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2004年

南河原村~妻沼道の駅~岡部駅~本庄駅~上里、神保原駅

南河原村はどこでやるか本当に悩んだ、吹上から近いのでよく場所はしっていたが、いざ行ってみると歌う場所を探すのに悩んだ。結局、河原神社というのがあったのでそこに決めた。歌っていると地元の人が来てくれた、一人でも来てくれると本当に嬉しいものだ。ブランコもあったので、ちょっとブランコに乗って遊んだ。昔はひざを曲げれば地面に付かなかった足も、今ではひざを伸ばしたままでないと地面にすってしまう。いっぱいにこぐと空に飛んでいきそうな気分も、今ではちょっと怖く感じる。やっぱり大人になったのかな?なんて思った。さて、2カ所目は以前5月にイベントをやった道の駅妻沼。ここは公道ではないので事務所に許可をもらいに行った。以前やった事もあって、みんな覚えていて、すごく良くしてくれた。時間になると次々に人が集まってきた。中には4時間も待っていた人もいて、本当に感激だった。歌っていると、道の駅の人達も見にきてくれて、すごく盛り上がった。終わった後もコーヒーをごちそうになってしまった。本当に嬉しかった。3カ所目は岡部駅。高崎線はよく使うので駅名は知っていたが降りたことのない駅だった。駅前がタクシー乗り場になっていて、一般駐車スペースにもなっていて、歌う場所に困ってしまった。結局隅っこのちょっと暗い場所で歌った。でも、改札の方からのぞきこんで見てくれる人が沢山いた。この場所あたりからギター侍ハタヨウクのマネをして受け始めた。「岡部、駅前で、ストリート、って言うじゃないー」なんて歌ってみたりしていた。もちろん「さよならも言えなくて」を歌う時は真剣だ。さて、4カ所目は本庄駅。ここもまた名前は知っているし、高崎方面に行く時は通る場所だが始めた駅前を見た。着くとすでにいつも来てくれるファンの人が待っていた。そして「ラジオ聴いて来ました」という高校生がいて嬉しかった。しかも、また別の高校生も立ち止まってくれて、最近10代に受け入れられるさくまひできになって来たのかな?なんて思って嬉しくなった。今まで、一桁代のお子さん、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代まで幅広く気に入っていただけてはいたが、10代からの受けは一番少なかった。でも最近はそんな方々もじっくり聴いてくれて本当に嬉しい事だ。僕の誇りは、年齢を問わず感動して、楽しんでもらえる事ですから。後半はコートを脱いで、裏地がケバケバなので、それをひっくり返して「ワンチャンです」なんてやって大受けだった。もちろん歌う時は真剣ですよ最後の5カ所目、神保原駅。僕はずっと神保原という町があるのかと思っていたら、上里町だったのでびっくりした。近くても知らない地名ってあるんですね、もっと勉強しようっと。でも、きっと昔は神保原という村か町はあったのだろう、そう思って、地図を広げて調べた。駅の反対側は大きく神保原と書いてある、きっと神保原村と上里村が合併したんだろう。そんな事を色々考えていた。昔の事を探るのがすごく、ロマンがあって好きなもので・・・。だから子供の頃は恐竜が大好きで大図鑑を見て色々調べていた。さて9時半からだったが、9時を過ぎる頃雨が降ってきた。時間になってもやまなかったので、駅の階段の下で歌った。すると不思議な事にしばらくすると雨が上がった。やっぱり歌う時間になると雨がやむのだ。キャンペーン始まって歌えないほどの雨はまだ1度もないから不思議だ。今日は5カ所で多かったが、それぞれ違う感じで楽しかった。最後に神保原駅を見たら、「どこかで見た事がある?」そうだ、昔の吹上駅によく似ている。今は階段をあがって改札になるが、昔は1階から入ると改札で、自動券売機もなくて、人が窓口で切符を売っていた、しかも分厚い切符で、それを改札でいつもカチカチ音をたてている切符切りの人に渡すと、パチンと切ってくれた。いやぁー懐かしいですねー。そんな人とのコミュニケーションが多かった時代はどこに行ってしまったのでしょうね?神保原の駅の改札は人がいるかな?そう期待して駅に入ると、ただ黙ったままの自動改札が横たわっていた・・。「これも時代かな?」いつになっても人と人の心のやりとりは大切にしたいですね。でも、逆に人のぬくもりに気が付きやすい時代なのかもしれませんね。あー 家の作った家庭料理が食べた~い!!...

