kumakuma-blog

2006年

2006年ファイナル!行田長光寺、除夜の鐘コンサート

今年はなんと、数えてみたら、210本のライブをやって来ました。そんな2006年をちょっと振り返ってみました。【2006年の重大ニュースベスト20】1位:「ただ見つめてただけの初恋」メジャーデビュー2位:FMNACK5「JapaneseDream」1月度グランプリ受賞3位:若者の交通安全チャリティライブ出演4位:有線放送問い合わせチャート2位を獲得5位:鴻巣フラワーラジオ「クマクマパラダイス」スタート6位:FMNack5飲酒運転撲滅キャンペーンソングに「いま守りたいもの」7位:ふるさと埼玉全市町村71カ所キャンペーン達成8位:県民の日スペシャルみんなで考える交通安全イベント出演9位:東京全区23カ所ライブキャンペーン開始10位:交通安全メッセンジャー協定を鴻巣警察と交通安全協会と結ぶ11位:財津和夫「人生ゲーム21」ゲスト出演12位:栗橋町静御前まつり「舞姫」を披露13位:テレビ埼玉でCMを制作、放映14位:FMNACK5 次々にゲスト出演15位:ルートイン華のゆ「玉次郎がやってきた」発表16位:伊豆修善寺温泉で入浴してはいけない「独狐の湯」に知らずに入浴17位:TBSラジオ毒蝮三太夫の番組で毒蝮さんの一言から生歌を披露18位:地元のスタジオに巨大な看板制作19位:吉見なの花まつりで初めて気球に乗って歌う20位:母校吹上北中学校の学校評議員になる番外:さくちゃん特製きんぴらごぼうが見事完成今年は合計210本のライブをやったのですが、その210本目、大晦日は、はじめての会場、行田市の長光寺です。色々な場所で歌った事がある僕ですが、お寺の境内で歌うのは初めてでした。ここの住職さんがすごく音楽を愛する方で、毎年大晦日は除夜の鐘コンサートを行っているのです。閑静な利根川近くの会場に着くと、ロウソクの炎が綺麗に列になってゆらめていてすごく幻想的でした。今年の冬は「凍えそう」という寒い日はなかったのですが、大晦日になってやっと胸はって「冬」と言えるような寒さでした。でも、やっぱり日本の大晦日は白い息が似合いますからね。控え室には年越しそばが用意してあって、お寺で食べる、まさに本物の年越しそばをいただく事が出来ました。本番は10時30分から。境内の上から、一曲目は「ここにいるから」で暖かくはじめました。歌っていると白い息がこぼれていて、気温の低さを感じましたが、見てくれる方が沢山いて、しかもお寺でなんだかなにかに守られているような気持ちで、心は暖かでした。11時20分に第一部最後の歌「青い地球」を歌って、いよいよ除夜の鐘。しかも、生まれて初めて除夜の鐘をつかせていただきました。澄んだ夜空に鐘の音が響きわたっていきました。除夜の鐘の列が続く中で、2部のステージがはじまりました。ここではみなさんからのリクエストで盛り上がりました。そして、いよいよ今年最後の歌になりました。カウントダウンがあるので、時間との戦いなんですよ、年末のライブって(笑)45分に最後の2曲をはじめないと、歌っている間に年が明けてしまいますからね。45分を過ぎて、今年最後前の歌は、このお寺の雰囲気にぴったりで、そして、2007年に飛躍できる夢を託して、「舞姫」そして、最後はやっぱり今年一年間歌い続けてきた歌。「ただ見つめてただけの初恋」で締めくくりました。会場には117の時報が響き渡り、いよいよカウントダウン。みんなで声をあわせて、「10,9、8・・・・」と数えている時、今年も本当に感謝でいっぱいだったと心で色々と想い出していた。「3,2,1,あけましておめでとうございます!!」2007年がはじまりました。鏡割りも行われ、新年の挨拶が会場内に響き渡りました。長光寺で幕を開けた、2007年は、不思議と「いい年になる」そんな実感がわいてきました。住職さんも奥さんもすごく気に入っていただけたようで本当に嬉しかったです。中学の時の友達も「ラジオ聞いてきたよ!」と駆けつけてくれました。いつも応援してくれるファンの方も一緒に年明けを迎えられて最高に幸せでした。2006年は本当に楽しい一年でした。沢山の方に「ありがとうございました」。そして、2007年も沢山の出会いに期待して、沢山の方の応援で、さらにがんばって行こうと思います。...

