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2004年

韓国 出発前夜

いよいよ韓国へ出発前夜です。羽田空港はよく利用するけれど、成田は高校の修学旅行で台湾に行ったきりだったので、行き方もよくわからないし、慣れていないので、早めに出発した。・・とは言っても出発は明日。朝早い便だったので、成田の近くのホテルに泊まる事になっていた。仕事をかたづけて、結局成田に着いたのが夜の10時頃だった。車で行ったのだが、いつも羽田で置いているSUNパーキングの成田支店があったので、「よかった4日間預かってもらおうと思って入ったら。「本日はもう終わりですけれど」と言われた。どうしよう!そしてカードを見せて「いつも羽田でお世話になってるんですが・・・」と言うと「ちょっと待ってください」係員は誰かに電話をしてから、「では、伝票も出せないのですが、預かります」と言ってくれた。しかもホテルまで車で送ってくれた。ホテルはさすがに国際的で、あらゆる国の言葉が入り交じっていた。部屋に入ってその日はすぐに休んだ。写真:これが持って行ったハングルバージョンの「さよならも言えなくて」...

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川越富士見中学、いもの子作業所バザー&韓国出発

2年ぶりの、いもの子作業所のバザー。といっても今年の夏にいもの子の夏祭りに出演していたので、ここの人達に会うのは久しぶりではなかった。あちこちでフリーマーケットをやったりして、焼きそばや、ラーメン、ポップコーン色々なお店も出てにぎやかだった。僕らも食券をいただいたので、それで団子やカレーを食べた。司会の方はマジシャンでその人と会うのはすごく久しぶりで感激だった。12時40分から僕らのステージが始まった。後半はみんなで盛り上がって、僕もワイヤレスマイクでお店の実況をしながら歌って楽しかった。アンコールまできてしまって、みんなでGoodちょっとパラダイスで盛り上がった。沢山の人が集まるイベントはやはり大好きだ。なによりも聞いている人が笑顔になる、その笑顔が見れる事が幸せだ。また来年も、いや、いもの子のイベントは出たいですね。みんなが、ちゃんと覚えていてくれて、「また待ってるね」と言ってくれる事は本当に嬉しい。「また是非よんで下さい」と主催者と挨拶をして帰った。さて、ここで昨日のナックファイブの放送の内容を書いていいでしょうか?今「ふるさと埼玉全市町村ライブキャンペーン」というのをやっていますが、その模様が毎週土曜の深夜12時からFm79.5JapaneseDreamで流れています。夕べも車でラジオを聴きました。オープニングそうそうで、「さくまくんがやっているキャンペーンですが、今週は騎西町でペンライトをふってくれて、白岡では白岡中学の子が新潟の募金をしていたので、一緒に募金をして活動して、ラジオを聴いてきてくれた人が、上福岡と白岡にいたそうですよ」と語った。「そして、今週は明日、富士見中学でイベントですね、そしてその後はなんと、韓国で歌ってくるそうです、ハングルでさよならも言えなくてを歌えるようになったので、歌ってくるそうですが、その模様は来週電話出演で話しが聞けるとおもいますよ」と進んで、最後はメールを紹介された。川里町の人からで、いつもナックファイブにメールを送ってくれていて、すばらしいコメントで僕も聞いていて嬉しかった。是非、日記を読んでいる人もラジオ聞いてくださいね。来週は電話インタビューですよ。そして、なんと明後日から韓国へ行ってきます。自分の音楽がどれくらい認めてもらえるか、そして韓国の人の心にどのように響くかを知りたくて、ずっと行きたかったのですが、こんなに早く現実になるとは思ってなかったので、自分も未だにちょっと信じられない感じです。でもいくからには、すごい反応を出せるようにがんばってきます。吹上代表の埼玉代表のそして日本のさくまひできとして行ってきます。・・・でも言葉がまだ、・・・んー 不安です。でも、音楽に国境はないんです!がんばって行ってきますので、是非みなさんも応援していてください。...

