kumakuma-blog

2004年

戸田駅~蕨駅 

大夫冷えこんできた11月も終わりです。今日は戸田と蕨の2か所。夕方戸田駅の到着、なかなかきれいな駅だった。埼京線の駅なので、新幹線のように上に電車が走っている、その為下は高架下のように、広い通路になっている。ようするに北口から南口へとつながっている通路があるのだ。ここはいいな、さて、はじめよう。と思ってギターを出した、その時。通路の向こうの方から、どなり声が聞こえてきた、初め知り合い同士がけんかでもしているのかと思ったら、様子が違った。ホームレスのような男性が自転車の女性に向かって怒鳴りつけていたのだ。「ここは自転車降りて通るところなんだよー!」大声でそう言っていた。確かに筋は通っている意見だった。それから起こる出来事の前までは・・・・。自転車の女性は自転車を降りて「すいません」と謝っていたが、なんと男性はその人の髪の毛をすごい勢いでつかんで、「てめーみたいのは死んじまえ」と暴力をはじめた。女性も「痛い!!」と大声『これは大変だ』そう思った僕は、ギターを置いて、すぐに駆け寄った。「やめなよ」男性にそう言うと、ちょっと後ずさりした。演奏前だったので、すでにサングラスをしていたので、はたから見ると僕の方が怖い人に見えるだろう。「なんだとー!」と言いながらも僕には手を出してこなかった。「暴力はやめなよ、」そう言って、自転車を起こしてあげた。女性も「ありがとうございます」と言って帰って行った。どれでも男性は「おまえなんか死んじまえ!」と暴言を吐いているので、僕もキレタ・・男性が立ち去ってあと、改めてライブを始めた。北風が寒かったせいか、みんな足早に家路をいそいでいる。そんなとき、犬に散歩をしている人がやってきた。ちょっと立ち止まって、飼い主のおじさんがロープを引っ張ると、なんと犬が動こうとしないのだ、しかも歌っている僕の方を見ている。「さよならも言えなくて」を歌い終えると犬は立ち上がって帰って行った。飼い主も「気に入っちゃったみたいで」なんて言って笑って帰って行った。日本中をまわって、韓国まで飛び出して、しかもこれからは動物まで!なんだかすごく嬉しかった。次は蕨駅。西口に銅像があって、その横で歌った。なぜか足を止める人は少なかった。それでもしぶとく歌った、あげく、ちょっと高い段に登って大声で歌った。すると人が立ち止まりはじめた。中にはCDを買って帰ってくれる人もいた。都会に近くなると、ちょっと派手な事をしないとだめなのかな、なんて実感した。今日は色々と考えさせられた。人がたくさんいる街、そうでない街、色々とまわっていると、感じる。人は人数が多くなると、なぜ孤独に見えるのだろう?戸田駅にいた男性も、まわりから見たら危険な人物で起こした行動はいけない事だが、注意した内容は正しい事だ。では、なぜ普通に生活している人は、自転車を乗って通る人に注意の一つも出来ないのだろう?「他人事」と言ってしまえば、「誰かがやるから」と言ってしまえば楽なのかもしれない。都幾川村で歌った時、一台の救急車がやってきた、すると、近所中の人が心配そうにやってきた。それを見た時にこの村はみんなが家族のようなのだ。もちろんたくさんの人間の中でもその人の世界がある事は間違いないが、人に注意をすると刺される時代とういのが寂しいですね。この世に本当に正義はどこにあるのだろう?そんな事を考えた1日だった。...

詳細ページ

FM79.5ミュージックチャレンジャー収録

FMナックファイブ、ミュージックチャレンジャーの収録でした。表参道のスタジオで毎回収録しているのですが、今回も生歌があって、「さくまさん、先に曲だけ録っちゃいますか?」と聞かれて、「収録の時に流れ出歌いますよ」と言ったら、一誠さんが「んー、録っちゃおうか」と言ってみんな大爆笑。なぜかと言うと、知っている人もいると思いますが、前回ジャパニーズドリームに生出演して、生歌を歌った時になんと歌詞を間違えてしまったので、今回は先に録る事にした。もちろん、1発OKでしたけどね。番組の内容もキャンペーンの話しと韓国の話し。突然「では韓国語のさよならも言えなくてをかけてみましょうか?」と一誠さんが言って「さくまくん、韓国語でタイトルはなんて言うんだろう?」と突然ふられたので、「えーっと、アニョー・・アニョー・・・」とどぎまぎしてしまった。収録を終えて、昼食をみんなで一緒に食べた。僕はサバの弁当にした。すぐに帰って、吹上のスタジオでソニックシティーコンサートのリハーサルだった。今日はメンバー勢揃いでみんな一生懸命だ。見ていただく人に最高のものが伝えられるようにメンバー&スタッフ一同がんばってますのでお楽しみに。ラジオの放送は27日土曜日(深夜27:00-28:00)です。是非、最高の生歌と、最高のドギマギを聞いてくださいね...

