたのかな?今日の歌を」そう呟いた。...

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むさしの村

ひさびさ野外で演奏できたむさしの村!7月以来に外での演奏でした。セッティングをして、リハーサルを開始、今回はマイクが変わったので色々と音をチェックしていたら、あっという間に時間が過ぎていそいで楽屋に入って準備をした。今回のメンバーは小野と松井君だった。12:30になって1回目の本番。無事に終了して、楽屋へ戻るとすでに松井君が戻っていて、ノートに色々と書いていた。なにやら難しい勉強をしているようだった。なるべく邪魔しないようにして、お弁当を食べた。スタッフの金井も食べに来て、「じゃあ、戻ってるよ」と言って金井は会場に戻った。そしてからのお弁当箱を片付けようとしたら、一つだけ重いものがあった。「だれこんなに残したのー!?」と僕が言うと、小野が「金さんじゃない」と言った。なにをこんなに残したんだろうと思って見たら、ご飯はきれいになくなっていて、揚げ物とウィンナーが姿を消していた。それ以外の煮物、魚、キャベツ、漬け物が残っていた。松井君が「なにをおかずにご飯食べたんですかね?」と聞いたので、「揚げ物と1本のウィンナーだけだよ」と僕は応えた。後で「ちゃんとバランスよく食べないとだめだよ」と金井に言った。でもふと思い出した。僕の小学校の頃の食生活だ。昔からご飯とおかずの2品しか食べていなかった頃があった。焼き肉に行けば、ご飯は3杯。しかもお代わりではなく、初めから2つは注文してしまうほど。あとはカルビのみ、そんな食べ方をしていた。家で牡蠣フライをつくると山盛りの牡蠣フライにしょうゆをつけて、あとはご飯のみ。そんな食べ方をしていたので、その頃の体重は小学校高学年で80キロあった。一番すごかったのは、行田駅前にある十勝というラーメン屋(その頃の夕飯の8割はこの店)に行って、焼肉定食とモツ煮定食とチャーハンを頼む。一人で3人前を食べていたのだ。今考えると恐ろしい。みなさんは是非バランスよい食生活を送ってくださいね。話しがそれましたが、3時から2回目のステージ。雨が降りそうでしたが、なんとかふらないまま終了。最後はアンコールまできて、冬のソナタをやった。でもやっぱりオリジナルで終わりたかったので、さよならも言えなくてのアコースティックバージョンをやって終わった。終了後に楽屋に戻るとまた松井君がノートを広げてなにやら勉強をしていた。なにをやってるの?と聞くと、そのノートを小野に渡した。今後のストローのキャンペーンのやり方、チラシの作成等を色々とアイディアを書いていたのだ。演奏がもちろん最大に大切な事だ。でもマネージメントがいないストローにとってメンバーもミュージシャンもみんなでアイディアを出してビジネス的な動きもやっている。本当にありがたい事だ。音響チームも時にはマネージャーになり、時には販売係になり。僕も時には営業マンになり、小野も時には宣伝マンになる。でも一つ言えるのはみんな本気でやっているという事だ。自分達で作ったものを自分たちで売っていくという事から生まれる最大の武器だと思う。これからもその精神でがんばっていきます。帰る頃はもう暗くなっていて、だれもいなくなってむさしの村を出発。国道に出てすぐ、犬の鳴く声が聞こえた。「なんだろう」と僕が思ってみると、普通の民家の庭の犬が国道に向かって吠えていた。よくみると道路に人が倒れていた。すぐに車を止めて、みんなでかけよると、その犬の家の人も出てきた。おばあさんが倒れていたのだ。「どうしたの!?」と聞くと、「ころんじゃったんだよ」とおばあさんは応えた。特に外傷もなく、意識もしっかりしていたが、頭を打ったらしい。「そのまま動かない方がいいよ」と犬の民家の人が言った。そして救急車を呼んだ。次から次へ人が集まってきた。僕はおばあさんの横について「もうじき救急車くるからね」と声をかけていた。「救急車はやだよ」とおばあさんは言ったが、「頭うったんじゃちゃんと見てもらった方がいいから」と言った。