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平塚OSC湘南シティー

雲一つない青空が広がっていた。会場に予定よりも早く到着した。今回は僕らの13時からのステージの前に障害者のイベントが入っていて、それが終わってすぐに準備に入った。時間いっぱいになってしまって、リハーサルからそのまま本番へ!「出会えてよかった」で始まった。やりなれたステージだが、久しぶりだったのでなんだか新鮮だった。1年ぶりだったのだ。最後のChangeMyHeartの時はワイヤレスマイクで階段を上がって上の方で歌った。お客さんが持っていたゴリラのぬいぐるみを冗談で奪い取って抱きかかえて歌った。2回目のステージの前に楽屋でケンタッキーのチキンを食べた。すごい量で、みんなおなかいっぱいになってしまった。それでも2回目のライブもばっちりだった。途中で予定にない流れになってしまって、ステージ上は演奏しながら打ち合わせしてやった。それで出来るからまたすごい事だ。片付けをしているともう暗くなってきて、「帰りは4時間覚悟してね!」と僕が言って車を走らせた。やはり大渋滞・・・・。スタジオに着く頃はもう9時をまわっていた。でも、平塚は時間をかけてもやる価値がある。以前やっていた事もあって、沢山の人が待っているからだ。そして、このステージで歌うたびに、湘南デビュープロジェクトという過酷なコンテストを思い出す。そんな、思い入れの多いステージをこれからも沢山増やしていきたい。...

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宮代&白岡&蓮田&岩槻 

今日も朝から天気悪くて、雨も降っていた。14時前に東武動物公園駅に到着。さすがに昼間の時間の駅は静かで、歌うのもちょっと照れるくらい静かだ。ここでもたくさんの人が待っていてくれた。駅の階段の踊り場で歌った。来てくれた人からリクエストもとったりして歌った。そして、移動。16時から白岡の駅。おもったより早く着いてしまったが、なぜか不思議な事に歌う時間になると雨がやむのだ。駅の階段を降りてすぐのところで準備してはじめた。郵便ポストのすぐ脇で歌っていたのだが、途中女性の局員が手紙を回収に来て、ちょっとずれたりして歌っていた。「邪魔だな!」なんて思ってるのだろうと思っていたら。いきなり拍手をして「いい声だね!」と言ってくれた。これも予想外で嬉しい事だ。しばらくやっていたら、白岡の中学生が来て、新潟の地震の募金をはじめた。その声も響きはじめた。でも逆に駅前が活気あってよいと思った。初めなんの募金かわからずに近くに行って見ると新潟の募金だったので、そこにいた女性先生に「僕の新潟で歌ったりもした事があって、本当にがんばってくださいね」と千円以上いれた。そしてこのキャンペーンは「さよならも言えなくて」を普及する事もあるが、それ以外にも地元埼玉にいい音楽を響かせて、さいたまの心をいやしたいという地元密着のテーマもある。白岡中学の生徒ががんばっている事に貢献できるし、新潟の為にもなる。そう一瞬で考えて。「今日のCDの売り上げがすべてこの募金に寄付します」と言った。CDが売れるたびに募金箱に入れにいって、みんな喜んでくれた。後半で立ち止まってくれた人も「ラジオ聞いていてきました」と言ってくれて本当に嬉しかった。最後に売れた分をまとめてまた寄付した。片付けをしていると、突然生徒が来て「あの、握手してください」と言ってきた。3人立て続けに来て、あげくの果てに先生も「じゃ私もいいですか」と来てくれた。「では、がんばって」と告げて次の街に向かった。蓮田駅は昔より広くなったような気がした。ここでも募金活動をやっていて、なかなか歌える場所が決まらなかった。募金活動が終わったと思ったら、太陽の里(以前、お祭りに出演させていただいた事のある福祉施設)の活動がはじまってしまって、なかなか出来ずにいたが。その活動も終わって、やっと演奏がはじまった。ここでも待っていてくれる人がいた。見にきてくれた人が、立ち止まった人を誘ってくれてどんどんわが広がる。大夫長い時間歌っていた。終わって片付けをしていたら、ちょっと怖そうな男性が「デビュー曲、聞きたいな」と言ってきた。「はい!すぐ歌いますよ」といって、片付けはじめていたが、またギターを出して歌った。目を閉じてじっくり聞いてくれていた。歌い終えると「いい!」今度イベントに呼ぶから名刺ちょうだい、と言われて渡した。戸田競艇の管理センターの人でよく演歌の人を呼んでライブをやるらしいのだ。そんな話しが決まったらいいなと思いつつ、次の街へ岩槻は街の名前はよくしっている、インターがあるし、ロジャースもあるし、ただ駅は行った事ないし、どこにあるかもわからない。このキャンペーンで行った事のない駅や街がわかってきて本当に勉強になる。駅のロータリーにはサティーがあって、その前で歌った。途中で買い物帰りの女性が立ち止まって、ちょっと聞いてすぐにCDを買ってくれた。「ごめんね時間なくて、でもCDほしいので」と言って帰っていった。一瞬だけ聞いて、CDを手にしてくれるというのも嬉しい事だ。CDを買うというのは、じっくり聞きたいという事だからだ。今日も4本だてのキャンペーンが無事終了した。期待が4割、不安が6割だったキャンペーンも回を重ねるごとに、期待が5割、不安が5割と逆転していくのがわかった。明日は平塚でイベントなので、今日はこのまま向かってしまいます。また明日も、はりきって歌います。...

