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2004年

南千住 LALAテラス  

はじめての出演の南千住。実は昨日は鎌倉芸術館で伊勢正三さんのコンサートがあって、行ってきました。本当は東京でやるコンサートに行ければよかったのですが、予定が合わなくて、結局鎌倉まで行ってきました。かつて平塚まではあるイベントで月2回くらい行っていたので、その距離はなんともなかった。平塚のオリンピック(現在OSC湘南シティー)の湘南デビュープロジェクトというのに出ていた。選ばれた6組のバンドが10月~5月までの間にステージで月に1度演奏、それ以外に施設内でストリートライブを20回くらい、そしてその為に発売したCDを5000枚売る。署名を1万人集める。という過酷なイベントだった。達成したらデビューが待っているというものだった。雪の降る寒い中演奏した日もあった、朝はいつも6時頃吹上を出て行った。でも結果的に達成はしなかったが、1番になれた。2001年5月5日にやった最後のファイナルは天気もよく「これで最後だ!」という過酷な世界からの卒業のようで最高のステージだったのを覚えている。さて、また話しがそれてしまいました。鎌倉でのコンサートはピアノと弦楽4重奏(バイオリン2人、ビオラ、チェロ)と伊勢さんがギターで歌う。シンプルな編成だったが、僕的にいつかやってみたい編成で「やっぱり先輩だ!先をこされた」と思った(伊勢さんは同じフォーライフミュージックでしかも大林監督のパーティーで何度もお会いして、なごり雪を一緒に歌った事もあった。大先輩だ)コンサートが終わって、楽屋に行って挨拶をしたかったが、今回は普通にチケットを買ってきていたので、裏には入れないと思っていたが、それではいけない!もっと攻めていこう。と思って、楽屋口の警備の人に「伊勢さんと同じレコード会社のものです」と言って、確認してもらって中に入れた。伊勢さんの僕を見ると「お!」という顔で喜んでくれた。「弦楽4重奏いいですよねー」と僕が言うと「いいでしょーすごくいい世界が出来るよね」と言った。僕もソロCD「愛を感じたい」のカップリング「心変わり」の時から弦は入れている、その時はアレンジャーもつけて、11人の弦でレコーディングしたが、その後、THEENDという曲で弦楽4重奏を入れた、その時から僕が自らアレンジをしている。そして、Mysongforeveryone、遠い記憶、Dreamer、Thankyou&GoodBye/ChangeMyHeart/さよならも言えなくて。と弦を入れてきた。やっぱり僕も弦がすきなのですごく共感できたステージだった。「おつかれさまでした」と言って、鎌倉を後にした。東京へ向かう途中、鶴ヶ岡八幡宮を通った。小学校の時に修学旅行で来たことを思い出した。「大銀杏のあたりでだれかが殺害されたんだよなー?だれだっけなー?」なんて考えていた。やっぱり歴史は覚えていないものですね(笑)東京で一泊して、いよいよ南千住ララテラスへ向かった。天気が悪く、結局1階の通路でやることになった。舞台を作って、リハーサルをした。今日はベースの小野と2人だった。本番は14時から始まった。霧雨が降っているせいもあって肌寒かった。2回目のステージもたくさんの人が見てくれて、調子にのって最後は後ろの方まで行ってしまった。このララテラスも志木ららぽーとからの紹介だった。こうしていろいろの場所に紹介していただいて、いろいろな人と出会えて、最近本当に一つの出会いから無数の出会いが待ってるんだな、と思います。よーし!今度は天気のいい日にまたララテラスにくるぞ!と心に決めた。...