詳細ページ

鴻巣フラワーラジオ 生放送

フラワーラジオはよく出演していますが、今日はなんと1階サテライトスタジオ(外から見えるところ)前回僕が出演した時に、ファンの人が来てくれて、しかもサテライトではなかったので、見る事が出来なかった。それをきっかけに、このサテライト生放送が実現したと聞いてびっくりした。天気もよく外にはたくさんの人が見に来てくれた。リクエストもメールのメッセージもたくさんきていて、番組もCDを探すのに忙しそうだった、あげく、CDが見つからなくて生歌で「遠い記憶」を歌った。もちろん「さよならも言えなくて」も生歌を披露した。あっという間に時間がすぎて、韓国の話しや全市町村の話しもちょっとしかできなかった。パーソナリティーのアツコさんも「初めは時間が持つか不安だったんですが、逆ですねー」と言ったので「今度は特番でやりましょう」なんて言って笑った。いつかはレギュラーもやれたらなーなんて本当に思っています。今度は12月24日の放送で出演します。もちろんキャンペーンで秩父の方にいるので、これは数日前の収録ですが、アルコールを飲みながらパーティーをやっていく毎年1度のクリスマス特番なので、是非聞いてくださいね。大騒ぎの放送になると思います。もちろんスタジオでの放送もいいのですが、サテライトはやっぱりいいですねー...

詳細ページ

鳩山ー越生ー都幾川ー玉川ー東松山 キャンペーン

ひさしのさいたま市町村キャンペーン!!今日は5カ所。初めは12時の鳩山ニュータウン、行った事のない場所だったのでどこで歌うか迷うと思っていたが、すぐに決まった。お昼という事もあって、小さなお子さんを連れた人達がショッピングセンターの前でお弁当を食べていた。公園のようにもなっていたので、そこで歌った。さよならも言えなくを歌っていると、一人の女性が「これカラオケで歌いますよ、私はよく仕事でカラオケ歌ってるんですよ」と言ってくれた。「すごく歌詞がいいねー」と言って、CDを手にして帰っていった。いつも応援してくれているファンの方も来ていて嬉しかった。2カ所目は越生梅林。さすがに人はいなかった。2月にはすごく賑わうこの場所もさすがにシーズンオフは静かだった。でも一緒に来てくれたファンの人(家族できてくれた)がいたので、そこで歌った。梅林に響く「さよならも言えなくて」は青空に切なく溶けていった。3カ所目は都幾川村の明覚駅移動していても思ったのだが、埼玉にもこんなのどかないい場所があるんだ。と思った。明覚駅もまたレトロな感じで、子供がたくさん遊んでいた。ギターを開くとたちまち子供達が集まってきた。学校帰りの高校生も立ち止まって見てくれた。大夫冷え込んできた、さて、玉川村はどこで歌おうか?次の玉川村は場所を決めていなかった。いざまわってみると歌えるような場所はどこもなく、これはもう村の中心地で歌うしかない!玉川村役場の前で歌った。明かりもない中でただ静かに響く歌声はまたいいものだった。ここまで、家族連れのファンが来てくれて、でもちょっと勘違いで、都幾川村ではぐれてしまったのですが、探して来てくれた。最後は東松山駅。「東武鉄道さんおじゃまします」と心で言いながら、駅構内で歌った。さすがに声が響きわたる場所で気分もよかった。通りかかる高校生も「知ってるよ!」と言ってくれて、さすが吹上から荒川はさんで隣町なので名前が浸透しているようだった。2曲目くらいで、駅員さんに注意をうけて、すぐに移動。駅をの階段をおりたところで歌った。今日はのどかな場所からにぎやかな街までやってみて、やっぱり埼玉は広いなと感じた、そして一緒に何カ所も来てくれる方がいる事が心の支えになった1日だった。少しずつだが「さよならも言えなくて」がふるさとに伝わってきている、そう感じはじめていた。...