詳細ページ

宇都宮ESPRIT

毎年カウントダウンをやっている宇都宮BIGAPPLEですが、今年は地元の予定が入ってしまって、どうしても31日に行く事ができません。そこで、30日に宇都宮のエスプリで行われる前夜祭に出演させていただく事になりました。クールスのジェームス藤木さんも出演するすごい企画でした。会場に夕方到着すると、店長さんが駐車場を案内してくれました。もうリハーサルもはじまっていて、お忙しいというのに、僕の車に乗って場所を丁寧に教えてくれました。その時に「さくまさん、先日ラジオに出ていましたよね」と言うので、宇都宮の方で最近ラジオは出ていないし、なんの番組だろう?と思って、よくよく聞いてみると、ナックファイブを聞いてくれていたのです。僕は栃木の方はみんなラジオベリーを聴くのだと思っていたので、びっくりでした。「私はいつもナックファイブを聴いてるんですよ」と言って、すっごくうれしかったです。もちろんラジオベリーもすばらしいラジオですよ。会場に入ると、2階に席もあって、広々として、すごくいいライブハウスでした。丁度ジェームス藤木さんがリハーサルをやっていて、大物のパワーを見て、すごく勉強になりました。ビックアップルのオーナー小野さんがドラムを叩いていて、娘のマイちゃんがベースを弾いていてびっくり!ずっと前からいろいろとお世話になっている方もいて、地元じゃないのに、ファミリーな場所に帰ってきたような気持ちでした。19時に司会の呼び込みで、僕は2階の客席から登場して、みんな大爆笑でした。途中、お客さんと会話したり、楽しい45分のステージでした。一番目の出演だったので、早い時間に終わりましたが、このイベント、なんと明け方4時くらいまでやっているそうで、ずっといたかったのですが、残っているお仕事があったので、已む無く帰ることにしました。帰る時も、店長さんが笑顔で挨拶してくれて、小野さんファミリーも見送ってくれました。そして、ビックアップルスタッフの方の弟さんと、その彼女さんが、ギターを持ってくれて、車まで運んでくれました。「すいませんです、ありがとうございます」と言うと「いいえ、いいえ!大丈夫です」と快く応えてくれました。車に行く途中、「着メロ、ダウンロードしましたよ!、あと、大宮のコンサートもまた行かせていただきます!」と言ったので、「大宮まで来てくれたんですか!!?」と聞くと「はい!行きました!また行きます!」宇都宮から大宮まで足を運んでくれるなんて、本当に感激でした。そして、宇都宮でも、僕の歌を気に入ってくれている方がいる、という事がすごく勇気になりました。車が出るまで、そして見えなくなるまで、見送ってくれました。今日来てくれたお客さんも新幹線で埼玉から来てくれた方がいて、本当にうれしかったです。また宇都宮でライブやるぞ!2006年の終わりになって、また心があたたまり、幸せをたくさんもらえた一日でした。写真:宇都宮ESPRITの店長さんと。(エスプリ、ホームページもあるので、是非ごらんください「宇都宮エスプリ」で検索)...

詳細ページ

今年の春の写真かな?

夕暮れのテニスコートで撮影しました。確かラジオの出演の帰り道だったかな?...