金井はいつのまにか交通誘導をしていた。そして救急車が来て、無事に運ばれて言った。あのまま誰も気が付かなかったら車にひかれてしまっていたかもしれない、そう考えると恐ろしい事だ。でも人が気が付いて本当に良かった。というか、一番最初に気が付いたのは犬だった。きっと「だれかきて!大変だよ!」と犬も精一杯言っていたんでしょう。本当に偉いです。動物って、みんな人間以下という見方をしてしまうが、実は動物の方がすぐれている時がたくさんあると思う。人は人に力があるのではなく、人が作った文化に力があるのだと思う。ようするに、人が裸になって、なにももたなくて、いざ自然に立ち向かったらどうなるだろう?きっとすぐに命つきてしまう気がする。真っ暗な山奥で道に迷うと、それだけでもう終わりかも?なんて思ってしまうのだろう。でも電気があれば、車があれば、銃があれば大丈夫なのでしょう。最近、自然界で生きている熊が何匹も射殺されていますね。農家の人が作ったものを荒らしてしまう、とう事も確かにあるのですごく難しい問題だと思うけど。では元々地球はどうだったのか?という事をいつも僕は考えます。空があって、大地があって、海があって、緑が育ちはじめて、川が流れて。そして生き物が生まれる。ミツバチは花粉を運び花は子孫を残し、動物は他の動物を食べて、そしていつかまた大地に帰って大地を肥やす。そんないとなみがあったのを、はじめて壊してしまったのが人間の誕生だったような気もする。人は壊す事はいくらでもやる、それは人のみが住み良くなるため。すべての物を壊していく、では人がこの自然界、地球にいる意味はなんなんでしょう?なにをしてあげられるのかな?ってよく考えたりします。元々熊の住んでいた場所に人が入って行って、共存も出来ずに、駆除という自然界にいきるものとして考えがたい言葉で射殺してしまう。本当に勝手な事だと思う。もちろん大変な問題と解っているが、人間の安易な行動が果たして地球にどんな影響を与えるのか、不安になる。なんだか難しい話しになってきてしまいましたが、僕が考えるには、人が住む場所と自然のままにして置く場所を分ければいいと思う。日本の国土をすべて人間が手にいれているから問題になるような気がする。ここから先は絶対に入っていけない、開発をしてはいけない、住んではいけない。そういう場所をちゃんと守っていけば、みんな(動物も草も花も木も山も)が仲良く暮らせると思うのです。でも、人は欲があるから、広大は土地はどうしてもお金になると思ってしまう。とある海外の映画監督が行ったすばらしい行動がある。大金持ちになった時になんと誰も手をつけていない広大な大地を買った。普通に考えればリゾート開発をしてさらにビジネスをするのかと思う、ところが違った。なんとなにもしない!というのだ。地球のすべての土地に人が手を加えても、ここだけは俺の物だから手をださせない。という考えだったのだ。宮崎駿夫さんの作品にもそんな優しさを見える。風の谷のナウシカでは虫が出てくる。ラピュタでは最後にロボットの人間以上の愛情を描いている。平成狸合戦では開発の寂しさ。千と千尋ではなくしはじめている日本人の美しい心、そして人が汚してしまった神様がお風呂に入るにくるシーン、みんなに臭いと避難されるが千がきれいにしてあげる。そんな色々はメッセージが入っていると思う。人間がちょっとづつでも自然や他の生き物へ優しい気持ちが芽生えればきっと変わっていくと思う。だって、犬だってその本能で一人のおばあさんの命を救う事ができるのですから。だいぶ話しが横に行ってしまってすいません。人の優しさをテーマにしている僕ですが、人の優しい場面を描いているのではなく、聞いていただく人が、「なんで自分はこんなに優しい気持ちになれるんだろう?」という感じで誰の心にもある自分の優しさに気づいてほしいとうテーマなのです。「すごく感動しました」そう言ってくれる方がたくさんいます。そんな人の心から優しさを感じます。これからもたくさんのが優しさに気づいてくれるような歌を作ってがんばっていきます。これからもみなさん是非応援してくださいね...