詳細ページ

むさしの村

むさしの村は雨が多いのだが、今日はその期待(?)を裏切るような雲一つない青空だった。むさしの村の人も「今日はいい天気でいっぱいになるぞー」と喜んでいた。思った通り、開園すると同時にたくさんの家族連れが入ってきた。12:30に本番開始。たくさんの人が見ていて、やっている方も心が弾んだ。最後の曲が終わると、なにやらくす玉が用意された。なんだろう?と思ったら、なんと僕の誕生日を祝ってくれたファンが用意してくれたのだ。そう、昨日20日になんと三十×歳になってしまった。昔描いていた三十×歳よりもいい人生を送れているので、本当に幸せな事だ。もちろん応援してくれる人がいるからこその事だ。くす玉は小さかったけど、ひもを弾くと派手な紙テープが出てきてびっくりした。楽屋での今日のトークは韓国の話しでもちきり。みんな、日本語を韓国語のようになまらせて話していた。2日目のステージも大成功だった。晴天の野外ステージはやっぱり気持ちいいものだ。ステージをかたづけているとすっかり陽もかけてきて、人もみるみる少なくなってくる。ここにくると本当に、園内の係員より先にきて、園内の係員よりあとに帰るという感じで、一日むさしの村ですごす。なので、すごく愛着がわいてくる遊園地だ。また次回、1月10日も晴れる事を祈って、むさしの村をあとにした。...

詳細ページ

東戸塚オリンピック 

帰国後はつの日本公演、、なんていうと大げさですが、やっぱり言葉が通じる国で演奏できる事は嬉しい事です。変な緊張感もなく出来るからです。12時頃会場に到着。セッティングをして、すぐに本番になった。ここでやるのはもう1年ぶりだったので、オリンピックの人とも久しぶりに会えて、この1年感の話しで花がさいた。ここは軽食を食べるような場所なでのすが、みんな食べながら飲みながら聞いてくれて、しかも終わったあとCDを買ってくれる人もたくさんいて嬉しかった。2回目もステージではアンコールまでいただいて、もっともオリンピックの人が一番勢いよくアンコールしていたのは本当に感激でしたが、アンコールは「出会えてよかった」で盛り上がった。帰りは横浜、みなとみらいのランドマークタワーに行った。そこのスタジオで働いている友人に僕のレコーディング機材を見てもらう為だった。さすが最近では牧原さんと浜ちゃんのレコーディングをしていたらしく、さすがプロユースのスタジオは大きいなーと感動した。帰りはみなとみらいインターから乗って帰った。車に乗っていたメンバー&スタッフがみんな「みなとみらいでー食べたーきねんびのーよるー」って歌いはじめた。歌に街の名前入れるとその場所に行くと僕もついつい口ずさんでしまいますね。聖橋とか大芦橋とか。これからも色々な街を歩いてその歌をかけたらな、と思っています。...