詳細ページ

FMNack5ナックウィズユーゲスト出演&21日ペニーレーン楽屋写真

「いま守りたいもの」がNack5とTBSで行っている、飲酒運転撲滅キャンペーンのイメージソングになってから、ゲスト出演が増えてきて本当にうれしいです。大宮にあるナックファイブに11時半に到着、いつもお世話になっているみなさんにご挨拶して、控え室で時間になるのを待ちました。制作の方が、打ち合わせに来て、一通りの流れを聞いてから、いざスタジオへ!いつも車で聞いていたあいざわげんきさんの生の姿に初めてお会いして感動!「さくまひできです!よろしくお願いします!」と言ってマイクの前に座った。コーナーになる前に、僕のプロフィールをみて、いろいろと話をしていましたが、バイクがお好きなようで、塩原温泉の話に二人で盛り上がっていました。時間になり、ゲストコーナーがはじまった。この電波の向こうでたくさんの人が聴いていると思うと、手に汗をかくようだった。トークは10分間で、なにを話そうかいろいろと悩んでいましたが、はじまってしまうと、あっという間でした。途中「いま守りたいもの」を流していただき、再びトーク。全国ツアーの話や、キャンペーンの話をして、またまたあっという間の10分間で、最後は「ただ見つめてただけの初恋」を流していただきました。終わったあと、専務さんも来てくれて、プロデューサーさんも来てくれて、感動でした。僕が10年前、インディーズ初のCD「愛を感じたい」をリリースした時に、CDショップや有線放送、そしてラジオ局もまわっていました。ナックファイブに挨拶に行った時、二人の男性が出てきてくれて、右も左もわからないアマチュアの僕に「がんばってね!」と言ってくれました。なんのアポイントもなしに出向いたのにもかかわらず、お二人はすごくよくしてくれました。いつかこの方と一緒に仕事が出来る日が来たらいいな、そう思っていました。そして、一人の方とは、ジャパニーズドリームが担当だったので、出演させていただき、夢が叶いました。そして、もう一人の方が、このナックウィズユーのプロデューサーさんだったのです。あの時と変わらぬ笑顔で僕に握手の手をさしのべてくれました。本当にうれしかったです。むこうはもちろん、お忙しい方ですから10年前の事なんて覚えていなかったのですが、僕は昨日の事のように覚えています。僕のコンサートを支えてくれるミュージシャンのドラム、山地厚臣君の実家、岡山でライブをやった時に、山ちゃんのお父さんが僕に言った一言があるんです。その言葉は今でも、僕の胸の中の財産です。「人は、誰かにしてあげた事は忘れてもいい、けれど、誰かにしてもらった事は絶対に忘れてはいけない」放送が終わった後、みなさんにご挨拶をして帰りました。スタジオを出る時、心の中で「またこの場所へ帰ってこれますように」と願っていました。これからも地元のFMラジオ、ナックファイブを愛して、がんばって行こうと思います!放送を聴いてくれた方、本当にありがとうございました。そして、聴けなかった方も、またの機会がくるように僕もがんばりますので、応援してください。写真:12月21日東京23区キャンペーンファイナル原宿ペニーレーンの楽屋。最後の緊張をほぐしています。...

詳細ページ

冬の台風??

今日は一日雨。しかも、今深夜1時ですが、雷がなってます。冬の台風ですね。みなさんも気を付けてください。僕はフジッコのカスピ海ヨーグルトを食べて寝ます。明日はナックファイブ ナックウィズユーのゲストです。12時~13時の間に出演します。是非聞いてくださいね。FM79.5...

詳細ページ

メリークリスマス!!

今年はデビューして、埼玉の全市町村まわって、12月10日にソニックシティのコンサートがあって、東京23区も達成して、クリスマスはホッと一息の時期です。これからもすてきな歌をみなさんの心にプレゼント出来るように、さくまサンタ、がんばって行きます!!メリークリスマス!!...