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高麗川駅&ふじみの駅&上福岡駅

朝から天気がわるくてちょっと不安だったが、なんとか持ちこたえた。午後13時に産経新聞の取材があって、所沢に向かった。前回のソニックシティーのコンサートも来ていただいて記者の人と久しぶりに会った。色々と話をした。さだまさしさんとのつながりもあって今年の夏はその人は長崎のイベントに行かなかったので、長崎話しが長くなった。そして、今回の「ふるさと埼玉!全市町村キャンペーンの取材を受けて、写真も撮って、終了した。来週の産経新聞に載ります。そして、高麗川の駅に向かった。昔子供の頃に、埼玉県民の日(11月14日)に埼玉フリー切符というのが発売されていて、県内なら乗り降り自由の切符だった。それで小学校の時は毎年、始発に乗って、遅くまで旅していた。その端が丹荘って駅で、そこに行く前に、高麗川の駅でふらふらしていた記憶がある。でも、行ってみてびっくり、結構きれいな駅になっていた。・・と言ってもただ広いだけで、なにもないところは変わりなかった。歌う前から、ファンの方が来てくれて嬉しかった。歌い始めると、ちょうど学生の帰り時間で何人か立ち止まってくいれた。最近の流行なのか、みんな携帯のカメラで写真を撮っていくのが、高校生の動きですね。しばらくして別のファンの方も来て、声も張り上げて楽しいライブだった。陽もくれて、次の場所ふじみの駅に向かった。結構、道に困ったが、時間的にも川越を抜けて行っても渋滞するが間に合うと読んだが、予想は大外れ、ものすごい渋滞で、結局着いたのが予定の1時間遅れ、19時になってしまった。雨も少し降っていたので、駅の階段をおりてすぐのところで歌った。急行が止まる駅ともあって、人はすごい数だった。しかも階段に向かって歌っているので、声もものすごく響いた。チラシを受け取る人も「ストローって知ってます」という人がいたり「この歌ラジオで聴いてます」という人がいたり、なんか感激した。エスカレーターで上がって行く人もみんなこっちを見ていて、たまに手を振っていく人もいた。いつも来てくれるファンもずっと聞いていてくれてこれまた嬉しい事だった。気分もいいまま、次の街へ。上福岡駅。ここはかつて友達が住んでいて、ベースの小野とはじめて一緒にステージに立ったのも、その友人のやったバンドだった。しかもこの上福岡の七夕祭りの時だった。どこで歌うかは結構悩んだ。結局、人すごく通る、駅の通路にした。ここでも待っていてくれる人がいて、なんだか毎回毎回嬉しくなってしまう。歌い始めたはいいが、電車がくるたびに、ものすごい人が通行するので、壁いっぱいに寄って歌った。男性が途中CDを買ってくれて、よくよく聞くと、ナックファイブを聞いてきてくれたというのだ。これには本当に嬉しかった。今まで僕の歌をラジオでしか聴いていないのに、そんな人が足を運んでくれて、そしてこうして出会えるという、なんとも今回のキャンペーンのすごく意味のあるイベントだと実感した瞬間だった。最後に「さよならも言えなくて」を歌って、上福岡のライブも終わった。今日は3カ所でしたが、1カ所1カ所で嬉しい事があって、すばらしい1日でした。この調子でこの先の予定もがんばります。...