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松伏記念公園~吉川駅~三郷駅

吹上に住んでいる僕からしたら、埼玉県は秩父方面、大宮浦和方面は縁があるが、松伏や吉川はあまりいった事のない街だ。どうなる事か逆に期待していた。16時に松伏記念公園ではじまった。夕日がまだ見えて、とてもきれいな夕暮れだった。公園もすごく広くて、土曜日という事もあって子連れやボール遊びをする人で賑わっていた。準備をして歌いはじめるとぞくぞくと人が集まってきた。いつも来ていただく方も来てくれた。歌い終えて「全市町村まわってます、出身は吹上なのですが・・・」と話すと、「私も吹上なんですよ、結婚して松伏にきたんです」という人がいた。思わぬところで吹上の話しになった。「以前東戸塚で見ました」という人まで来てくれた、その人も奥さんのふるさとが吉川市だったので、夫婦で見にきてくれた。2カ所目は吉川駅。歌いはじめるとたくさんの人が振り返った。素通りをして去っていく人が多い街に比べて、すごく暖かかく感じた。「いい声だね」と言ってくれる人や「ハンサムだね」なんて言ってくれる人もいた。「いや、いや全然ハンサムじゃないですよー、サングラスとったらただのヨン様ですから」と言うと集まっていた人が大爆笑だった。片付けをしていると、「新聞を見たよ」と言ってくれる人もいて「吉川にはこないだろうと思ってたら、本当に来たんだね」と言ったので「もちろん来ますよ、全市町村ですから、吉川いいところですね」と言って2人で笑った。いつもよりも長くやってしまったので、時計を見るともう7時半、急いで三郷駅に向かった。三郷は僕の友人(音楽仲間)が住んでいた場所で、よく来たことがあった。ここもたくさんの人が集まってくれた。「以前、流山で見たよ」という人もいた。流山でライブをやったのは1年以上前だったのにこうして気にしてくれている事がすごく嬉しかった。途中立ち止まってくれた高校生の女の子が終わった後に、「あの、お金ないんでCD買えないけど、ドーナッツ一つとってください」そう言ってドーナツの入った取って付きの箱を手渡した。「ありがとう」そう言って1つだけもらった。きっと家に買って帰るドーナッツなのでしょう、それを一つだけくれた、その気もちがすごく嬉しかった。こうして無事に3カ所が終わった。天気もよく、それほど寒くない1日で、しかも行くすべての場所で新しい出会いがあって感動の土曜日でした。...

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狭山市駅~入間市駅 

今日もいい天気でした。15時半に吹上を出発して狭山に向かった。国道407号を走っていると、夕焼けに照れされた富士山のシルエットが綺麗にそびえたっていた。このキャンペーンが始まった、ずっと綺麗な夕焼けを見ている気がする。もちろん大雨に見舞われた事が1度もないのでそれもそのはずだろうが、本当に夕焼けは大好きだ。特に秋から冬の夕焼けは、木の陰が真っ黒になって、そしてバックにしゅう色の空が映える。これがなんとも心にしみる。子供の頃、よく空き地で遊んで帰り道に見た景色を今でも覚えている。暖かい夕日はやがて寂しいほどにむらさき色になっていく、孤独感に襲われるが、家に帰ると夕飯の支度をする音が聞こえ、また暖かくなる。あとは、僕が好きなのは、夕方まで眠ってしまった日の夕暮れだ。仕事がらお昼頃まで起きていて眠る事がある。目が覚めるといつの間にやら窓の外が薄暗い。「朝かな?」と一瞬思うが、「そうだ、夕方だ」と気が付く。この夕方に目が覚める時が一番頭の中がすっきりするのだ。・・・・・また話しがそれてしまいました。さて、狭山に着いた頃はもう暗くなっていました。駅前で準備をして歌い出すと、NHK見ましたという人が集まってくれました。最近はのぼり旗の効果も絶大でみんなとりあえずは見ていくようになった。2カ所目は入間市駅。入間は入間の人にはすいませんが、なぜか田舎というイメージがあった。ところが街の中心に映画館やまるひろや今風のショッピングモールがあってすごい都会だ!と実感しました。駅に着くと、同業者が歌っていた。このキャンペーン始まって以来のストリートミュージシャンを発見した。なんだか嬉しくなった。彼等は2階でやっていたので、お邪魔にならないように1階で歌う事にした。歌い始めると、どんどん人が集まって来てくれた。寒い中でみんなしっかりと聴いてくれていて本当に嬉しい気持ちでいっぱいだった。初めて聴いてくれた人も立ち止まって聴いてくれていた。途中2階で歌っている2人組みが「青空」(ブルーハーツの曲)を歌っていたので、僕も合わせて歌った。1階2階のステレオを楽しんでいただけたことでしょう。この「青空」もすごく好きな曲で昔コピーをしてライブハウスでやっていた事もあった。~♪ブラウン管の向こう側、格好つけた騎兵隊がインディアンを撃ち殺した、ピカピカに光った銃で出来れば僕の憂鬱を打ち壊してくれればよかったのに~♪と始まるフレーズで当時中学生だった僕は感激した。ブルーハーツの曲で一番好きな歌だ。最後はアンコールまで来て入間でのライブが無事に終わった。先日発売したばかりのグッズで真鍮のキーホルダーがある。片方は「さくま」と英語で書いてあって、僕がネックレスとして胸に下げたいる。これは世界に1つしか存在しない。そして売っているのは「ひでき」と英語で書いてある。これはキーホルダーだが、みんなネックレスにしてくれているらしく、なんだか嬉しかった。キーホルダーを加工してネックレスにしてくれてるんですねー ホント嬉しいです。さて、明日は土曜日ですね。松伏町、吉川町、三郷駅の3本です。がんばっていきましょ!...