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太田LOVE

昨日まで実は宇都宮にいました。今年2月に富澤一誠さんの紹介で、音協(全国でイベントを主催する会社)の各地の人が集まる懇親会があって、そこに出演した。その時に栃木県音楽文化協会の方が「是非娘の結婚式に出演してほしい」という話しになった。僕らも光栄で「是非やりますよ」ときまった。「・・でいつですか?」と聞くと「9月です」その時はだいぶ先の話しだと思っていたが、時の流れは速いものでもう9月になった。前日から泊まりで東武ホテルに泊まっていた。夕方から食事に誘われて、お寿司につれて行ってもらった。その時のメンバーはベースが小野、スタッフに金井と僕の3人。そして娘さんも旦那さんもいらして、すごく楽しいひとときだった。なによりもみんな曲を覚えていて、「朝必ず、さよならも言えなくて聞いてから会社に行くんですよ!必ず冬のソナタと2曲聞いてから行くんです」冬のソナタとセットになっていてみんな大受けだった。旦那さん(新郎)も曲の歌詞までしっかり覚えていて、すごく嬉しかった。「明日はさよならも言えなくては歌ってもらえるんですか?」と聞くので「あの歌は結婚式には歌えない歌ですよね」とみんなで笑った。「でもアンコール来たら歌ってくださいね」と旦那さんは言っていたその頃話しをくださった、お父さんはすっかり飲んでご機嫌になっていた。本番当日も披露宴の席まで用意していただいた。後半で僕らの出番になった。全部で6曲おなじSOLAを歌い、「次は僕らの同じレコード会社の先輩の歌です」と話して「乾杯」続けて「いい日旅立ち」そしてみんなで手拍子で「出会えてよかった」ピアノで「ここにいるから」最後に藤井フミヤさんの「TRUELOVE」で終わった。みんな盛り上がって、アンコールがわき上がった。「さよならも言えなくて、を歌う時が来た!」そう思ったが時間の都合で歌わなかった。そしてその後にお父様の友人からのビデオレターです。という司会の言葉でなんとさだまさしさんの映像が流れた。なんとさださんと20年近い仕事仲間だったようで、その話しでもまた盛り上がった。直接ではないがさださんとの共演の結婚式だった。最後に機材をかたづけて、誰もいなくなった会場から帰る時、エレベーターでばったり新郎新婦の2人に会った。「どうぞお幸せに」2人は最高のほほえみだった。結婚式に出席するとどうも自分があの高砂に立っていたら、という事を重ねてしまう。もちろん経験もないし、今後経験するかもわからないけれど(笑)本当に人の結婚式を見ているとそれだけで涙が出てしまいそうになる。昨日一緒にお寿司屋にいた時の酔ったお父様とは別人のような涙をこらえた立派な姿、そして「絶対泣かないよ!」と明るく言っていたお母さんが、涙を流している姿を見て、家族のぬくもりと、愛という人と人との結びつき、運命のような感激を僕は味わった。今度は栃木県でのコンサートで、お仕事でまた会えるといいな、そう思って宇都宮を後にした。そんな昨日に引き続き、今日は太田のラブというショッピングセンターで初のイベント。よく太田には来る機会があるが、その先のイオンというショッピングモールに行って、映画を見たり、安眠の湯というお風呂に行ったりする。僕は家のお風呂には入る事がないので、ほとんどここの安眠の湯に行っているのだ。コンサートの構成とかもよくここで夜中考えている時もある。でもその手前のラブにはまだ入った事もなくて、はじめて行った。5月に妻沼の道の駅でイベントをやった時に企画をしてくださった、山口さんという方の紹介で今回も現実になった。