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大井町&志木駅

大井町は不思議は地形になっている。富士見市の土地に「ふじみの駅」があるが、実はこの駅が大井町の最寄り駅。なので、駅がすぐ近くなのだが、ちょっと離れたアウトレットの入口の公園で歌った。近所に高層マンションがあって、奥様方の集いと子供達の笑い声であふれていた。ギターを出して歌い出すと、昨日の川里のように子供達が一気に集まってきた。「またね!」と子供達に告げて、帰ってきた。奥様方も「すいません、子供が騒いで、いつもやらない曲をやっていただいてるようで、本当に自分の歌を歌うのでしょうに、すいません」と気を使ってくれたりして、大井町の暖かさに触れたようだった。志木市へ着いたの6時頃。まだ早かったが、待ちきれず丸井の前で歌った。人は通るのだが、なかなか立ち止まらなかったが、数人立ち止まると、そこに続いて立ち止まる人も増えた。何人かがCDも買ってくれた。今回のキャンペーンでは「CDを売ってます」と言うと違法になってしまうので「1050円でCD差し上げてます」と言っている。7時半頃に今度は駅の南口(反対)に移動した。移動する時もギターを抱えたまま「さよならも言えなくて」を歌いながら、改札の前を通って反対側に行った。ちょんど家路の人でいっぱいの駅で注目だった。南口の方が人は沢山いる。バス待ちの人もじっとこっちを見ている。いつものストリートライブの感覚だった。9時頃に終了。大夫長い時間歌っていた事になる。ライブ終了後、埼玉の白地図を赤く塗りつぶすのだが、それを見て唖然とする「まだこれだけか・・・・」まだまだ真っ白な地図ですが、きっとこれが真っ赤になった時はきっと感激するのだろう。その時までがんばろう。明日はお休みです。というか夕刊フジの取材があるからなのですが。あさってはコンサートのリハーサル。明々後日!日高方面へレッツゴーヤング!!(古い・・)...