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羽生駅

今日は珍しく1本物でした。予定を組んでいてどうしても羽生だけが入れられなくて、一番最後に立てた予定だったのでここだけ1本になってしまいました。昼間は暖かくて穏やかな天気だったのに、なぜか夜になって北風がすごい勢いで吹き始めた。これじゃ寒くて大変だから短めに終わらせようと。そう思っていざ、羽生駅に着くと、たちまち人が集まってきた。みんな今日を楽しみにまっていてくれた人が沢山集まってくれたのだ。もしかして過去最多人数かもしれないくらい集まってくれた。これはすぐに終わらせる訳にはいかない! 北風の中歌い始めたが、どうにも寒くて声も自然にビブラートがかかってしまった。そこで、ちょっと駅の中に入って、ちょうどいい窪んだ場所があったので、そこで再度歌い始めた。羽生駅は最近新しくなったばかりで、歌っていた場所の横に窓があったが、なにもやっていない、きっといずれなにかが出来るのだろうが、今はなにもない。これもグットタイミングだった。リクエストコーナーもやった。途中タクシーの運転手さんが見に来て「全市町村まわってる人でしょ!」と知っていた。駅から降りてくる人もたくさん立ち止まってくれた。最後は「Forever」で終わった。終わった後も暖かい缶コーヒーとか肉まんとかを持ってきてくれて本当に嬉しかった。最後は花束まで持ってきてくれる方もいた。こうして盛り上がった羽生駅が終わった。実は羽生は僕の母の地元なんです。父は加須で母は羽生の三田ヶ谷、なので、子供の頃からよく来た場所でした。あとは、僕が初めて出したCD「愛を感じたい」でドラムをたたいていたのも羽生のメンバーだ。それに夏にスーパーケンゾー(羽生に3店舗あるスーパー)で24時間テレビの日にチャリティーライブをやっていた事もあって、なにかと縁のある街でした。寒い中聴いていただいて本当に感謝しています。「がんばってる姿を見ると私もがんばれます」そう言ってくださった方がいましたが、その言葉で僕が、ますますがんばれます。今日で51カ所目、残り39カ所がんばります。...