11時に会場に到着するとすでに山口さんがいて、「すっごい立派なステージが出来てるよ!」と言った。エスカレーターがある吹き抜けの広場に大きなステージがあった。今回はピアノの松井君と2人だったので、「これは広いね!」と驚いた。2時から本番。楽屋が2階だった為、エスカレーターで登場みたいになって、なんか照れくさかった。1曲目は「Forever」2曲目「冬のソナタ(最初から今まで)」そしてみんな手拍子で「出会えてよかった」 1階のイスはもちろん2階や3階からも見てくれる人がいて感激だった。「さよならも言えなくて」を歌って最後は「ChangeMyHeart」もうこの2曲の組み合わせは何度もやっているので、慣れているせいか、すごく心を込める事ができるようになってきた。CD即売もたくさんの人が並んでくれて嬉しかった。2回目は「こな雪はスローモーション」からはじまった。これも久しぶりに歌った歌だ。そして「足でまとい」「出会えてよかった」「さよならも言えなくて」と続き、最後の「ChangeMyHeart」では途中でエスカレーターに乗って2階に行って、ひと周りして階段で降りてきて、歌った。間奏で「ピアノ松井清!」と紹介して、その隙に階段をおりてステージまで行こうしたら、階段下で4人くらいの女の子が冗談半分で通せんぼして、進めなかった。「なんか、聞いた事あるよ!歌上手いじゃん!」と言ってくれた。「ありがとう!」演奏中なのに普通の会話をしていてなんか不思議な感覚だった。でも「聞いた事ある」という事がすごく嬉しい事だった。ラブの人も気に入ってくれて、いつも遠くから来ていただく方も本当に嬉かったし、太田は外国人が多い街なので、外人の方も「最後から2番目に歌った歌はどれですか?」と聞いてきてCDを買って行ってくれた。音楽に国境はないと思う。終わった後、まだ早かったので松井君がよくいく熊谷の「はっかい」という飲み屋に行った。あまり飲みに行く事はしないのだが、この「はっかい」は料理が美味しくて、ゆずビールを最初に飲んで、あとはコーラで料理を楽しむ。だし巻き玉子が美味しくて、串焼きの白もつも美味しい。でも一番は山芋の千切りかな?本当にいいお店で、ストローのチラシまで置いてくれている。音楽の話しを永遠に2時間くらい話して、「今後どうしたらたくさんの人に聞いてもらえるか?」とか本気で話し合った。今の活動にプラスしてもっともっとがんばって行きたい。そこで、今考えているのが、韓国に行って売り込む事、もしくは中国で売り込む。そんな事も考えている。どこまで現実に出来るかわからないが、日本という大好きな国を大切にして、日本出身のアーティストをして、韓国語の「さよならも言えなくて」を制作してみるつもりだ。音楽活動は本当に手探りだと思う。答えがない道を確実に足元に確かめて歩くしかない。分岐点はきっと2つではなく3つも4つもある、そのどこの道を選ぶかも大切な事だ。でも選んだからには突き進む、そうでないと「自分を否定する事になってしまうからだ」そんな風に今までやってきた。これからもがんばっていきます。夜の熊谷の星川で松井君とわかれた。「では、また連絡します」そう笑った顔、そして散々音楽の話をしても、まったく疲れていない2人。やっぱり、音楽が好きなのだと思う。昨日の栃木県音楽文化協会の方も、今回のイベントを企画してくれた山口さんも、松井君もみんな音楽が好きなのだと思う。そんな初心を大切にしてこれからも確かな道を進んでいこうと思います。「星川って昔、鯉いたよね!?」懐かしい想い出をちょっと思い出して、この街で遊んでいた高校時代よりも確実に大人になった、川に映る自分の姿を見ていた。「この道でよかった」ふと、そうつぶやいた週末の夜だった。...