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ちょっと変更&行田、川里、騎西、鴻巣

市町村キャンペーンの予定が少し変更になりました。その1.12月24日の小鹿野と両神の時間が入れ替わりました。その2、12月27日の吉田町の白砂公園が 龍勢会館(道の駅)に変更以上2点です。晴れた日曜でした。今回のキャンペーンは駅前以外に今までにない公園という場所を予定にいれているが、どうなる事か不安だったが、その不安を今日は一気に覆してくれた。13時ちょっと前にさきたま古墳に到着。いつも来慣れた場所だ。天気のいい休日はみんなバトミントンや犬の散歩、家族で遊びにきている人が多い。どこで歌うかまよって、芝生で座って聞いてもらうなんてのどかでいいな、と思って、ちょうどいい芝生の角で歌い始めた。待っていてくれた人までいて、通りがかった家族連れも座って聞いてくれた。まるでいつものミニライブのようだった。グットちょっとパラダイスでは小さな子供ももりあがってすごく楽しい雰囲気だった。ファンの方にそこで売っているホットドック(アメリカンドック)をいただいた。昔子供の頃はホットドックと呼んでいたのは確かだが、まさにあの頃の味だった。夏になると近所のプールに行って、そこでホットドックを買って食べたものだ。さて、移動して次は川里町の中央公園。いつもストリートライブは全国規模で予定を組んでいたので、時間調整が難しかった。その証拠に、3時から演奏なのに、到着したのが、2時前。1時間以上、にぎやかな公園でふらふらしていた。3時になって演奏開始。たちまちちびっ子集まれ!になってしまって、15人くらいの子供達が「ポケモン歌って」とか「ドラえもん歌って」かとですっかりパフォーマーになってしまった。もちろん「さよならも言えなくて」も歌うのだが、どうやた子供にはこの歌の良さがまだ解らないようだ・・・残念!すぐに移動して騎西町の玉敷神社へ行った。鳥居があって、そこでまず歌ってみたが、だーれもいなくて、近所の子供が自転車でやってきて「なにしてるの?」みたいな感じで寒かった。そこで、その横にある玉敷公園に移動。すごく高くなったまるで舞台のような場所があって、そこで歌った。すっと待っていた人もいて嬉しかった。だんだん暗くなってきて、それでも、何人か集まってきた。さっきまで誰もいなかった公園がまるでコンサート会場(真っ暗で音だけ聞こえる)になった。ある人がペンライトをみんなに配って、みんなで点灯。これには僕もびっくり。そして「こんな僕がだれもいないだろう場所で歌っている、でもこんなにまでしてもらっている。」そんなものすごい感動が胸を過ぎった。ますますエネルギーをもらって、鴻巣へ向かった。8時からでこれまた大夫早かったので一端スタジオに戻って、ちょっと仕事をかたづけてからまた出発。北鴻巣の駅前はもう使い慣れた場所。以前ここは駅もなくて、僕ら子供にとって最高の遊び場だった。マンションも1つもなくて、ただ広い広野だった。でも駅前の(当時は駅はないが)噴水広場だけは昔からぽつんとあった。歌いはじめるとまたたくさんの人が集まってくれた。寒くなってきたのに聞いてくれて本当に嬉しい事だった。ここでもう一つ嬉しかったのが、駅から降りてくる人のほとんどが僕を知っていたのだ。ほとんど地元なのでやぱり名前は浸透していているようで嬉しかった。今日はすべて予想外。こんなに待っている人がいる、そしてこんなに立ち止まる人がいるというこれからの期待が生まれた一日だった。...

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深谷駅

全市町村90カ所ライブキャンペーンの2日目深谷の駅です。深谷は僕が高校時代2年間(?)通い慣れた場所でした。でも、駅はすっかり綺麗になっていてびっくり。以前は古い駅で、駅に入るとすぐにホームみたいな所だったけれど、今は煉瓦で作ったようなお城みたいな駅で、階段を上がった所で演奏した。遅い時間にもかかららず沢山の人が待っていてくれて寒かったけど、暖かかった。ストリートで歌うのははじめは様子をみて(ここで歌っていて注意される事はないか)歌いだすが、3曲目くらいから声量も大きくなってくる。夜10時からはじめて、11時半までやっていた。電車で帰ってくる人も数人立ち止まってくれて、歌う事の基本的な喜びを改めて知った。そういえば最近はストリートライブってしばらくやっていなかったが、全国をまわったあの頃の感覚が少しずつよみがえってきた。終わった頃にナック5、ジャパニーズドリームの富沢一誠さんから電話がきて(演奏中も着信があった事に気が付かなかったのだが)今夜のラジオで取り上げるから状況を教えてと言われた。なんだか沢山の人とつながって、一つの事をやっているという事に実感した。さて、明日は日曜日で、天気もいいようです。埼玉古墳、川里中央公園、騎西玉敷神社、北鴻巣駅と4カ所はりきって行ってきます!!...