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リハーサル好調

いよいよ秋ですね。この秋、冬はコンサートもいっぱいあります。今日はさいたま市民会館で行うコンサートのリハーサルでした。内容もばっちりです。心になにか懐かしい気持ちがわき上がってくる、そんな優しいコンサートです。ヨン様は・・・出るかな? さあそれは当日のお楽しみ。なにしろ、シンプルなのにこんなに感動できるコンサートはない!って感じです。是非楽しみにしていてください。...

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大林監督祝賀会

言わずとしれた、でも言わないと知らない人もいるので。僕らは映画監督大林宣彦さんにいつもお世話になっています。「なごり雪」という名曲をよくイベントで歌っていますが、それがきっかけです。昨年監督が「なごり雪」というタイトルの映画を発表しました。伊勢正三さんの歌を元にして作った内容の映画でした。そして名古屋の特別公演で「なごり雪」を歌っているアーティストは他にいないかな、という事で出会う事になりました。今年冬から来年お正月公開の作品「理由」にはなんとストリートミュージシャン役で出演しています、是非見てくださいね。さて、今日はその監督さんがすごい賞を受賞してその祝賀パーティーでした。今まで色々な方とお会いしましたが、一番すごい人数でびっくりでした。会場のロビーにいたら、別件だったのですが、すごい人に会ってしまいました。小野と僕で思わず顔を見合わせて「そうだよね!?」「そうでしょう!?」みたいな感じ。そうですビーズの松本さんだったのです。感激を胸に会場に入って、沢山の人で知ってる人がいなくて心細かった所に伊勢正三さんがいらして、「今日はなにかやるの?」と聞いてきて、「特に聞いてないんですよ」という、すっかり顔見知りになって会話が出来るようになって、本当に嬉しい限りです。他にも沢山の有名人でした。植木等さんYMOの高橋幸宏さん、小林亜星さん、もちろん勝野洋さんそしてキャッシー中島さん、「理由」の同じシーンに出ているスパイス、宍戸錠さん、筑紫哲也さん、作家もすごかった、赤川次郎さん椎名誠さん。その他そうそうたる方々で、本当にこんな場所にいれて光栄だった。後半はショウタイム、伊勢さんと大林監督の「なごり雪」も聞けた。最後の監督は話しはやっぱり感動しました。なんというか、すっごく優しさが伝わってくる内容でした。帰りに伊勢さんに挨拶して「色々先輩としてアドバイスしてください」(同じレコード会社なので)と言うと「なんでも聞いてよ」と言ってくれて本当に嬉しかった。監督さんに挨拶すると「今日も車で来たのかな?」なんて言われてしまいました。そうです、初めて名古屋で一緒にステージに上がった日、僕らは車で前日出発して駆けつけたのです。本当に監督さんのお会いすると帰るのが残念になるほど、一緒にいたいと思う。本当に家族のような優しさを持っている。きっと映画にもそれがすごく現れていると思う。次に会えるのはいつかな?なんて帰りに考えてしまう。僕らが大ヒットを出して、そのパーティーに呼べばいいんだ!なんて考えたりして。帰りのエレベーターで伊勢さんと一緒になって、先日の鎌倉でのコンサートの時のギターの事を色々聞いてしまった。本当に熱くなって語ってくれる人だ。音楽をすごく愛しているのだと思った。いつも伊勢さんの口癖は色々教えてくれた後。「でも結局はいい楽曲だよ!」と言う。本当にそう思う、どんなにアレンジをこっても、いい音でとっても楽曲がよくないと始まらないですよね。もちろん、いい楽曲にいいアレンジ、いいレコーディングが出来れば、何倍ものすごい曲になるのだろう。作品を作るという、監督、伊勢さん、そして僕も同じ立場にいるという事は本当に心強い。歌を作っていると決まって悩む。今に始まった事ではないが、本当に辛い時もある。でもそんな時、みんな苦しんでるんだ!って思える。でもその苦しさがあるから名曲が名作が誕生するのだ。これからも心にしっかりと通じる、音楽を作っていこうと思います。本当に充実したいい日だった。...