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星空のコンサート  さくまひでき

星空のコンサートは今年で5年目の出演。当時ストローがはじまった頃に「これから期待できそうだ!」とはじめて思えた会場でした。そして、今回は残念な事にこの5年目の星空のコンサートが一つのピリオドを打つ日になってしまいました。僕のソロ時代からずっと横でギターを弾いていた笹沢チャーリー昌之の最後のステージになってしまいました。そして脳腫瘍で入院していた小野滋久の復活の日でもあった。会場に12時に到着して、リハーサルをした。すでにファンの方が来ていて、早い時間から本当にありがたいと思った。今回のメンバーはドラムが稲田敦、キーボード松井清、サックス斉藤尚久、という6人でやった。本番前、楽屋からベランダにでれる場所があって、チャーリーさんと色々話しをした。この本番前の緊張感を味わえるものこれが最後だと思うと心が痛かった。19時いよいよ本番がはじまった。1曲目、星空のコンサートのイントロが入った瞬間から「いよいよはじまった・・・。」という気持ちになった。コンサートははじまった瞬間からエンディングに向かっている。曲が進むにつれて胸が熱くなってきた。悲しい顔ばかりしていては、今日を楽しみにしていた人に申し訳ない。そう思って必死で演奏した。毎年、このコンサートの為に曲を作っていくが、いつも思うのが、この場所はバックに大きな池があって、そこに30メートルも吹き上がる噴水が見える、そこに緑色のライトが照らされて、本当にいい雰囲気だ。だから、歌ではなく演奏だけの曲が似合うと思っていた。そこで今回は「スターライト」というインストロメンタルの曲を作ってきた。最初スローなサックスのフレーズではじまって、リズミカルになってギターのフレーズになる。演奏していても気持ちよかった。中盤は松井君と僕のアコースティックなコーナーをやって、メドレーに向かう。涙そうそう、ではじまり、小野と稲田さんが入って、冬のソナタの最初から今までのイントロ。そこで僕が後ろを向いて、めがねをかけてマフラーを巻いて、振り向くとヨン様になっている、という演出。みんな大爆笑だった。そして見上げてごらん夜の星を、後半で客席からサックスの斉藤君が登場、これもまたきまった。さよならも言えなくて、Goodちょっとパラダイス。と続きコンサートは終わった。そして会場はわれんばかりのアンコール。こんなに日にふさわしい曲はなんだろう、とずっと考えていたが、よく考えたら、ドラムが稲田さん。という事は、ストローというグループがはじまった99年4月の初期の4メンバーだという事に気づいた。右も左もわからない頃にストローというグループを作って、活動をはじめたあの頃。1枚のCDを最後の予算で発売した。この曲でだめだったらもう音楽をやめようとまで思っていた時だった。でも、ほんの少しずつだったが光が見えてきた。このままならいけそうだ、と思って2枚目「遠い記憶」そしてアルバム「LOVE×4=STRAW」を発売する事が出来た。きっとストローはこの歌がなかったらはじまっていなかったと思える曲「Tearsinthesmile」をストローの初代メンバーの4人で演奏した。歌っている最中も色々な事が浮かんだ、嫌な事も楽しかった事もみんな今となっては最高の宝物だった。たった4分の曲が永遠に感じた。逆に言えば永遠に終わらなければいい、そう思った。「いくつになっても少年でいたいから、笑いながら涙ながせるように」というフレーズが今のストローにはぴったりだった。涙で歌えなくなっては申し訳ない、そう心で強く思いながら歌った、でも最後は涙で歌えなくなってしまった。最後のアカペラのフレーズはあえて、99年のストローの4人がとっていたパートを歌った。一つの時代が幕を下ろした。そう思った。10代の頃から音楽をやってきて、曲が売れない、ライブが辛い、練習が辛い、そんなことはいくつも味わってきた、でもなんて事はない、いつでも前向きにがんばってこれた。でも、避けて通れない道、今までいくつも味わってきたが、なんど味わっても辛い瞬間、それが仲間が離れる事だった。一緒に歩いてきた道がに別れ道がやってくる、この時はいつも寂しいものだ。でも、僕がいつも思うのは、しあわせという物は人の数だけあると思う。自分がどうそれを受け止めるかだと思う。チャーリーさんは「終わった」のではなく、「はじまった」のだと思う。そして、その道が幸せであるように僕は願う。いつでも仲間は仲間だから。片付けも終えて、いつもと同じように「では、帰ります!お疲れさまでした」と言って去っていった。「今度、温泉でもいきましょうよ!」という僕の言葉で振り返った彼は、出会った頃と同じ目をして笑って見せた。コンサートの時にも僕は言った言葉だが。「いつまで歌えるかわからないけれど、歌える限りがんばっていきます」音楽をやっているという事はすごく幸せな事だが、いつでも「もう限界かな?」とう瀬戸際を歩いている。それを支えているのは、お客さんの拍手であり、「よかったです!」とい一言だ。その力に支えられてこれからがんばって行こうと思います。この秋は西武鉄道全線ストリートライブという大それた企画を考えている。そして10月22日のさいたま市民会館 12月12日の大宮ソニックシティー最高のステージが出来るようにがんばります。期待していてください。きっと今ここで歌う事をやめたら、今までやって来た活動がすべて無になってしまう。ストローに稲田敦がいたこと、山地厚臣がいたこと、笹沢チャーリー昌之がいたことを誇りに思い歩き続けます。...