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北川辺町~大利根町~栗橋駅~鷲宮町~久喜駅

コンサート以来のキャンペーン復活。ちょっと鈍った感覚もすぐに取り戻せた。1カ所目は北川辺町の渡瀬遊水地、ここは以前「さよならも言えなくて」のインディーズ時代のプロモーションビデオを撮影した場所。埼玉県、茨城県、栃木県、に挟まれた巨大な湿地帯だ。きっと迷うと出られないくらいの広さがある。以前僕も撮影の下見に行った時、ちょっと少な目のガソリンの車で入ってしまって、「このままではガス欠になってしまう」と焦った事があった。そこの中央エントランスで歌った。バックは巨大な池ですごく大自然を感じた。通りかかる人も「テレビ見たよ」という人がいて嬉しかった。お休みを取ってきてくれるお客さんもいて、心強かった。2カ所目は大利根町のカスリーン公園。利根川土手の横にある公園だ。なぜカスリーン公園というのかと思っていたが、行ってみてわかった。公園に昔の写真が数枚あった。(僕は昔の写真好きなので)それをじっくり見ていた。昭和22年におきたカスリーン台風の時にこの場所で堤防が決壊したらしいので、そして大水害になった。今はスーパー堤防になっていて洪水の対策も完璧らしいのだ。そこでカスリーン公園と名前にしたらしい。やっぱり自然の力はすごいと思った。人はそんな大自然の中で生かされているのでしょうね。感謝感謝。天気も曇っていたので、大夫寒かったが何人か見てくれていたので、普通のミニライブになって楽しかった。3カ所目は栗橋駅。移動中ちょっと雨が降ったが、歌う頃にはやんでいた。はじめてきた駅で、地元吹上になんとなくにていて共感した街だった。歌っていると、星空のコンサートの時に見に来てくれた人も来てくれたり、学校帰りの学生が立ち止まってくれたりした。4カ所目は東鷲宮駅。駅前がすごく広くなっていて、どこで歌うか迷ったが、ダイエーの前に公園があった。駅前だとみんな足場やに帰っていくが、駅からちょっと離れたこの場所なら、買い物に来る人とかがゆったりと立ち止まってくれる、そう思って歌った。予想は当たっていた。みるみる人が集まってくれて、家族で見てくれる人も、ダイエーの買い物袋をぶらさげて見てくれる人、たくさん集まってくれた。一端終わって、片付けようと思ったら、「今声が聞こえて見ようと思ったけど、買い物してたのでよく聞けなかったんです、もう終わりですか?」と言ってきた人がいたので。「もちろんまだ歌いますよ」と言ってまた歌いはじめた。公園の木に付けられたイルミネーションもきれいで(写真参考)風もそんなに冷たくなくとても気に入った鷲宮でした。本日のファイナル5カ所目は久喜駅。東武鉄道側の駅前で歌った。さっきの鷲宮で大夫声もあったまっていて、最初からいい声が出せた。ただ心残りは車にサングラスを忘れてきてしまったことだった(笑)会社帰りの人も自転車に乗った学生さんもぞくぞく集まってくれた。そしてなんとCDが完売でなくなってしまった。いつも来てくれているファンの方が「これでよかったらどうぞ」と言って持っていた「さよならも言えなくて」をはじめて聞いて気に入ってくれた家族に渡した。こうして手から手へと広がっていくのを見ると本当にあったかい気持ちになる。途中、会社員の人が70年の曲をリクエストしてきて、吉田拓郎、井上陽水、風、ばんばん等のメドレーになって楽しかった。以前にも名古屋でストリートライブをやった時に70年メドレーになってしまった事があったが、そのとたんスーツ姿の人がどんどん集まってきて大騒ぎになったのを思い出した。あの時も楽しかった。オリジナルを聞いてほしい気持ちはもちろんあるが、僕が歌う事でこんなに素敵な笑顔になってくれるという事が音楽のすばらしさだと思っている。たかが歌かもしれないが、その歌で人の心になにか、大きなものを与えられる、僕はそう信じている。今日は長丁場だったが、それぞれの街でそれぞれの出会いがあった。雨もなくきっと天気も味方してくれているのかな?ちょっと疲れたが、その疲れも、今日聞いてくれていた人達の顔を思い出すとどこかへ行ってしまう。さて、明日もがんばろう!...

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鴻巣フラワーラジオ収録 大サワギ

鴻巣のフラワーラジオの収録でした。放送は12月24日のクリスマスイブ19時から22時昨年も出させていただいたこの企画は「GOGOインディーズ」のクリスマススペシャル。しかも忘年会のように飲みながら収録。今年はアーティストの数も多くて、局内はすっごく賑わっていた。みんなギターを持っているので大セッションになっていた。僕の出番は最後。収録まで2時間くらい時間があったので、いつの間にやら缶ビールを飲んで、つまみを食べて、みんなに「あれ、さくまさん出番前ですけど、大丈夫ですか?」なんて心配されてしまった。「じゃ、さくまくんよろしく!」DJのオラン本柳さんが僕を呼んだ。その時に僕はもう真っ赤な顔になっていた。初っぱなの紹介から「今日のとりです、とりは赤いです。赤い鳥です」なんて紹介されてしまった。そして生歌で「出会えてよかった」を歌った。こんな酔ってしまってはバラードは歌えないと思ったので、この歌にした。本当には1曲だけの予定だったが、オランさんの一言で「では特別、もう1曲!」と言ってくれた。そこで僕は読みとった。番組的に最後はしっかりしめたい。僕もしっかり歌いたいという気持ちもあった。それが目と目で一致したのだ。「もう1曲いいです?ではせっかくクリスマスイブですから、暖かいクリスマスを過ごせるように「聖夜」という歌をお届けします」そう言ってしっとりと聖夜を歌った。クリスマスの放送らしくしっかりとしめられた。さすが、ふざけているようで、しっかりと番組を考えているオランさんはすごいと思った。「メリークリスマスー」と僕が歌い終えると。「いやーまたイヤらしい声で聞かせてくれましたー さくまくんでしたー」なんて言われて、がっくり(笑)最後はみんなで「ハッピークリスマス」をセッションした。収録がはじまったのは6時だったが終わったのはもう夜の10時半頃だった。その後もみんなで飲んで話しをして、みんな友達になれた。遠い人では羽田の方からきているアーティストもいて、近くでは鴻巣に住んでいる人もいた。集まってきた時はみんなそれぞれの世界をもっているように、隔離していたが、こうして終わるとみんながフレンドリーになっている。これもフラワーラジオのすごいところだと思った。「では、また来週きます!」来週も生出演があったので僕がそう挨拶した。「じゃ、酔っぱらった写真、その時渡しますね!」「いやー 見たくないですねー 本当にすいませんー」「ハッハッハッハッ」心から笑った声が局内に響き渡った。是非、この酔った僕の姿を聞きたい方は12月24日 19:00~22:00のフラワーラジオ「オラン本柳のGOGOインディーズ」を聴いてください。FM76.7(鴻巣周辺で聞けます)...