詳細ページ

ファンクラブイベントクリスマスコンサート

毎年クリスマスに行われるファンクラブイベントでした。会場は志木市民会館の敷地にある、パルシティ。広くて、以前も何度かやっているので、使い勝手がわかっていたので、この会場になりました。倉庫からツリーを出して、フライと焼きそばと、きんぴらを鍋のまま車に積んで出発。会場に着いて、準備がはじまった。テーブルクロスとかも、その場で作ったり、どこになにを飾るか決めたり、手作りの楽しさでした。お菓子やジュースが必要なので、近くのスーパーに行きました。そして、なにがいいかなぁ?って考えながら、カートを転がして、ジュースやお菓子を山のように買いました。今回の僕的なポイントは、お菓子のラムネです。飴だとなめてる時間がかかる、チョコレートだと、甘すぎる、そんな時、お菓子のラムネって懐かしい気持ちもあるし、ちょっと口に入れるとすぐになくなるし、さっぱりしてるし、いいかな?と思ってセレクトしました。16時半に開場。いつもは開場時は僕は楽屋にいるのですが、今日はファンクラブイベントなので、最初からサンタの格好で会場をフラフラしていました。入ってきた方にフライと焼きそばを渡して、手作りのきんぴらゴボウを盛ってあげました。そして、それぞれ食べはじめて、僕もまたフラフラ(笑)食事が終わったあたりで、いよいよステージ。今回のステージはいつもと違う事をしようと思って、なにを歌うか、まるっきり決めずに、ファンの方に曲を決めていってもらうという、初のスタイルにしました。ファンの方の選曲でコンサートが進んでいきました。もちろん途中途中でその曲が完成するまでのエピソード等も話したりして、楽しかったです。40分くらいやってから、休憩。いつもの休憩なら、僕は楽屋に戻るのですが、今回は「流しをやってます」と言って、各テーブルをギターを抱えてまわっていきました。それぞれのテーブルで会話をしたり、歌ったりして、すっごく楽しかったです。そして、後半はクリスマスソングを歌ったり、みんなで踊ったり、普段歌わない曲をやったり、クリスマスならではの選曲で進んで行きました。アンコールもいただき、「ピアノがあるから、これでやりましょうか?」という事で「オリオン」を歌った。そして、最後に「おやすみ」で想い出に残る、ファンクラブクリスマスコンサートが幕を下ろした。最後は、一人ずつポラロイドで記念撮影して、それにサインを書いた。本当に沢山のファンの方に支えられている事を実感したコンサートでした。もちろん、ファンクラブの会員さんは全国各地にいらっしゃるのですが、どうしても埼玉でのイベントになってしまうので、いつか全国各地でファンクラブイベントが出来たらと思っています。今日は来れなかったファンクラブの方にも、ちゃんと届くように歌いました。そして、そんなファンの方々にもちゃんと支えられております、いつもありがとうございます。今日は本当に素敵なクリスマスイブを過ごせました。一人一人の笑顔がちゃんと胸に刻まれた一日でした。ファンクラブのみなさんへ!メリークリスマス!!【さくまひできファンクラブ入会は】メールか電話でお問い合わせくださいhsd@music.email.ne.jp048-548-7685*2ヶ月に1度、情報満載のクマクマ新聞発行*あなたの誕生日に、素敵なカードが届きます*チケット先行発売あり*ファンクラブイベントあり...