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東海ラジオ 生出演

最近ちょっとずつ増えてきた、ラジオ出演。今回はあまり出演が少ないAMラジオの放送。以前AMに出演したのが、2001年に福岡のRKBラジオ(関東でいうTBS)に電話出演した以来なので、やく3年ぶり。東海ラジオは東海地方の放送で、名古屋が中心。ようするに出演しているものの実際には関東で聞くことができないのだ。ラジオ局に到着して担当の方と挨拶して、パーソナリティーの方も紹介されて、放送が始まった。お昼の放送で、「トーキョーアップサイドステーション」という番組。「みなさんこんにちは!」と言う元気なパーソナリティーの挨拶で始まった。「今日のゲストは以前も曲を流させていただいた、ストローのさくまひできさんです!」と紹介されて、「こんにちわ!」お昼の番組なので明るくさわやかに進んでいった、・・・・トークの内容は「さよならも言えなくて」が実話だという内容でまたまた照れくさいテーマになってしまった。名古屋のファンの人がもしかして聞いててくれてるかな?と思うとなんとなく恥ずかしかった、でもお昼だし、「聞きました!」なんて報告もないかな?なんて思って、実話の内容をふんだんに話した。「名古屋の方でも、ななちゃん人形の前で歌ったりしますよ!」なんて名古屋ねたもあって、楽しく終了した。担当の方と一緒に昼食を食べた。さすが東京、霞ヶ関で食べるランチはおしゃれで、埼玉のいつも食べる山田うどんのかきあげそばと納豆とは違うなーと思った。帰り道で突然電話が鳴った。「ラジオ聞きました!」という電話だった。しかも最近一緒にステージに上がってくれている、ギターの倉川君からだった。「なんで聞けたの?」と聞くと、なんと彼はいまツアーでちょうど今日名古屋にいたのだ。しかも移動の車でラジオを聴いていたのだ。なんとも恥ずかしいねたを連発してしまって照れくさかった。実に偶然とは恐ろしいものだ。でもリアルに東海地区中に僕のトークが「さよならも言えなくて」が流れたんだという実感をした瞬間で嬉しくなった。帰りはつい霞ヶ関ビルを探してしまった。かつて日本一の高さを誇るビルだったビルも今では見つけようとしないと見えないんだ、と思った。昔子供の頃、家族で池袋のサンシャイン60に出かけた。子供の僕にとっては大旅行だった。最上階に上がって、ガラスの向こうに見える景色はまるで雲の上にいるような気持ちだった。その頃は日本で一番高いビルはサンシャイン60と教えられてきた。そこから母が「あれが霞ヶ関ビルだよ」と言った。きっと母の世代は高層ビル、イコール霞ヶ関ビルなのだろう。僕にはどう見ても新宿副都心(当時は副都心)のビルの方がすごく見えた。だから霞ヶ関ビルという言葉は知っていたが改めてみたのは今日が初めてだった。あれから時はたって、横浜ランドマークタワーが日本一になって、次に新宿の都庁ビルが現在は日本一のビル。時代の流れを感じる。人はいつでも上を目指すものだということが反映しているような気がする。果たして上になにがあるのか?、もちろんそこに求めているものがあるということもあるのかもしれない。でも、旅によくにていると思う。旅のいきつく先はどこか、考えた事がありますか?それは、出発したところなんです。家から出発して、それが旅ならば、必ず帰ってくる、結局は出発して所に帰ってくる。では、なんのために旅に出るのか?旅の目的は出発した瞬間から生まれるのだと思う。出発して、駅までの間に誰かにあったり、電車の中で困った人を助けたり。山の上からの景色を見て、自分をもう一度見つめなおせたり、その途中途中が旅の目的だと思う。でも現在は上を目指す、目的地に急いで向かう、そんな傾向があるような気がする。僕は夢に向かっている、そして今日はラジオに出演した、東海地区で放送されて誰かが僕の存在を知ってくれる、そんなことがすごく生きていて嬉しい事だ。いつでも今を大切にして、そして通りすぎてきた道をかみ締めてこれからもがんばっていこうと思った。あの日母が「あれが霞ヶ関ビルだよ」と教えてくれたように、いつか子供だできて、都庁の展望台からきっと僕はこう言うんだろうね「ほら、あれがサンシャイン60だよ!」と。でもその頃子供は、べつにすごいビルと思わないで、ドコモのビルに目がいくんだろうね。いつか消えてゆく高さの記録を競うような人生でなく、あの日、母が言った「あれが霞ヶ関ビルだよ」という言葉のように。一生胸に残るような歌をこれからも残していきたいと僕は思った。「もしもし」再び倉川からの電話だった。「どうした?」と僕が聞くと「さくまさん、いつか言っていた風来坊って手羽先屋、どこにあるんですか?」何年も前に話した話題を今でも覚えていたのだ「よく覚えてたなー」「いやーだって、すっごくうまいって、すっごい笑顔で言ってたじゃないですか、忘れられないですよ」僕は場所を教えて、電話を切った。心にのこる言葉ってきっとこんなところにもあるんだな。そう思って、改札口でちょっと笑った。...

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