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大宮ソニックシティー 『遠くに聞こえたメロディー』

今回のテーマは「遠くに聞こえたメロディー」。大宮ソニックシティーホールでどんなメッセイージが伝えられるか、朝からどきどきしていた。毎回9時に会場に入り準備をするのだが、今回は照明や音響の準備を迅速に行う為に1時間早く入った。しかもそのさらに1時間前にソニックシティーに集合。という事は7時には会場に到着していた。出発した頃はまだ真っ暗だった。7時から4トントラックから2トントラック(地下へ搬入する為の車)に機材を積み替えた。この時点で15人近いスタッフが集まっていた。トラックを何往復もして機材を搬入する。その頃メンバーも続々とやってきた。もちろん一番に着いていたのは、僕と小野、そして松井君、その後ギターの倉川が到着、続いてドラムの山地、そして楽器の都合で大夫遅い入りの予定だったサックスの斉藤君もすごく早くに到着した。各部署の仕事を手際よく進めていく。今回は本物の大工さんも参加していて、舞台作りもスムーズだった。照明の黒須さんもすごい早さで準備をしていく、音響と舞台の黒澤さんの声がホールに響くと、僕も「さて、いよいよコンサート当日なんだ」という実感する。ロビーではHSDスタッフの金井がなにもないロビーをお客様の出入りがしやすいようにテーブルを並べて、そしてポスターを貼り準備をしていく。客席ではビデオの馬場君が三脚をたてて、何台ものカメラを使ってチェックをする。カメラの青山さんも大きな望遠レンズをのぞきながら、いいアングルをさがしている。映像のチャックも映像さんと、実際映像を出す黒須さんと、制作をした小野とで打ち合わせをしている。メンバーは楽屋でそれぞれ最後の練習をしている。すべての人が本番のコンサートに向かって必死で動いていた。明かりのチェックも終わりいよいよサウンドチェックに入った。誰もいない客席に響く歌は、この数時間後に入ってくるお客さんの笑顔を想像していた。順調に進んでいた、リハーサルにトラブルが発生した。オープニングで振り落とされるシャ幕(白く透ける布)が落ちないのだ。1曲目の途中できれいに落ちる演出なので、失敗する訳にはいかなかった。黒須さんも黒澤さんも僕も慌てて、もう一度細かくチェックをした。3回目にやっときれいに落ちた。ちなみに一度落とすとまたセットするのに15分くらいかかる、そして「これで完璧だろう」というところまでチェックをして、いよいよ客入れになった。16:30だった予定がちょっと押して16:50から開場した事は、本当に申し訳なかったとみんなここから思っています。楽屋ではメンバーが着替えをしていた。僕も慌てて着替えた。今回は袖スタッフに和田君という若いアーティスト志望の人が着いてくれていた。僕のギター出してや、弦が切れた時の対応、イスだし、熊だし、着替え等すべて彼にまかせられたので、すごく助かった。17時15分 いよいよ本番がはじまる。袖ではメンバー6人で気合いを入れて、ステージへ向かった。今回はシャ幕があったので、ステージ上に最初からいるのが演出だった。ステージに出るとすでにお客さんの姿は見えた。「たくさん集まってくれて嬉しいな」という気持ちでいっぱいになった。雲の早回しの映像が映って、松井君のキーボードが入る。そして、「寂しくないと~ほらまたウソを」と歌い出す。そうだ「Forever」だ。サビまでは映像のまま、シャ幕の中で歌う。そしてサビから舞台に明かりが入り、シャ幕が一気に落ちた。大成功だ!そごく心から歌えた「Forever」だった。続いて「ChangeMyHeart」「出会えてよかった」と続いた。お客さんも手拍子をして盛り上がった。そして最初の挨拶。今回は道をテーマにしました、舞台場も道です。と言うと、みんなステージ場をのぞき込んだ。前の方にいる人はセンターのスロープの白い線が見えなかったのかもしれない。なかなかみんなにわかってもらえるような美術は難しいと思った。「最後までごゆっくりお付き合いください」そして「エピローグ」がはじまった。続いて「遠い記憶」ここで映像(白黒の静止画)を使った。