詳細ページ

羽生華のゆクリスマスイベント&FMNack5ゲスト出演

八月に3周年記念イベントがありました。その時にはじめて市川和男さんと共演して、支配人さんと3人で盛り上がったステージになりました。その日「次ぎはクリスマスにやりましょう!」という話をホテルのロビーでしました。まだまだ先だと思っていたのですが、時の流れは早いもので、もうクリスマスがやってきました。今回は着グルミのクマさんが登場して、クマさんが司会進行でステージが進んで行きました。全部で3回ステージ。2時に最初のステージがはじまった。まずは僕からでした。クマさんの司会で「玉次郎がやってきた」からはじまった。途中で玉次郎、玉姫も登場して、続けてGoodちょっとパラダイスで会場は盛り上がった。クマさんと玉次郎玉姫が一端去ってから、「聖夜」「ただ見つめてただけの初恋」「舞姫」と続いた。そしてクマさんがまた登場して、次ぎは市川和男さんのステージ、その後にジョイントでした。ジョイントの時はサンタの衣装を着て、「赤鼻のトナカイ」そして、「クリスマスイブ」クリスマスソングメドレーをジョイントでやりました。最後はこの日の為に支配人が書いた詩に僕が曲を付けてアレンジをしたクリスマスソングを披露しました。この歌はタイトルがまだ決まっていなかったのですが、それもそのはず、なんとお客様に考えていただいて、採用された方には華のゆ入館券10枚!なんて素敵な企画なんでしょう。2回目のステージは5時から。市川さんが最初にやって、その後僕のステージ、最後はジョイントでした。ジョイントの時に「恋人はサンタクロース」をやったのですが、サビの所で、僕と市川さんで一緒にハーモニーパートを歌ってしまって、主旋律がいなくなってしまったというハプニングもありましたが、それもそれで楽しかったです。3回目は8時から。最後のジョイントのクリスマスソングの時にペンライトが用意されて、会場も暗くしてみんなでペンライトを振ってロマンチックに時間が流れていった。こうして楽しかったクリスマスイベントがあっという間に終わってしまった。本当に楽しかったですね。前回見てくれた方もいたり、他の会場で見て、今日来てくれた方もいたりで、嬉しかったです。控え室がホテル側にあるのですが、舞台が終わって、エレベータに乗るのですが、誰も見ていない事を祈るのです、だってサンタの格好でサングラスですからね(笑)控え室がある階でドアが開くと、そこに子供がいて、ものすごくびっくりしていた時もありました。別の回の時も館内着を着たかたがいて、やっぱりびっくりしていました。サンタの格好に驚いているのだろうと思っていたのですが、いきなり「さくまさんですよね!?」と言われたので、ものすごく恥ずかしかったです(笑)ステージが終わって10時。すぐに着替えて、会場を出発して銀座へ向かった。FMNack5ウィークエンドパーティーのゲスト出演でした。車でラジオを聴きながらスタジオに向かいました。深夜12時から番組がはじまり、「今日のゲストはさくまひできさんです」と流れてきた。そして、「今日はサンタさんが例のもの持ってきてくれるからね」とフライと焼きそばの話をしていて、車で一人笑っていた。