詳細ページ

韓国4日目

韓国4日目!朝早く起きて、また明洞に行った。バーガーショップでコーヒーを飲んだ。野良猫がいて、「おいで!」と呼ぶとこっちに来た。猫は全世界共通語なのかな?(笑)明洞で一番大きいCDショップに行った。お店の人は韓国語しか話せなかったが、僕の自己紹介をしてCDをプレゼントした。すぐにお店で流してくれた。店員さんも気に入ってくれて、渡したチラシをすぐに、レジの前に並べてくれた。お店の外はすぐに明洞ストリートでそこまで流れていた。韓国、ソウル、しかもその中心地で僕の歌が流れている、これは感動だった。何枚かCDをプレゼントして明洞をあとにした。そして、南大門に行ってみた、市場が有名で、そこの小さな路地のお店でチジミとうどんを食べた。「イルボネアーセヨ?」(日本語できますか?)と聞くと聞くとお店の人は首を横にふったが、「イルボン!?」と言ってすごくすごく感激してくれた。食べてる時も色々サービスしてくれて、食べきれないくらいになってしまった。食べ終えて「チョンマルマシンネヨ!」と言っうとお店の人がすごい笑顔になった。意味は「とてもおいしいです!」という意味です。3時頃にホテルに帰って、観光の車で空港へ向かった。一緒に空港に行くカップルもいて、色々話しをした。岐阜の方で、僕が日本でデビューしていると言うとびっくりして、帰ったらCD買いますと言ってくれた。今まで、岐阜県と言えば遠い場所と思っていたが、さすがに韓国で「岐阜なんです」と言われると、僕埼玉なんで近くですねー なんて言ってしまうから不思議だ。今回の旅は本当に得るものがたくさんあった。今まで見えなかったものがはっきり見えるようになった。そして、人と人との出会い。音楽という世界の共通語。そしてなによりも「ドキョウ!」という言葉だ。韓国まで行って、日本語を学んで帰ってくるのも不思議な事だが、きっとちょっと離れたところからしか見えないものってあるのでしょうね。これからもこの経験を生かしてがんばっていこうと思います。成田に着いて、SUNパーキングの向かえの車に乗った。到着すると、お店の人が「お帰りなさいませ、」笑顔で話してくれた。今まであたりまえだった日本の言葉がなぜかあたたかった。ギターケースを見て「演奏してきたんですか?」と聞かれて、「はい!大成功でしたよ!」僕も笑顔で応えた。「どうもありがとうございました。」帰り際の店員さんの言葉に僕もふり帰ってこう言った。「また、行くので、その時も宜しくお願いします!」エンジンをかけると車の中に入れたままだった、韓国語の「さよならも言えなくて」が流れはじめた。写真:明洞のCDショップの店員さんと握手...

詳細ページ

韓国3日目

韓国3日目!今日はせっかく韓国に来たので冬のソナタのロケ地に行ってみました。・・・と言っても実は僕は1度も見た事がないので、どこがどこだかわからないけれど、並木道のところだけはなんとなくわかりました。観光客の人が僕を見ると「ちゅんさん!」「ちゅんさん!」と言ってなぜか一緒に写真をとるはめになってしまった。雪だるまのところは、写真を撮る行列で30分待ちとかだったが、僕は早めに行ったので、すぐに撮れた。春川(チュンチョン)という街は本当にいいところで、ユジンの家とかがある場所は昔の作りの家並がよかった。ちゅんさんとユジンが待ち合わせしたハンバーガー屋の前とかにも行った。色々見ていて思ったのは、「北の国から」とよく似ている。旭川と富良野を舞台に作ったドラマ。そして今は観光名所。そういえば、冬のソナタの監督は倉本総さんがすごく好きだという話を聞いた事がある。ここでも日本と韓国の文化交流がある事を知って嬉しくなった。帰りにロッテ免税店に寄った。日本人がほとんどだった。そして、ちょっと寂しく感じた事があった。修学旅行で韓国にくるのはいいのだが、日本の修学旅行生の態度の悪さだ。お店の入り口でだらしなく座りこんで群をなして話している。話しは変わるが、沖縄とかにのんびりしようと思って行くのだが修学旅行生がいるとうるさくて落ち着かない時がある。そんな時には直接注意してしまう時があるのだが、今回はあきれてものも言えなかった。韓国の男性は軍隊に行く事が決められている、だから、みんな瞳が輝いている、男からみても男らしく見える。もちろん軍隊を賛成しているわけではないが、自由になるって事はだらしなくなるという事ではないと思うのです。格好は自由でも、心の中にしっかりしてものを日本の学生も持ってほしいと思った。僕も高校の時に台湾に行った、想い出はそんなにない、なぜなら連れていかれているイメージがあるからだ。ちょっといきがった友達もいたので、大夫印象も悪かったと思う。もちろん今思えば、あの時の僕も同じように映っていたかもしれない。だから、いつかこの高校生もしっかりした人になれる事を祈るしかないですね。ようするに、修学旅行はどこでもいいんですよね。だから、なるべく自然を壊さない場所、楽しみで来ている旅行客に迷惑がかからない場所を選んでほしいですよね。暑く語ってしまいましたが、楽しみで来ている学生もいると思いますからね。日も暮れたあとソウルタワーに行った。坂を登る途中にカワハギを練炭で焼いて売っている屋台があって、そこで買った。「イゴ、ハンゲジュセヨー」大夫言葉もなれてきた。すごく美味しい懐かしい味だった。ソウルの街を一望してからホテルに帰った。写真:冬のソナタのロケ現場...

