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東京23区、23カ所目ファイナル、渋谷区原宿ペニーレーン

11月7日からはじまった、「ただ見つめてただけの初恋 東京全区23カ所ライブキャンペーン」も早いものでファイナル!!
最後は渋谷区原宿ペニーレーンでした。

キャンペーン中は駅前でのストリートライブが多かったのですが、今日はライブハウスという事で思う存分出来ました。

1月25日に「ただ見つめてただけの初恋」をリリースした時から、いつかペニーレーンで出来たらいいな、とずっと夢を見ていました。
当時はまだオープンしていなくて、作っているという話をきいていたのですが、やっとオープンして今回また一つ夢が叶いました。

ギターだけでのステージを最初は考えていたのですが、最近ピアノの音に自分の声がすごくマッチする事に気が付き、ピアノも弾くことにしました。

リハーサルを済ませて、テーブルには小さなポインセチアが並んでクリスマスのムードになっていましたが、嬉しい悲鳴で予定よりも沢山のお客さんが足を運んでくれて、テーブルも出して、最後はイスだけになっても満員でした。

19時に楽屋からステージに出てびっくり、ものすごく沢山のお客さん!!
「青い地球」からしっとりとはじまり「ChangeMyHeart」と続いた。

途中のトークで「今日は、最前列がものすごく近いですね!」と言って会場も笑いがあふれた。

23区のファイナルという事もあるのですが、来年でインディーズデビューして10周年。
そこで今までのさくまひできを思い返すような選曲にしました。

懐かしい曲のメドレーとしてピアノで「愛を感じたい」「心変わり」「愛という名の列車」を歌いました。

中半は今年何回歌ったかわからない程、歌い続けた「ただ見つめてただけの初恋」を披露した。
これを歌っている時は、やっぱり23区の想い出がいくつも浮かんできました。

後半はこれからのさくまひできを見ていただこうと「いま守りたいもの」「舞姫」を歌った。
90分という時間はあっという間で、最後はアップテンポで「ミカン色の時期」「愛>夢>愛」で盛り上がった。

アンコールが鳴り響く。
再びステージに上がり、「たった一人のアンコール」

そして、1ヶ月半、塗り続けてきた23区の地図の最後に残った渋谷区を赤く塗った。
前回の埼玉71カ所の時もこの最後を塗る時は、本当に泣きそうになります。
10月に自分で作った地図、「これをまた一つ一つ塗っていくのか・・・?」とちょっと気が遠かったのですが、色々なドラマを重ねて、ボロボロになった地図の最後の一つを塗る時は心が動きます。

ピアノに座り、最後は「オリオン」を歌い、長いようで短かった23区キャンペーンが無事に幕を閉じた。


終わった後に、関係者の方が楽屋に来て、みなさんすごくよかった!と言ってくれました。
そして今日見てくれたお客さんの顔は一生忘れないです。

2007年ももうすぐ終わりです。そして来年はインディーズデビュー10周年、メジャーデビュー1年の年になります。

ずっと御世話になってきた音楽評論家の富澤一誠さんも来てくれて、ライブの後、色々な話をしました。

思えば右も左もわからない22歳の頃。
僕の地元、鴻巣市(旧吹上町)に月居和則(ツキオリカズノリ)さんがいた事からドラマがはじまったのです。
彼のデモテープのレコーディングを頼まれて、その頃活動していたバンドでアレンジをして平塚のスタジオでレコーディングしたのです。
そして、その曲が富澤一誠さんのラジオ番組から流れました。
その時はすごく感動でした。
自分の歌ではなく、月居さんの歌のバックのギターですが、自分のギターの音がラジオから流れてきた時はラジカセの前で正座して聴いたものです。

月居さんのプロデューサーが富澤一誠さんでした。
そして、紹介していただき、僕の作品を聴いてもらいました。

そして、新曲を作るたびに送って、アドバイスをいただいていました。
そんなある日、僕の実話を元に作った「平凡だったけど」という歌を聴いて一誠さんが電話をくれたのです。
「この歌、ラジオで流してみよう!」
そして、その番組で120曲くらいある中の13位という敢闘賞をいただいたのです。
でも決してその後はスムーズではない道のりが待っていました。
次ぎの歌を送っても送っても、全然認めてもらう事は出来ませんでした。

そして何年か過ぎて、「心変わり」という歌が誕生した。
そして、当時FMナックファイブのパーソナリティをやっていた「樹摩璃」(イツキマリ)さんというシャンソンの歌手への楽曲提供が決まりました。
「愛という名の列車」そして「心変わり」がCDとして発売されたのです。

発売日は地元のCDショップに走りました、でもどこに行っても見つからず、何件も何件もまわりました。
一日中さがして、諦めた時、地元から50キロ離れたCDショップで見つけたのです。
その瞬間は思わず声が出ました「あった!!」

それからも、険しい道は続き、僕は「人に頼らずに自分に力を付けていかなくてはいけない」そう思って、自主制作でCDを出した。
それが97年3月に発売した「愛を感じたい」だ。