間もなく到着して、スタッフさんやレコード会社の方、パーソナリティの一誠さん、ケイティーさん、みんなでうちの実家のフライと焼きそばを食べた。1時40分頃から僕の出番になった。スタジオに入ると、心の中で「またこのスタジオに帰ってこれた」と感動しました。でも、前にやっていた番組「ジャパニーズドリーム」の時からこのスタジオでは出させていただいていたので、変な緊張感もなく、気持ちも馴染んでいました。東京23区をまわった話をして、盛り上がった所で「ただ見つめてただけの初恋」の生歌。スタジオの中って、完全な無音状態なのですが、完全な無音空間って、すっごく無になれるんです。イントロをギターで弾き始めて、歌い出すと、ヘッドホンから自分の歌声が聞こえる。「この歌が今、電波を飛んで、関東全域に届いているんだ」と思いながら歌いました。ファックスやメールも沢山いただきまして、ありがとうございました。放送中はテーブルにファックス用紙が沢山広げられていて、「こんなに沢山の方が送ってくれたんだ」と嬉しくなりました。時間の都合で全部を読めなかったのですが、ちゃんと見ていましたよ。中半は交通安全の話。鴻巣のイベントから始まり、今ではナックファイブの「飲酒運転撲滅キャンペーンソング」になでなっていて、毎日何度も耳にするようになりました。今日も銀座スタジオに来る時に聴きました。色々な経緯を話して、「いま守りたいもの」が流れました。曲中も一誠さんが「いいね~」といいながら聴いていました。後半は「舞姫」についての話をした。そして、最後にケイティーさんが「一誠さんも歌手目指してたんですよ」と言ったので、「ええ、もちろん知ってます」と応えた。僕は一誠さんの本を沢山読んだ事があるので、長野から出てきて東大に入って、歌手を目指していた事はよく知っていた。一誠さんが「カラオケで歌う歴史でいえば、私の方がキャリアがあるからねー」と言ったので、「以前、長崎で18番聴かせていただきましたよ」とさだまさしさんのイベントで一誠さんと会った時の事をちょっと暴露してしまって、ミキサーブースのスタッフの方も笑っていました。最後に「舞姫」が流れて、40分くらいの長くて、楽しいゲストが終わりました。毎週電話で出演していましたが、やっぱり生のゲストっていいですね。話のタイミングも合うし、まさに生で放送しているという実感があります。レコード会社の方とは、来週のゲスト出演の時にまた会うのですが、ウィークエンドパーティーの方々とは今年はこれで最後なので、「よいお年を」と言って帰ってきました。帰り道も、東京23区をまわっただけあって、地図やカーナビいらずで帰ってこれました。家に着いたのが午前4時。明日はファンクラブのクリスマスコンサートがあるので、早く寝ようと思ったのですが、手作りのきんぴらゴボウを食べさせたい、という一心で、24時間のスーパーに自転車を走らせていました。大量のゴボウと人参を買って、作り始めたのですが、切っているうちに、「やっぱり無理かな?今からじゃ無理かな?」ってずっと考えながら、気が付いたら5時過ぎにきんぴらが完成してしまいました。以前も日記で書いた通り、味付けは沖縄のお酒、泡盛で付けています。仕上げはラー油です。さて、では、3時間だけ寝ます。...