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むさしの村

ひさしぶりのむさしの村。朝から雨で、なんでこんなにむさしの村は雨が多いのかな?ってがっかりでした。でも館内でできるので幸いです。会場に行ったら、仮面ライダーがリハーサルをしていました。そしてその後でリハーサルをして、控え室で時間を待ちました。13時から本番。ここは緞帳があるので、これが上がる時がすごく緊張しますねー足から見えていくというのがなんだか照れくさくて、早く顔まで上がらないかなって思ってしまいます。1曲目は「元気でいますか」今日発売のCDの曲でした。2曲目は「足でまとい」「Forever」とバラード続き。途中でリクエストコーナーも入れて、これは本当に予定にないので、ピアノの松井君も結構びっくりしてしまいます。譜面がない曲が来た時の為にシェイカーを用意しているのですが、今回は持ってきてなくて、がんばってピアノ弾いてました。本番終わってもアンコールが来て、「想い出にレールをひいて」と「Goodちょっとパラダイス」をやった。最後の最後に今日はワイヤレスギターだったのを思い出して、ステージを走り回りました。そして緞帳が降りる時も照れくさくて、いつも寝ころんでしまいます。今日は雨というのに沢山の人が足を運んでくれて本当に嬉しかった。これがエネルギーに代わる訳ですからね。無事ライブを終わって、楽屋で休んでいると、雨が一瞬あがったのか、窓の外からツクツクボーシの声が聞こえてきた。「もう夏も終わりだね」そうつぶやいた。これから秋。ストローとして本当に寂しい秋になってしまった、チャーリー脱退もあって、たまに空虚感に襲われる事がある。思えば中学2年の時に結成した「ストリングス」というバンドから、18歳で「ジプシー」(小野滋久がベース)を経て、24歳でソロ活動「愛を感じたい」発売後全国ゆうせん放送キャンペーン達成。25歳で作詞作曲家デビュー。25歳で「さくまひできWithSTEADY」を結成して、あらゆるコンテスト荒らしをして、27歳でストローを結成。その後すぐにドラマー変更、そしてドラマー脱退。こうして音楽を続けてくると、メンバーと別れる時が一番辛い。そして一番不安になる時だ。だからその度に一人かけた分、どうしようか?って今まで以上のパワーで乗り越えてきた。今回も長い間悩んで来た事が現実になってしまって、これからどうしようか?と考えている。いつもこんな時に思うのが「自分はなぜ音楽をやっているのか」という自問自答だ。そして、その時にいつも初心に返る。小6で初めてギターを弾いた時の感動。中2で初めて歌を作って歌った時のうれしさ。聞いてくれる人が「いいね!」と言ってくれるその一言が嬉しかった。難しい事はないんだ、僕は音楽が好きなんだ、いつもそこに帰ってくる。雨があがればセミは大声で泣く、それと同じように舞台があれば僕はそこで歌う。そんな自然な気持ちでがんばっていこうと思っています。...

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夏最後の日曜日

暑かった夏も、もう終わりですね。先週24時間テレビがありましたね。ちょうどその日、秋葉原と新宿に色々買い物に行っていました。秋葉原から新宿へ行くには靖国通りを通ります。そこで車に着いているテレビを見ていたら、24時間テレビが映っていて、そう言えば日本武道館の横通るんだよなーと思って。ちょっと寄ってみようと思いました。昔から1度でいいから生放送中に武道館行ってみたかったのです。そしていつもコンサートに行く時に置く駐車場までいけなかったので、その手前の駐車場に置いて、武道館に行きました。中まで入れて、そこで募金をしました。いくらかって? 人の為になるならと思って、4千円以上、6千円以下を募金箱へ入れてきました。徳光さんがいる舞台もすぐ近くになって、けっこう大きく舞台を作っているようで、いつも見る武道館が小さく見えましたねー。そして新宿に行こう(ヨドバシカメラ)と思って、武道館を出ようと思ったのですが、杉田かおるさんがもうすぐ帰ってくるそうで、ちょっと待っていた。そして、ゆっくりですが一生懸命走っている、杉田さんを見ました。まわりにいる人も「がんばれー!」と応援していて、車から応援している人、沿道で応援する人、日本中を感動させてるんだなと感激しました。来年僕に話しが来たら、絶対走りたいなと思った。(走れるのかな?100キロも)24時間テレビといえば、体の不自由な人や海外の難民を救済する。かつては萩本欽ちゃんが毎回出ていて、毎年見ていました。97年からは埼玉の羽生市の「ケンゾー」というスーパーで毎年チャリティーライブをやりました。CDの売り上げを半分寄付していましたねー。貧乏は僕らにはちょっともったいないけど「いつか自分達にまた帰ってくるから、これでいいんだよ!」とみんなで言った事も記憶に新しいですね。高校の時に見たオープニングでは、さだまさしさんが、初っぱなで野外ステージで歌った。その時に僕は本気でテレビの前で涙した、その曲がさださんが初披露した「風に立つライオン」だった。1番の最後の「やはり残念だけど僕たちの国はどこか、大切な所で道を間違えたようですね」というフレーズで一気にきた!僕は自然や動物が好きで、人間が作った勝手なもので自然に生きる動物や森が傷つく事がすごく寂しい。だからその人間が壊したものを人間である僕が作っていきたいといつも思っている。かと言って大きな事が出来ないので歌を通して、一人一人がほんの少しでも優しさに気づいてこれたら、自然も動物も幸せになれると思う。そして人が人に対する気持ちも一緒だと思う。みんながほんの少し優しくなれたら、自分以外の人に、なにかをお裾分けできるのかな?と思います。いつか人が傷つけ合う世界も消えて、自然もいっぱいで、そこに生きる動物も虫もいっぱいで、笑顔の人間がいて・・・。そんな時代になるといいなと思います。...