詳細ページ

韓国2日目

韓国2日目!ホテルの部屋でハングルのさよならも言えなくてを練習して、3時過ぎに大学路(テハンノ)に向かった。タクシーに乗って「テハンノ ロカジュセヨ」と言葉も大夫なれてきた。大学路は名前の通り、たくさんの大学があって、学生がたくさんいる街だった。日本でいうと原宿のような感じだった。マロニエ公園という場所があって、そこでやろうと思ったのだが、人が少なかったので、通りに出て、そこで歌いはじめた。言葉も通じない人に歌うのは本当に緊張した。準備をしていると、「さくまひでき?知ってる?」という声が聞こえた。日本からきた観光客の団体だった。「日本でもデビューしてるのですが、まだまだ無名ですが、がんばってますので応援してください」言葉が通じただけで、なんだか嬉しくなるものだ。そして、観光客もいなくなって、さよならも言えなくてを歌うのだが、みんな立ち止まらなかった。ギターケースに貼ったハングルの広告は見ていくのだが、立ち止まる人はいなかった。歌える歌も「さよならも言えなくて」しかないので、ひたすら歌い続けた。なかなか立ち止まらないので、なにを歌うか考えて、「そうだ!冬のソナタだ!」もちろんハングルでは歌えないので、日本語で冬のソナタを歌ったら、数人が足を止めた。中にはプレゼントしているCDを手にして帰る人もいた。・・・・が人だかりができるまでにはいたらなかった。90分くらい歌い続けただろうか?ギターケースをかたづけて、ホテルに帰った。「やっぱり韓国では受けないのかな?」そう思いかけていた。ホテルに帰ると、韓国で会う約束をしていた、韓国人のペニーさんが待っていた。「さよならも言えなくて」の韓国語に訳してくれた在日韓国人の人の友人だ。でも、日本語が出来ない。韓国語と英語だった。僕も片言の英語を使って会話した。「テハンノはどうでした?」と聞かれたので「ダメでした」と応えた。その人はものすごくハイテンションの人で、すごく明るかった。「韓国の人はみんなシャイで、テレビに出ている事が有名人の証で、日本のようにストリートや、インディーズの文化がないんです、でもいいと思っているはずです」そう言ってくれた。落ち込んでいる僕に「もう一度行ってみますか!?」と聞いてきた。同じ結果だったら・・・そう思うと素直に「イエス」が言えなかった。でも、ペニーさんの勢いに押された、またテハンノに向かった。地下鉄で行きましょうという事で、はじめて韓国の地下鉄に乗った。夕方とはちょっと雰囲気も変わっていて、さらににぎやかになっていた。歩きながら、色々説明してくれて、マロニエ公園に到着。人もたくさんいて、また緊張していた僕に、ペニーさんは「ヒデキ!ジャパニーズ、ドキョウ!」と言ってガッツポーズをして見せた。「度胸!」という祖国の言葉になぜか感激した。「アーユーレディー!?」という合図で「オーケー!」と僕も応えた。歌いはじめると、ペニーさんがすぐにチラシを配ってくれて、たちまちたくさんの人が聞き入りはじめた。公園に座っている人、屋台のお店の人、スケートボードをやっている人、通りを歩いている人、がたちまち集まってきた。「さよならも言えなくて」の韓国語バージョンを歌い終えて「カムサハムニダ」と言うと公園中の人が拍手してくれた。CDも即座になくなっていった。大成功だった!やっぱりシャイなだけで、ちゃんと聞いてくれる人達なのだと思った。日本と違うのは、歌い始めるとみんな最後までしっかり、真剣に聞いてくれるのだ。ギターをかたづけて、帰る時もみんな拍手で送ってくれた。「ありがとうございました!」とペニーさんにお礼を言った。そのあとも色々韓国語を教えてもらって、僕も日本語を教えたりした。3カ国語がとびかうと、地下鉄のみんなの注目になってしまった。「また韓国に必ず来ますね!」と約束をして、別れた。本当に助けられてしまった。ペニーがいなかったら今回は失敗に終わったかもしれないが、おかげさまで大成功だった。そして、なによりも教えられたのは、韓国語と英語を話す、ペニーから出てきた日本語「ドキョウ!」だった。たとえば、夜のマロニエ公園で夕方と同じ気持ちで歌っていたら、きっと結果は同じだっただろう。でもなにが変わったか。心の持ちようだったのだと今気づく。度胸!言葉の意味を説明しないさいと言われるとよくわからないけれど、やっぱりこのドキョウという響きが僕の心を変えたのだと思う。言葉も通じない国の人の前で、その人の国の言葉で歌う、それは大変だったが、チラシの裏の歌詞をみながら、みんなしっかり聞いてくれた、瞳は言葉以上に僕にも伝わってきた。やっぱり、音楽は国境線を越えられるのだと確信した。数十枚のCDが、それぞれの家のCDプレイヤーから今頃流れているのかな?そんな事を思って、ソウルの夜空を見上げた。コートを着ていても寒いはずの風も、今夜はなぜか暖かく感じた。写真:マロニエ公園で歌うさくま...