詳細ページ

昨日ペニーレーンの写真

...

詳細ページ

東京23区、23カ所目ファイナル、渋谷区原宿ペニーレーン

11月7日からはじまった、「ただ見つめてただけの初恋 東京全区23カ所ライブキャンペーン」も早いものでファイナル!!最後は渋谷区原宿ペニーレーンでした。キャンペーン中は駅前でのストリートライブが多かったのですが、今日はライブハウスという事で思う存分出来ました。1月25日に「ただ見つめてただけの初恋」をリリースした時から、いつかペニーレーンで出来たらいいな、とずっと夢を見ていました。当時はまだオープンしていなくて、作っているという話をきいていたのですが、やっとオープンして今回また一つ夢が叶いました。ギターだけでのステージを最初は考えていたのですが、最近ピアノの音に自分の声がすごくマッチする事に気が付き、ピアノも弾くことにしました。リハーサルを済ませて、テーブルには小さなポインセチアが並んでクリスマスのムードになっていましたが、嬉しい悲鳴で予定よりも沢山のお客さんが足を運んでくれて、テーブルも出して、最後はイスだけになっても満員でした。19時に楽屋からステージに出てびっくり、ものすごく沢山のお客さん!!「青い地球」からしっとりとはじまり「ChangeMyHeart」と続いた。途中のトークで「今日は、最前列がものすごく近いですね!」と言って会場も笑いがあふれた。23区のファイナルという事もあるのですが、来年でインディーズデビューして10周年。そこで今までのさくまひできを思い返すような選曲にしました。懐かしい曲のメドレーとしてピアノで「愛を感じたい」「心変わり」「愛という名の列車」を歌いました。中半は今年何回歌ったかわからない程、歌い続けた「ただ見つめてただけの初恋」を披露した。これを歌っている時は、やっぱり23区の想い出がいくつも浮かんできました。後半はこれからのさくまひできを見ていただこうと「いま守りたいもの」「舞姫」を歌った。90分という時間はあっという間で、最後はアップテンポで「ミカン色の時期」「愛>夢>愛」で盛り上がった。アンコールが鳴り響く。再びステージに上がり、「たった一人のアンコール」そして、1ヶ月半、塗り続けてきた23区の地図の最後に残った渋谷区を赤く塗った。前回の埼玉71カ所の時もこの最後を塗る時は、本当に泣きそうになります。10月に自分で作った地図、「これをまた一つ一つ塗っていくのか・・・?」とちょっと気が遠かったのですが、色々なドラマを重ねて、ボロボロになった地図の最後の一つを塗る時は心が動きます。ピアノに座り、最後は「オリオン」を歌い、長いようで短かった23区キャンペーンが無事に幕を閉じた。終わった後に、関係者の方が楽屋に来て、みなさんすごくよかった!と言ってくれました。そして今日見てくれたお客さんの顔は一生忘れないです。2007年ももうすぐ終わりです。そして来年はインディーズデビュー10周年、メジャーデビュー1年の年になります。ずっと御世話になってきた音楽評論家の富澤一誠さんも来てくれて、ライブの後、色々な話をしました。思えば右も左もわからない22歳の頃。僕の地元、鴻巣市(旧吹上町)に月居和則(ツキオリカズノリ)さんがいた事からドラマがはじまったのです。彼のデモテープのレコーディングを頼まれて、その頃活動していたバンドでアレンジをして平塚のスタジオでレコーディングしたのです。そして、その曲が富澤一誠さんのラジオ番組から流れました。その時はすごく感動でした。自分の歌ではなく、月居さんの歌のバックのギターですが、自分のギターの音がラジオから流れてきた時はラジカセの前で正座して聴いたものです。月居さんのプロデューサーが富澤一誠さんでした。そして、紹介していただき、僕の作品を聴いてもらいました。そして、新曲を作るたびに送って、アドバイスをいただいていました。そんなある日、僕の実話を元に作った「平凡だったけど」という歌を聴いて一誠さんが電話をくれたのです。「この歌、ラジオで流してみよう!」そして、その番組で120曲くらいある中の13位という敢闘賞をいただいたのです。でも決してその後はスムーズではない道のりが待っていました。次ぎの歌を送っても送っても、全然認めてもらう事は出来ませんでした。そして何年か過ぎて、「心変わり」という歌が誕生した。そして、当時FMナックファイブのパーソナリティをやっていた「樹摩璃」(イツキマリ)さんというシャンソンの歌手への楽曲提供が決まりました。「愛という名の列車」そして「心変わり」がCDとして発売されたのです。発売日は地元のCDショップに走りました、でもどこに行っても見つからず、何件も何件もまわりました。一日中さがして、諦めた時、地元から50キロ離れたCDショップで見つけたのです。その瞬間は思わず声が出ました「あった!!」それからも、険しい道は続き、僕は「人に頼らずに自分に力を付けていかなくてはいけない」そう思って、自主制作でCDを出した。それが97年3月に発売した「愛を感じたい」だ。そして全国の有線放送とCDショップをまわった。