色々な昔を感じさせる写真を写しだしていく。本等で使っている写真を見つければ早かったのだが、写真にも特許があるので、なんとか自分が持っている写真や、改めて撮影した、懐かしい写真を使用した。中には僕のおばあちゃんや、兄の昔の写真も使っていたが、きっと見ている人はわからないでしょうね。ただ、お客さんの中にいとこがいたので、その人は気づいたようです・・・。恥ずかしい。次は松井君のピアノで「足でまとい」僕はイスに座って、しっとりと歌った。改めて「いい歌詞だ」そう実感して歌っていた。次のコーナーではメンバーが担当楽器に似た楽器を使って演奏するコーナーだ。ここでメンバー紹介もした。キーボード:松井清はおもちゃのピアノ、ギター:倉川知也はアコースティックギター、サックス:斉藤尚久(たかひさ)はフルート、ドラム:山地厚臣はカホーンという打楽器、ベース:小野滋久はアコースティックベース、そしてボーカルさくまひできはウクレレを弾いた。ここでのトーク途中で韓国に行った話しになって、ハングル語の「さよならも言えなくて」を歌った。今回はこの歌を韓国語に訳してくれた、ジュンさんが会場に来ていたので、緊張してしまった。そして「記念日」「ラストクリスマス」を歌った。次はアカペラで「聖夜」この歌は初め今回のコンサートの予定になかったが、黒澤さんのリクエストで「この歌を今歌わなかったら、1年また待つのか!?」なんて言われた。きっと本人も聞きたいようだった。聖夜が終わると松井君のエレピの優しい音がホールに響いた。そして「ラストシーン」のイントロ。切ない旋律が僕のこころをさらに駆けめぐった。次はいよいよメンバーが待ちこがれたインストロメンタル(歌詞なしの曲)で「スターライト」だ。9月に行った星空のコンサートの時に作った曲で、その時以来披露していなかった曲だ。サックスのフレーズが一気にホールのムードを変えた。僕のギターフレーズを除いて、完璧に決まった!。「inthosedays」が終わると、「声がキキタイ」。この歌は真夜中の車の中で作った歌で、その時は本気で切なかったので、歌いながらすごい感情がこみ上げてきた。次のトークはリハーサルでも一度も話していない話しだった。学生時代の話しをして、「僕もツメ入りのがくらんで学校に通っていました、今では想像つかないでしょう?」なんて話しをして、「今度メンバーみんなで制服でコンサートやろうか、もちろんお客さんも」なんて言ってみんな大笑いだった。中学の頃いつも一緒にいる仲間がいた、そしてギターを一番最後に買った「よっちゃん」という友達が、「ギター教えて」と僕を訪ねてきた。なかなか教えてあげる時間がなくて、結局彼は20歳の頃に交通事故でこの世を去った。「なにかをしてあげようと、思った時が、なにかをしてあげる最高のタイミングだと思います」そう話して。「もしもこの命があと1月と言われて、その期間に3つだけ願いが叶うとしたら、なにを願いますか?、僕なりに考えて作った歌、三つの願いを聞いてください」そして、ギター一本で三つの願いを歌った。途中からバンドも入ってくると感極まって、2番の歌詞が歌えなくなってしまった。歌いながらも、よっちゃんがどこかで見ているかな?なんて事を考えていた。歌い終えると、映像が映る、カーテンが揺れている映像。そして「さよならも言えなくて」のイントロ。今回のメインソングだ。ギターを持たずに歌ったので、ものすごく心が入った。僕らには映像は見えないが、リハーサルで何度も見ているので、今どんな映像が映っているかをイメージ出来た。最後のサックスのフレーズが歌い終えて、心冷めない僕の胸に響いた。普段ここでフーとかアーとか歌ってしまうのだが、今回は声が出ない程だった。後半はみんなで盛り上がって、「元気」「Goodちょっとパラダイス」最初小さい熊が登場、そして客席へ投げた。終わったかと思いきや、山ちゃんのドラムでまたはじまる。そしてその締めで、中くらいの熊が登場。客席に投げた。そしてまた山ちゃんのドラムが入って、「もう熊ないよ!」と僕が叫んだ。そしてその締めになった時、スタッフの和田君が大きなダンボールを引きずってきた。会場は盛り上がった。そして、そこから大きい熊が出ると思いきや。