そして全国の有線放送とCDショップをまわった。

やがてストローを結成した。
ストローの作品もインディーズで発売していたが、メジャーでの話はなかった。

それでも街角で歌っていて、「よかったよ」「感動しました」という人の声に励まされて、歩いてきた。

「ドリーマー」というCDを出した頃は、もう限界を感じていた。
それでも、なにかしないとと思い、一誠さんのラジオ番組の前にこのCDを持って銀座のスタジオを訪ねた。

その日、僕はずっと一緒にいた彼女と別れた事を告げた。
一誠さんとも何度もお会いしているので、いつか「彼女は?」と聞かれる事が怖くて、自分から先に告げたのだ。
すると、しばらくうつむいて、「アーティストというのは、そういう出来事をしっかりと受け止めて、歌にしていく、辛くても歌にする、それがアーティストだよ」
と言った。

それから半年後「さよならも言えなくて」が生まれた。

一誠さんがこの歌を聴いた時すぐに電話をくれた
「これだ!」
それから2年後、2004年「さよならも言えなくて」でメジャーデビューを飾った。

それからもまだまだ道のりは険しかった。

各地でキャンペーンをして、埼玉をまわって、やれる事はなんでもやろうと思った。

ふるさと埼玉全市町村90カ所キャンペーンを達成した2004年の終わり、ものすごい空虚感を味わった。
終わってしまって、これは無駄な努力だったのかもしれない・・来年からどうなるのだろう?

そんな時、また一誠さんから電話がなった。
「関係者がさくまくんのがんばりを見て、次ぎの作品も出そうと言ってきたので、曲を作って」

嬉しさに涙が出そうだった。
そして、2005年そうそうから曲作りがはじまった。
でも、作っても作っても納得行く作品が出来なかった。
この時にはじめて、作品を産み出すつらさを味わった。

何十曲も作って、「これだ!」という作品が完成したのは、秋も深まった頃でした。
その曲のタイトルは「ラムネ色の物語」
のちに「ただ見つめてただけの初恋」とタイトルを変えて、レコーディングがはじまった。

2006年1月25日、長い時間をかけて、さくまひできとしてのソロデビュー曲が発売になり、その月のラジオでグランプリを受賞、そして全国の有線放送問い合わせチャートで2位、CDショップの売り上げ8位、等々、この歌は翼を広げはじめた。

もちろん、そこに頼る事は考えていなかったので、常にアーティストから出てくるパワーを惜しみなく出していった。

埼玉71カ所をまわり、秋の交通安全イメージソングを作りコンサートを行い、東京23区をまわった。

最初は来年東京をまわろうと考えていたのだが、そこで背中を押してくれたのは、やはり一誠さんでした。
「みんな待っているから、予定を早く組んで、がんばってやってみよう!」
その一言で、僕は東京の地図を買ってきて、歌える場所にしるしを付けた。

しるしを付けている時は、歌う時の事をイメージしている、そうすると逆に気持ちが弱くなっていった。
ここで歌えるのだろうか? ここは人が立ち止まってくれるのだろうか?
悪い方に考えが進んで行くのだが、「やるしかない!」
そう心に決めてはじまった。

そして、今日終わってみると、すべてが最初にイメージしていた悪い事はなにもなかった。
いつでも聴いてくれる人がいて、立ち止まってくれる人がいる。
そして、満席でファイナルを迎える事が出来たのだ。

いつも思うのだが、「やってよかった」そう心から思えたキャンペーンでした。

帰り際に一誠さんが言った一言に感激しました。

「だいぶ時間がかかったけど、やっと追い風が吹いて来たね、でも追い風っていうのは、待っていても吹いてこない、どんな苦しい思いをしても、どんな辛くても、自分の力で歩いてきて、その結果がある所までいった時に、はじめて追い風は吹く。これからもがんばろう!!」
そう言って帰っていきました。

追い風。
思えば一誠さんと出会った時、僕は追い風に身をゆだねた。
「これでなんとかなる、プロになれる」そう思いこんでいた。
でもそれは間違いだった。
そして、10年かけて、アーティストパワーをかけて歩いてきた。
きっと一誠さんはその事を10年かけて僕に教えてくれたのだと思います。

もしも本当に今、追い風が吹いてきているのなら、僕はすごく嬉しく思うが、そこに頼らず、自分のパワーも落とさずに、追い風と共にがんばって行こうと思っています。

僕に生まれるパワー、それは僕の歌を心から感じてくれて、そして笑顔になって、時には涙を流して聴いてくれる、そんな人達の心に支えられています。

すべての人に感謝の気持ちを持って、そしてその期待に応えられるように、これからの道を歩いていきたいと思っています。

夕方、賑やかだった表参道も、すっかり人がいなくなって、静になっていた。
「ふぅー寒い・・・」
東京23区を歌いきった僕の背中に追い風が吹いてきた。
それはまるで23区の想い出が僕に「よくやったな」と言っているようだった。

空を見上げると綺麗な星空が映っていた。
「東京でもこんなに綺麗な星が見えるんだな・・・さて!帰るぞ!」

一度だけ拳を強く握ってから、僕は駅へと歩きだした・・・。

明日という場所へ、そして夢という場所へ向かう道を
また、歩きだした・・・。

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