やがてストローを結成した。ストローの作品もインディーズで発売していたが、メジャーでの話はなかった。それでも街角で歌っていて、「よかったよ」「感動しました」という人の声に励まされて、歩いてきた。「ドリーマー」というCDを出した頃は、もう限界を感じていた。それでも、なにかしないとと思い、一誠さんのラジオ番組の前にこのCDを持って銀座のスタジオを訪ねた。その日、僕はずっと一緒にいた彼女と別れた事を告げた。一誠さんとも何度もお会いしているので、いつか「彼女は?」と聞かれる事が怖くて、自分から先に告げたのだ。すると、しばらくうつむいて、「アーティストというのは、そういう出来事をしっかりと受け止めて、歌にしていく、辛くても歌にする、それがアーティストだよ」と言った。それから半年後「さよならも言えなくて」が生まれた。一誠さんがこの歌を聴いた時すぐに電話をくれた「これだ!」それから2年後、2004年「さよならも言えなくて」でメジャーデビューを飾った。それからもまだまだ道のりは険しかった。各地でキャンペーンをして、埼玉をまわって、やれる事はなんでもやろうと思った。ふるさと埼玉全市町村90カ所キャンペーンを達成した2004年の終わり、ものすごい空虚感を味わった。終わってしまって、これは無駄な努力だったのかもしれない・・来年からどうなるのだろう?そんな時、また一誠さんから電話がなった。「関係者がさくまくんのがんばりを見て、次ぎの作品も出そうと言ってきたので、曲を作って」嬉しさに涙が出そうだった。そして、2005年そうそうから曲作りがはじまった。でも、作っても作っても納得行く作品が出来なかった。この時にはじめて、作品を産み出すつらさを味わった。何十曲も作って、「これだ!」という作品が完成したのは、秋も深まった頃でした。その曲のタイトルは「ラムネ色の物語」のちに「ただ見つめてただけの初恋」とタイトルを変えて、レコーディングがはじまった。2006年1月25日、長い時間をかけて、さくまひできとしてのソロデビュー曲が発売になり、その月のラジオでグランプリを受賞、そして全国の有線放送問い合わせチャートで2位、CDショップの売り上げ8位、等々、この歌は翼を広げはじめた。もちろん、そこに頼る事は考えていなかったので、常にアーティストから出てくるパワーを惜しみなく出していった。埼玉71カ所をまわり、秋の交通安全イメージソングを作りコンサートを行い、東京23区をまわった。最初は来年東京をまわろうと考えていたのだが、そこで背中を押してくれたのは、やはり一誠さんでした。「みんな待っているから、予定を早く組んで、がんばってやってみよう!」その一言で、僕は東京の地図を買ってきて、歌える場所にしるしを付けた。しるしを付けている時は、歌う時の事をイメージしている、そうすると逆に気持ちが弱くなっていった。ここで歌えるのだろうか? ここは人が立ち止まってくれるのだろうか?悪い方に考えが進んで行くのだが、「やるしかない!」そう心に決めてはじまった。そして、今日終わってみると、すべてが最初にイメージしていた悪い事はなにもなかった。いつでも聴いてくれる人がいて、立ち止まってくれる人がいる。そして、満席でファイナルを迎える事が出来たのだ。いつも思うのだが、「やってよかった」そう心から思えたキャンペーンでした。帰り際に一誠さんが言った一言に感激しました。「だいぶ時間がかかったけど、やっと追い風が吹いて来たね、でも追い風っていうのは、待っていても吹いてこない、どんな苦しい思いをしても、どんな辛くても、自分の力で歩いてきて、その結果がある所までいった時に、はじめて追い風は吹く。これからもがんばろう!!」そう言って帰っていきました。追い風。思えば一誠さんと出会った時、僕は追い風に身をゆだねた。「これでなんとかなる、プロになれる」そう思いこんでいた。でもそれは間違いだった。そして、10年かけて、アーティストパワーをかけて歩いてきた。きっと一誠さんはその事を10年かけて僕に教えてくれたのだと思います。もしも本当に今、追い風が吹いてきているのなら、僕はすごく嬉しく思うが、そこに頼らず、自分のパワーも落とさずに、追い風と共にがんばって行こうと思っています。僕に生まれるパワー、それは僕の歌を心から感じてくれて、そして笑顔になって、時には涙を流して聴いてくれる、そんな人達の心に支えられています。すべての人に感謝の気持ちを持って、そしてその期待に応えられるように、これからの道を歩いていきたいと思っています。夕方、賑やかだった表参道も、すっかり人がいなくなって、静になっていた。「ふぅー寒い・・・」東京23区を歌いきった僕の背中に追い風が吹いてきた。それはまるで23区の想い出が僕に「よくやったな」と言っているようだった。空を見上げると綺麗な星空が映っていた。「東京でもこんなに綺麗な星が見えるんだな・・・さて!帰るぞ!」一度だけ拳を強く握ってから、僕は駅へと歩きだした・・・。明日という場所へ、そして夢という場所へ向かう道をまた、歩きだした・・・。...

詳細ページ