すっごく小さい熊が登場。これは大爆笑だった。それをバケツに入れて、次々に投げた。最後はその箱から巨大熊が登場。これはなんと、韓国で僕が買ってきた韓国産の熊のぬいぐるみだ。勢いよくなげて、本編終了!アンコールの波が押し寄せてくる。着替えを終えて、ステージに出た。「ここにいるから」はいつ歌っても暖かくなれる歌だ。メンバーは前に出て、次々に花束が来た。中には市町村キャンペーンの時、白岡駅であった、白岡中学校の生徒さん達も花を持ってきてくれた。持ちきれないくらいになってしまった。そしてメンバーを紹介した。最後に一人残って、今日は朝早くからみなさんの見えないところで動いている仲間がいます、そんな仲間にも盛大な拍手を!と言ってスタッフに拍手を送った。「今日はアンコール1曲しか用意してなかったのですが、どうしてもやりたい事があって、もう1曲だけお付き合いください」そう言って、今日のテーマの説明をした。「遠くに聞こえたメロディー、というテーマですが、僕は歌を作って、自分の歩いてきた道の上で、例えるなら、スナップ写真を撮っていくように、歌と作っていく、でもきっと誰もが道の途中でメロディーを作っているのだと思います。人生を振り返った時、すべてを思い出せるわけではない、楽しかった事、悲しかった事、が断片的に思い出せる。きっとその瞬間にメロディーによく似たなにかが生まれているのでしょう。だから振り返った時に鮮明に思い出せる。そしてこれからの道でも素敵なメロディーが生まれるように、いつも笑顔で元気にがんばって行きましょう。辛い時はきっと今まで作った遠くに聞こえるメロディーが今の自分を支えてくれる。」そんな話しをして、最後に生の歌声で「さよならも言えなくて」を歌った。これだけ大きなホールでマイクを通さない声でちゃんと聞こえるか、企画の段階でみんな不安だったが、僕は出来る!そう信じていた。今日のコンサートで一番緊張するシーンだった。声も大夫かれてきている事に自分で気づいていたが、精一杯歌った。最後の声がホールに響いて、終わった。最後のBGMが流れてくる中、僕は右、左、そして中央の順で頭を下げた。そして、スロープを上がって、頭を下げる。下げきって最後の映像。という流れだった。すべて僕のタイミングにかかっていたが、いただいた花束に目がいった。持って帰らないと!そう思って、すぐに抱えて、頭を下げた。ぴったりで映像がはじまった。袖で映像を見ていた。スタッフの名前がロールしてくる。そして最後に僕のメッセージが映る「これからの道の上に」「素敵なメロディーが」「生まれますように」3段階で映る。最後の言葉が出たときに拍手が出たら大成功だね!と黒澤さんも黒須さんも僕も言っていた。調光室、客席PA卓、袖の僕、その3人が別の場所で息を飲んだ瞬間だっただろう。盛大な拍手がホールに響いた!瞬間僕は「やった!!」ガッツポーズになったて、涙が出そうになった。一つのコンサートを成功させるのに、何人もの思いが入っている。それが成功するという事は本当に嬉しい事だ。そして、その成功とは、やるべき事がちゃんと出来たという事ではなく、やった事によって、お客さんの心に届いた、という実感が成功を生むのだ。こうして今年最後のビックイベントが終わった。すべてのスタッフが最後の最後まで残っていてくれて、最後の楽器がトラックに積み込まれる瞬間を寒い大宮の夜の中、見守っていた。ソニックシティーの裏通りで、僕が挨拶「みなさんの力で大成功できました。本当にありがとうございました」そして、みんなで拍手をした。「また来年も一緒にがんばりましょ!」黒澤さんの言葉が響き、みんなまた笑顔になった。「その前に打ち上げを温泉でやりましょうか!」みんなの顔がさらに笑顔になった事は間違いない。その笑顔に確かの満足感を僕は心に感じ取っていた。まだ今年は全市町村キャンペーンが続きます、そして来年のコンサート予定も着々と決まっている。これからの活動も是非とも応援してください。今日は本当に素敵な時間を同じ道の上で過ごせて幸せでした。来ていただた方、本当にありがとうございました。そして、予定があってこれなかった方、是非来年お待ちしています。さて!今年も残りあと半月!がんばっていきましょ!!!...