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川越いもの子作業所 夏祭り 

早いもので8月も最後のライブとなりました。昨年の秋にイベントに出演させてもらった「いもの子作業所」の夏祭り!川越にある福祉施設で、そこでお煎餅を作ったり、木のおもちゃを作ったりして販売している、すばらしい所です。朝から小雨が降っていましたが、雨がしのげる所でやると聞いていたので安心して行きました。14時頃会場に到着。だんだん雨も強くなってきて、舞台もちょっと屋根があるくらいで、風が吹くと雨が入り込んでくる有様でした。ボランティアのスタッフもたくさんいて、カレー屋の準備や焼鳥屋の準備、提灯の取り付けもすごく大変でした。16時前にリハーサルも終えて、その頃には風に混じった雨で大変な状態でした。楽屋に入って、カレーを買って食べた、200円なにのたくさん入っていて、しかも家庭の味!やっぱりカレーとそばと餃子は家で作る味に勝てないですよね。昔餃子は皮のはしに水をつけて段々を指でつくって、母に教わって作ったものです。でも結局上手く段々が出来なくて、そのまんまぺったりくっつけただけの餃子で、焼いて出来上がった時にはもう中身が出ちゃってて、皮と中身を別で食べる有様でした。今でもたまに餃子作ってみようと思うのですが、なかなか時間がなくてやってませんが、カレーは作ってますよ。ジャガイモをむいて、僕の作る特徴は挽肉をそのまんま入れてる所です。カレーのとろみの中に散らばった挽肉が素敵な食感を産み出します。そして食べる時に、熱々のカレーに生卵をかけて、混ぜて食べます。マイルドになって美味しいですよ。是非おためしください。さて話しがそれましたが、5時を過ぎる頃にはもう雨もやんで、人もたくさん集まってきてすっかりお祭りの雰囲気になってきました。太鼓の出し物があって、その後で僕の出番。5時45分、司会の方の紹介でライブスタート!1曲目は「声がキキタイ」そして「足でまとい」と続き、「夕暮れがきれいだったらよく似合う曲なんですが、夕焼けをイメージして聞いてください」と言って「あなたが好き」を1コーラス歌った。ここからはリクエストコーナー!お客さんからなにが聞きたいかを聞いて、持っていった歌本から見つけて歌う。まずは「大きな古時計」そして「世界に一つだけの花」「トトロの散歩」と続き。森山直太郎の「さくら」を小さい子がリクエストしてくれたので、やった事がないがサビだけ歌った。でも歌詞がなかなか出なので、これはものまねだ!と思ってあの歌い方をちょっとマネしたら結構似ていて自分でもびっくりした。盛り上がって来た所で「Goodちょっとパラダイス」をやった。難しい顔で一生懸命やっているおじさんもいれば、ゆっくりゆっくりと小さな手を動かす子供もいる。そんな姿を見ると本当に嬉しくなる。そして最後はピアノで「さよならも言えなくて」を歌った。なんとアンコール!時間が結構いっぱいいっぱいだと思っていたので、ライブを見てくれていた、担当の人に「時間は大丈夫ですか?」と聞くと「あと1曲お願いします!」と言う。もちろんその人もアンコールの拍手をしていた。そして「ChangeMyHeart」を歌った。歌いながらお客さんの方に歩いていって、握手をしながら歌った。時にはお客さんにマイクを向けて歌ってもらったり(歌ってくれるから嬉ですね)して盛り上がった。ライブが終わった後も、スイカの早食い大会があって、そこに決勝だけ特別シードでチャレンジした。スイカの早食いと言えば、志村けん。僕はドリフが大好きで、今でも夜はドリフビデオを見ているくらい好きで、志村けんがスイカをすっごい勢いで食べるコントがあった。見ていた人はよくわかると思いますが、ほんに数秒で、左右に顔をふってスイカを食べる姿は本当にすごかった。よく子供の頃、夏にスイカが出てくると、マネをして食べた。もちろん親にしかられたけど(笑)今はそれが堂々と出来きる!これはわくわくした。「よーいスタート!」でほんの5秒くらいで手を上げた。1位だった!「やったー!」塚田選手やヤワラちゃんが金メダルをとった時のような感動だった。ちょっと違うのは、1位になった後、口の中のスイカがいっぱいで、ものすごい顔になってなにのコメント出来なかった事かな?しかしオリンピックで金をとる瞬間で本当に感動しますね。感動させようと思っていないのに、人を感動させられるって本当にすごいですね。人間ドラマですよ。僕が中学1年の時にロサンゼルスオリンピックがあった。僕は水泳部で厳しい夏の部活が嫌だったけど、オリンピックを見るとなぜかがんばれた。柔道の山下選手が金メダルの時は特に涙が出た。足を筋肉ばなれで痛めてしまって、片足を引きずって、決勝戦に挑んだ。畳の上をずっと足を引きずって、それでもすごい気迫で戦う姿。そしてその痛みにも負けず、なんと試合に勝って金メダル。その時の山下選手の穏やかな堂々とした顔は今でも覚えている。また話しがそれてしまいました。イベントも最後の花火で終了。今年の夏は本当に暑かった。ソロ活動という特別な夏で、毎回ミュージシャンを迎えて、どんなステージにしようか考えて、練習して、その分1つ1つのステージが緊張感あってすごくいい夏でした。オリンピックもあり、長崎に行った事もあり、本当に「夏!」という感じの汗をかいた夏でした。そんな暑さを今日の夜の風は優しく冷ましてゆくような感じだ。そして、やがて秋がくる。秋には秋の感動がきっと待っている、そして感動のステージが出来るようにこれからもがんばっていきます。2004年、秋の活動も是非期待していてください!精一杯がんばります。...