詳細ページ

韓国1日目

朝8時に成田に着いた。まるで吉野屋のカウンターが巨大になったようないるUの時につらなったカウンターは羽田では味わえない景色だった。大韓航空の窓口で手続きをして、別の窓口で両替もした。韓国のお金はウォンで表す。日本円の約10倍だ。要するに、10000ウォンは1000円という事になる。最大のお札は10000ウォンなので、数万円両替すると、ものすごい枚数が帰ってきてしまう。出国の警備はさすがに厳重で靴まで脱いでサンダルでチャックするのだ。でも、ここが安全に飛行機にのる為に重要ですからね。ご苦労さまです。飛行機に乗って約2時間で韓国は仁川空港に到着した。「沖縄より近い・・・」そう思った。寒いと聞いてはいたけれど、天気がいいせいもあるのか、日本と変わらない感じだった。空港を出る時に入国手続きがあるのだが、これまた初体験。どうしていいかわからなくて、ただ列に並んでいたら、みんななにやら小さな紙を持っている。これはどういう事だ?順番が来てパスポートを見せてその紙がなんなのかわかった。入国の書類だったのだ、それを書いてから持ってくるのだったのだ。すぐに戻って、その書類があるところを見つけた。銀行のテーブルの様に書き方の見本が書いてあるところがあって、そこに紙もあった。・・・・するとまた困った。英語と韓国語で書いてあるのだ。迷っていると、係の人が来てくれて、片言の日本語で説明してくれた。僕が韓国におじゃまするのだから言葉くらい覚えてこなくてはいけないのに、今回は初めてなので、少ししか勉強してこれなかった。とり合えず、入国を済ませて、荷物を受け取り、車で街へ向かった。空港は海沿いで、ソウルから1時間くらいの場所だったので、大夫時間がかかった。車に乗っていて、ふと、不思議な気持ちになった・・・・「なんだこの違和感は・・」と思ってその答えがわかった。日本とは逆の右側通行なのだ。対向車が左にいる。なんとも違和感があった。「こっちの車は左側通行なんですねー」と運転席に訪ねてまたびっくり!!なんと運転者さんがいないのだ!よくみたら左ハンドルなので、反対の席にいただけだったのだ・・・・。ソウルが近づいて来た。はじめて見るソウルの感想は、工事中のビルがやたら多い事だ。オリンピック以来急発展をしている様子がよくわかった。ふと思い返せば、見慣れていてわからなかったけれど、東京も工事中の道やビルが絶えない。どこの国も発展をし続けているのだと思った。2時頃ホテルに到着。わりと大きなホテルだったので日本語も通じたが、なるべくハングルを使うようにした。「アニョハセヨ」で挨拶すると「アニョハセヨ」で帰ってくる、普通の会話がすごく感動だった。中には僕が日本人とわかってしまうホテルマンの人は「アニョハセヨ」と言うと「いらっしゃいませ」と帰ってきてしまう、これはちょっとがっかりだった。韓国はあちこちにヨン様いる。看板やポスター。やっぱり一番人気のようだ。さて行くぞ!心を決めて、初の明洞(ミョンドン)というソウルの中心街に行った。街の雰囲気は池袋になんとなく似ている気がした。人もたくさんいて、マクドナルドもあった、セブンイレブンもある。でも、日本のお店はそれ以外はほとんどなくて、長年文化交流がなかった事がよくわかる。はじめての挑戦は売店で(韓国は自販機がほとんどなくて、その代わりに街のあちこちにキヨスクのような売店がある)新聞を買った。別に新聞は読めないのだが、ただ買い物に挑戦したかったので、いざお店の前に行った。「すいません!」という言葉がわからなくて、もじもじしていると「いらっしゃい」と言われてしまった。明洞は日本人観光客が多いので、お店の人は少しは日本語が出来るのだ。せっかくのチャレンジだったのだが、結局に日本語で終わってしまった。ただ最後に「カムサハムニダ」と言ったら、帰ってきた事がうれしかった。あとは日本で見ない景色の一つに、屋台の串焼き屋・・・って言ったらいいのか?