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いよいよ明日ソニックです!

2004年最後のビックイベント 大宮ソニックシティーでのコンサートがいよいよ明日です。今回のテーマは「遠くに聞こえたメロディー」さて、その答えは・・・?人の人生は、長い長い道のりです。時間と共に一つの道の上を人は歩いている、たった一人で歩いている道だが明日のコンサートはみなさんの道と僕らの道が一つになる瞬間です。同じ時間を一緒に楽しく過ごしたと思っています。楽しみにしていてください。それと、昨日の夕刊フジに全市町村キャンペーンの記事が掲載されました。その記事を見た文化放送の方から電話が入り、なんと生出演が決定しました。12月29日(水)文化放送1134「辻よしなりのラジオグラフティー」16:00~17:50に生出演して、生歌まで披露します。出演時間は16:30頃です。是非聴いてくださいね。では、明日最高のひとときを・・・。...

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南越谷駅

今日はビートルズのジョンレノンの命日ですね。僕が小学校の頃、父に「ビートルズの一人が暗殺されたって」と聞いて、その頃日本ではズートルビがはやっていたので、江藤さんが打たれたのかと本当に思っていた。もちろん中学の頃からビートルズにはまったので、その時に「あの時のニュースがジョンレノンだったんだ」と知りました。僕はどっちかと言うとポールマッカートニーの作る曲の方が好きですが、ジョンのイマジンというアルバムを聴いた時は結構衝撃でしたね。シンプルなのにすっごく心に伝わる!そんなアルバムですね。今でも名作と思いますね。僕の中でのアルバムの名作と思うのは。イマジンと、レッドツェッペリンの4枚目、デレクアンドザドミノスの「レイラ」 あとはクイーンの「イニュインドゥ」、邦楽だと、浜田省吾さんの「青空の扉」 尾崎豊さんのライブ盤、中島みゆきさんの「恋文」さだまさしさんの「夢の轍」 アルフィーの「ForYourlove」、ストローの「秋ってなに色」ですかねー(笑)話しがそれていきました・・。人生をかけて音楽をやれた事、そして、歌を通して強いメッセージを伝えてくれたジョンレノンは音楽史に確実に名を残すアーティストだと思います。僕も誰かの胸の中で一生生き続けられるアーティストになりたいですね。さて今日は1本だけ、南越谷駅。はじめて来たので、びっくり、駅が新越谷と、隣あわせでくっついているのだ。現場をチェックしていると、金髪の人が一人歌っていた。ちょうどいい場所だったのだが、仕方なく、南越谷駅を出てすぐのところでやった。歌っていると、一人の女性がやってきた。「久しぶりです!」よく見ると、以前僕がやっていた、音楽イベント、「ホットスプリングディスコグラフィー」(さくま、倉川を中心に埼玉会館大ホール等で定期的に数バンド出演して行っていたイベント)で出演していたアーティストだった。「どこかで聞いた事のある声だと思って来てしまいました」と彼女は言った。僕の声に面影を持ってくれているっていう事は嬉しいですね。他にも「昨日テレビ見ました」という人が数人いてやっぱりテレビはすごいと思いました。最後にずっと聞いていてくれた、老婦人が1000円札をギターケースに入れてくれた、僕は「CD持っていってくださいよ」と言うと「主人と2人きりだから、CDは聞けないんです、でもがんばってくださいね、応援してますから。昨日もテレビ見てましてね、今日、偶然ここでやっていて、会えてビックリしましたよ」そう笑顔で言ってくれた。年齢を問わずこうしてたくさんの人が僕の事を知って行ってくれる、本当に嬉です。かつて僕はドリフターズが大好きで、テレビでドリフが出ると、家族が集まり、会話が生まれ、日常でも「怒っちゃやーよ」とか「カーラースなぜなくの」とか会話に出てくる、その事によって、家族が笑顔になれた、そんな時代があった。あの頃のテレビって本当に年齢を問わずに楽しめた事で、一家が集まれたように思います。今の音楽もはじめてにプロモーション的に言われるのが、「何歳くらいをターゲットにしていますか?」という事だ、確かにビジネス的には大切かもしれないが、今の僕はそう聞かれたらこう答えるだろう。「子供から大人、お年寄りまで、みんなで楽しめて、そして感動できるアーティストです」と。家族連れや、今では親子3代で来てくれるお客さんもいる、本当に誇りです。これからも、家族が優しくなれる、会話が生まれるそんなアーティストを目指してがんばります。1000円をギターケースに入れて、僕を振り向いて、軽く会釈をして帰って行った老婦人。きっと家に帰って、旦那さんと僕の話をしてくれるのかな?「昨日テレビ出てた人が駅前で歌っていたよ」なんて。想像するだけでも、心が温かくなった一日でした。...

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NHK総合テレビ放送!!

先日4日の取材が早くも本日 NHKテレビにて放送されました。初のNHK出演です!!番組は5時~7時の首都圏ネットワーク。その中の6時45分からの首都圏リレーです。神奈川とさいたまがピックアップされていて、横浜はフェアリディーZという車のパトカーが永久保存される話題。そして、埼玉は全市町村をストリートライブをしてまわるミュージシャンの話題、そう僕の事でした。いきなり画面に出た自分を見て思わず「おー!」って言ってしまいました。所沢での模様から、森林公園、嵐山駅と続いた。僕のインタビューも2回ほど出た。「そこに町の人が一人でもいる限り歌います」という事と、「まだ行った事ない街もあるだろうし、きっと歌いたいと思える街もあると思ってやっています」という言葉だった。2~3分くらいの放送でしたが、大夫長く感じました。少しずつですが、メディアにも露出しはじめたので、もっともっと磨きをかけてメッセージを込めてがんばっていこう!と思いました。見ていただいた方も本当にありがとうございました。インタビューに応えていただいた方も、放送されなかった方もその気持ちは僕に伝わっています。本当にありがとうございました。これからも応援してください...

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