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名曲ぞろい!

「真夏!」といイメージも夜になると「もう秋?」みたいなそんな季節になってきました。いかがお過ごしでしょうか?8月28日に出す予定のCD(3曲)も力を入れすぎて、大変申し訳ありませんが、制作が遅れております。よい作品をお届けしようとがんばっておりますので、もう少々お待ち下さい。9月5日には必ず発表できます。Foreverという歌はすごくいいので、何度もメロディーを変えたり、詩をの世界を変えたりとしているうちに素晴らしい愛のバラードになりました。いつも色々な事が遅れてしまって本当に申し訳ないと思っております。明日は川越いもの子作業所です。天気が心配ですが、雨でもよる予定ですので楽しみにしていてください。今後とも宜しくお願いします。PS急に夜は肌寒くなってくるので、体には気をつけてください。...

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今日も暑いです

青い空に白いにゅうどう雲が浮かんでます。台風の影響かちょっと風も強いです。まさに夏休みって感じの天気ですね。今は昼の12時。僕が夏といって思い出すのは、小学校4年生頃の事かな?午前中は涼しかった(今よりもずっ涼しかった気がする)「涼しいうちに宿題やっちゃいなよ」と母に言われて、いやいややって、午後からは友達がきて遊びに行く、・・・と言っても学校のプールに行くのだ、カードを持って、面倒くさくて海パンのまま行った事もあるね。帰りはのどがなんかいたくって、ちょっと息を吸うとすぐ咳がでる、そんな事も今では懐かしい。家に帰るとクーラーのきいた部屋がものすごく極楽で、友達と漫画本を読んでごろごろしていた。夜祭りがある時は必ず行った。吹上祭りも行田だんべ祭りも、熊谷うちわ祭りも、みんな行った。子供だったから、すごく迫力あって、ちょっと怖かった記憶がある。祭りから帰ると、冷えた西瓜に塩をふって食べたものだ。「あの頃の夏休みはもう帰らないのかな?」なんて毎年夏がくるたびに、なにかを探すように考えてしまう。毎年来る季節でもその年齢のその季節は1度きりなんですね。青い空とにゅうどう雲を見ていたら、遠い昔に置き忘れてきた、「想い出」をちょっと拾えた、そんな気がしてつい、長々と書いてしまいました。みなさんも夏休みの想い出、ちょっと見つけてみてはいかかですか?...