フランクフルトとか串に刺した唐揚げとかがどっさり積んで屋台で売っている。これが何カ所もあるのだ。そこで、若い女性や高校生が立ち食いで食べているのだ。これは変わっている、挑戦だ!と思って、そこの前に行って、チキンの唐揚げを指さして「イゴ!」と言った。「イゴ」は「これ」という意味だ。最後にジュセヨとつけると、これくださいになる。通じたようで、そこで食べていた。『よし、よし、韓国人になりきっているぞ!』と思って、食べていたら。「お兄さん、ちょっと切るよ」と言ってお店の人が食べづらくなった、う上の方の串を巨大ははさみで切ってくれた。「カンサムニーダ」と僕は言った。そうか、こうやって、切ってくれるんだ。と知った。「おいしいですか」と聞かれて「ネー」「はい」と応えた。・・・・ん?なんか変だぞ。お店の人は笑って「韓国はどうですか?」と聞いてきた。そうだ、日本人ってばれていたのだ。しかもずっと日本語で会話してくれていた。これにはちょっと恥かしくなった。でも、こうしてハングル語が話せて嬉しかった。ホテルに帰ってちょっとのんびりして、夜の明洞に行った。まだ賑わっていて、一回りした。途中でラジカセからBOOWYが流れているのを聞いた。明洞の入り口あたりに、デパートがあって、そこの本屋に行った。向こうの音楽雑誌を買ってくるのも一つの目的だったからだ。でも、音楽雑誌なんてほとんどなくて、びっくりした。日本だと何種もの音楽雑誌があるが、ほとんどないのだ、3冊くらい積んだ1種類の雑誌を買った。すぐ横にCDショップもあって、そこでCDを見ていた。日本のCDもたくさんあった。・・と言ってもやっぱり韓国人のアーティストがほとんどをしめていた。色々見ていると、お店の人が「なにかお探しですか?」と言ってきた。やっぱり日本人とばれてしまったらしい。でもCDショップで言葉が通じるという事は都合がよかった。「韓国で売れているCDはどれですか?」と聞くと、親切にリストを持ってきてくれて、そこのランキングを見せてくれて、「これが、これ」と色々説明してくれた。店員さんも日本語は片言だったようだが、僕も「ハーングンマルチャルモッテヨ」と言って笑った。(韓国語はちょっとしか話せません)という意味だ「日本の歌手は売れてますか?」と聞くと、それもリストを見せてくれて、「これがJポップです」と言って指さした。リストの紙を見て、「平井堅さんと、ゴスペラーズ・・・」僕が読んでいると、「ヒライケン?」と聞いてきたので、文字を指さして「これがヒライケンで、これがオオツカアイ・・」説明してあげた。歌手名はわかるのだが、そのリストの紙は日本語なので、どの文字が誰かがわからなかったようだ。お互い色々情報交換ができてよかった。CDを数枚買って、帰りに「マイ、イルボンアーティスト、明日マイCDプレゼント」と3カ国語入り交じって、お店の人に言った。そして、ホテルに帰って、後日が待てずに、すぐに持っていった、韓国語バージョンの「さよならも言えなくてのCDを持ってまたお店に行った。ハングル語で作ったチラシも作っていったので、それを読んでもらえればすぐにわかってもらえると思った。「アニョハセヨ」と言って入っていくと、お店の人もまた最高の笑顔で向かえてくれた。CDを渡して、「プレゼント!」と言うと、「わー!」と喜んでくれて、すぐにサインを求めてくきてくれた。CDもすぐに流してくれて、そのデパートの7階に「さよならも言えなくて」のハングルバージョンが鳴り響いた。「またあいましょう!」と約束をしてお店を後にした。充実した第1日目がこうして終わった。ホテルでテレビを付けると、みんな韓国語でやっている。これも勉強だと思って、BSの日本語の番組もあったが、あえて、韓国の番組を見てから、休んだ。明日はいよいよストリートライブだ!写真:南大門の市場で食事(正確には4日目の写真)...

詳細ページ