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リハーサル開始!

いよいよ12月のソニックシティーでのコンサートのリハーサルが始まりました。今日は全員そろわず、山ちゃんと小野と松井君と僕の4人でやりました。回を重ねるごとに、「前回よりもいいステージを!」というみんなの気持ちが大きくなって、すごく前向きです。2004年の締めくくりとして、最高のコンサートになるようにがんばります。未発表曲もやるかも・・?最後は今までにない、エンディングになるかも?あー!隠し事の出来ないさくまですので、言いたくてしょうがないのですが、当日のお楽しみです。ただ一つだけ言えるのは。みんな本気です!本物のコンサートを是非、ご覧ください。さて、話しを変えて、最近携帯をフォーマにしました。なぜ変えたかというと、トイレに落として壊したからです。小野が「フォーマ」がいいよ、というのでそれにしました。テレビ電話が出来るそうなのですが、未だ使い方は解りません(笑)メモリーも消えてしまったので、メンバーや関係者からかかってきても「どちらさまですか?」と聞いてしまう。困った僕です。でも一つだけ、フォーマってすごい!と思う事がありました。それは、この日記です。今までの携帯でみると文章だけでしたが、フォーマだとパソコンで見るのと同じように写真が見れるんです!すごいでしょ!ちなみに今日の写真は巨大熊とさ熊です。2004年最後の締めくくりとして、市町村ライブ&ソニック。がんばっていきます!是非応援してください...