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本八幡サードステージ

朝11時に吹上のスタジオにスタッフと待ち合わせして、出発。天気も良く、すごく暑い日だったが、台風の影響か風が強かった。途中の首都高速が大渋滞「20Km渋滞」の電光掲示板を見て「もう間に合わない」と思った。所が渋滞はしているが、流れはあったので、予定の13時半よりも20分早く会場に到着できた。そして機材を階段えっちらおっちら降ろして、リハーサル。今日はまるっきり一人のライブだったが、久しぶりにピアノも弾くので準備は大変だった。リハーサルを終えて、今日はどうも練習しないと上手く行かない気がして、車の中で練習をした。新曲もあったのでちょっと時間がかった。しかも練習途中曲が浮かんできて(なにかやっている時にかぎって浮かんでくる、ひどい時は車運転中とか録音機械を出して歌ったりしてる程だ)小さな録音機械をいつも持ち歩いているので(かつては公衆電話で自分の携帯にかけて留守電に記録したものだった)それで作曲がはじまった。インストロメンタル(歌のない曲)をやって見たいのが夢で、そんな曲が出来た。3部作の組曲で、夕暮れからはじまって、夜の大宇宙そしてやがて朝焼けになる。そんな曲にしようと思ってます。そしてあっという間に19時をまわって、会場に行った。いよいよ本番。「周りがバンドばっかりだから、しらけちゃうとやだね」と楽屋で僕が言うとスタッフの金井が「大丈夫だよ、十分だよ、じっくり聞かせちゃえば勝ちだよ」なんて言ってくれた。1曲目からギターがトラブったが逆に、リラックスできた。そして気をとりなおして「Let'sクリーニング」から入った。そして「壊れかけの地球儀」この歌は本当に歌いたい歌一つです。しかも2番の歌詞に「ほらまた原子力発電所が欲望の毒をもらした・・・」って所があるので、今の時代にぴったりだと思った。3曲目の「足でまとい」のあたりでは、はじめて見ているお客さんもじっくり聞き入っていた。4曲目は8月のCDに入る曲で「出会えてよかった」さびの所で手拍子があるので、そこを練習してから曲に入った。アレンジの都合でキーが高く設定されている曲だが、ライブになるとぴったりだと思った。そして最後はピアノで「さよならも言えなくて」たったの5曲であったいう間だったけど、色々なジャンルの曲が出来て満足感はあった。サードステージは色々終わった後の業務があって、出発するのが12時を過ぎてしまう。スタジオに着いた時はもう1時をらくに過ぎていた。スタッフも帰って、僕も帰ろうと思ったが、レコーディング機材の電源を入れたら、レコーディングをはじめてしまった。ギターだけ録音して帰ろうと思ったが結局朝までやってしまった。音楽って本当に楽しい。自分がまず楽しくて、しかも聞く人まで楽しくできる、そして感動できるのだ。8月に出す3曲もすごくいい感じですよ。楽しみにしていてください。...

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鴻巣フラワーラジオ生出演

先週にひき続き鴻巣フラワーラジオの生出演だった。局に行ったらファンが外で間っていた。フラワーラジオは1階にサテライトスタジオがあって、そこは外から見る事ができるが、今日の放送は5階のスタジオで、こっまってしまったが、局の人も喜んでくれて5階で見てもらう事にした。13時から放送がはじまって、先週の反応がすごくよかったと言ってくれた。そしてはがきまで来ていて、本当に嬉しかった。生歌も披露した「ChangeMyHeart」を歌った。ラジオの生歌は本当に緊張する、そこに人はいないけれど、聞いている人をちゃんとイメージして歌わないといけない。後半はうちの実家のフライ屋の話しになって、しかも僕が先週の話しの続きの都合もあって、家からフライと焼きそばを持っていったのだ。「今夜のレシピ」みたいなコーナーがあるのだが、それがなんとフライになっていたからびっくり。郁恵イモリのデリデリキッチンなみに僕がフライの作り方を紹介した。「音楽以外の事でラジオでしゃべるのははじめてで、しかも料理番組だから変な感じですねー」なんておかしくて途中で言ってしまった。そして、その途中でなんと鴻巣に住んでいるファンの人がガラスの向こうに見えた。「あれ!?」と思ったらなんと、放送を聞いていて、勢いあまって来てしまったというのだ。局の人も盛り上がって、スタジオ入ってしゃべって帰ってよ!なんて事になって、ファン2人を目の前に放送が続いた。最後はそんな2人からファンとしてのコメントもあって、生ならではの楽しい放送になった。帰る時も「是非フラワーラジオのレギュラーお願いします!」と言って帰ってきた。事務所に帰るとFAXが来ていた、実家のフライ屋「仙道」でフライ買って、ドイド(向かいのホームセンター)の駐車場で食べながら放送聞きました。という菖蒲町の人からの内容だった。放送している時は「どれくらいの人が聞いてくれてるのかな?」なんて不安になりますが、そんなコメントをもらって、すっごく嬉しくなりました。これは絶対レギュラーだ!と心に決めた暑い夏の日でした。...

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