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生涯学習フェィスティバル 吹上公民館

スタジオに明け方到着してそのままちょっとした仕事をした。「そう言えばなにも食べていないな」気づけば、29日の夜食べた以来、なにも口にしていなかった。理由はちゃんとあった。29日に歯がちょっと崩れている気がするので、痛くはないのだが、歯医者に行った。もちろんちょっと見てもらうつもりだった。痛くないのに歯医者にいるというなんとも元気な僕だった。・・・この話しは長くなりそうなので、12月のコンサートで話す事にして、すっかり空は明るくなって、9時半にメンバー、スタッフがやってきた。即座に音響の黒澤さんが「さくま!あれほど言ったろ!収録にしておけって!歌詞間違えるくらいなら収録にしておけばいいんだよ!」なんて大笑いで言われてしまった。楽器を積み込んで10時に出発。10時5分到着。さすが地元だった。公民館の周りはすでにお祭りのようで、テントがたくさんでていて、射的やポップコーンが出ていた。今日のタイトルは「生涯学習フェスティバル」だが、文化祭のような盛り上がりで楽しかった。機材を運んで、ホールで催しものがやっているので、待機していた。12時にセッティング開始して、13時には音やめだったので、結構忙しかった。14時半から僕らは出番だった。時間がきて、司会の人が紹介する。僕は後ろ(客席)からの登場だったので、ホールの入り口に待機していた。この瞬間は不思議なものだ。これから歌うぞ!というのに「がんばってください」とか声をかけられてしまうと、笑顔で「がんばります」なんて応える。緊張と安らぎの行き交う交差点だ。(古館一郎風)松井君のピアノがはじまって、Foreverを歌った。客席の中央を抜けて、2番までは下で歌っていた。そしてステージに上がった。今日は耳が不自由な人もいるという事で手話の人が舞台のすぐ下にいた。耳が聞こえない人は風船を抱かせるとその振動で音楽が楽しめる。と黒澤さんが今まで経験からアイディアを出して、その場で僕が風船をふくらまして、耳の不自由は人にそれを差し上げた。すごく喜んでくれて嬉しかった。「これで、ここにいる人はみんな音楽を楽しめる訳です!では最後までごゆっくりお付き合いください」そう言って「YUMEしかなかった」に入った。そして中越地震の話をした。実は僕は小千谷という街を5年前くらいから知っていて、有線全国キャンペーンの時に小千谷放送所というのがあって、そこを訪ねた事があるんです。昔ながらの日本というすごくいい街で、大きなビルもなく、車も少なく、のどかな街。そしてなにより人が温かい街です。早く普通の暮らしが出来る事をいのって、新潟で作った歌「手紙」そして雪が降る頃には暖かい雪が見れますようにと願いを込めて「こな雪はスローモーション」2曲聞いてください。そう言って、歌った。97年から98年にかけて行った伝説の有線全国キャンペーンの想い出は今でも鮮明で、歌いながらも小千谷の街、長岡の街、燕、三条、と次々に新潟の街並が浮かんできた。そしてリクエストコーナーになった。「心の旅」をリクエストしてくれた人がいて、歌った。そして「冬のソナタ」またもやヨンさまならぬ「ヒデさま」が登場した。そして、「元気」でみんなで踊りを踊って、会場は一つになった。最後は「さよならも言えなくて」すぐにアンコールがかかった。そして舞台に出て、「アンコールありがとうございます!しかも今日はみなさんタダで見てるのに」と大爆笑だった。最後は「ChangeMyHeart」で幕を下ろした。大満足のステージだった。今日はいつもより疲れた気がした。それは寝不足だったからというだけではなかった。会場に耳の聞こえない人がいる、それでも僕達の音楽を聞きにきてくれている。だから手話の人にしっかりと歌詞が解るように歌っていたのだ。手話の人もすごいと思う。歌詞もなにも渡していないのに、その場で僕の歌を聴きながら直訳している。音楽というのは音が聞こえなくても楽しむ事ができるという事が嬉しかった。もちろん、聞こえる人に比べれば数倍も不都合はあるが、僕のいつも音楽のあり方についての考えがある。それは、携帯電話は電波というもので会話をする。空気に電波を通して繋がるのだ。音も空気を振るわせて伝える。僕の声帯が震えて、口から出ると、そこにある空気を振動させて、マイクのコーン紙を振るわせる、そしてケーブルを通って、スピーカーを振るわせる、それがそこの空気を振るわせる、そしてそこにいる人の鼓膜を振るわせる。それが音の原点だ。ところがこれは音楽の原点ではないと思う。というのは一つ乗せ忘れているもにがある。さっきの説明では、はじまりは僕の声帯、終わりは聞く人の鼓膜。そうではなく、始まりは僕の心で、そこから発した心が声帯を震わせる。すると、最後は鼓膜ではなく、その後に聞いている人の心まで振動するのだ。そうなると、音は鼓膜を振動させないと伝わらないが、音楽は鼓膜でなくてもいい、体でもいいのだ、体に伝わった振動が心に入るのだ。そんな風に人の心のやりとりは続いてきたのだと思う。形のない心だがちゃんと伝える事が出来るのだ。昨日はラジオで生歌、これも僕の心から発したものが、声帯、マイク、ケーブル、そして電波になり、スピーカーを振るわせて、鼓膜に入り、心へ届く。今日も心から声帯、マイク、ケーブル、スピーカー、そして鼓膜や体を震わせて、心へ入るのだ。心というのは実は伝えにくいようで、簡単に伝わるのだと思います。その人の心次第で、ちゃんと伝わるのでしょう。今日はそんな事を改めて気づかされた一日、・・・二日間でした。スタジオに戻った頃はもう薄暗くて、そこで全市町村キャンペーンの予定表を配った。みんなでじっくりと見て、作戦を練って「よし、がんばろう!」という一言でみんなの心が一つになった。「おつかれさまでしたー」みんなが帰ったあと、急に眠気がさしてきた。「そうか、寝てなかったんだ」あまりに楽しくて、充実していてそんな事はすっかり忘れていた。そんな人生を送れている僕は本当に幸せだとつくづく感じた。今日はなんだかいい夢が見れそうな気がします。「おやすみなさい」...

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