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2012年

12.3.11 東日本大震災 市民とボランティアのつどい (宮城県仙台市東北大学片平キャンパスさくらホール)

前の日に仙台に泊まろうと思っていたのですが、市内のホテルはいっぱい。ずっと前から予約をしようと思っていたのですが、いっぱいでした。やはり3月11日はたくさんの取材や催し物、追悼式があるから、いっぱいなんですね。近くまで行っておこうと思って、とれたホテルが福島市内でした。2000年のライブハウスツアー以来、福島の街にきましたが、すごくにぎわっていました。福島っていうと、郡山が大きな街ですが、その60キロくらい先に福島市があるんです。県庁所在地も福島市なんです。同じような県で、栃木がありますね。栃木市ってあるのですが、大都市は宇都宮というイメージですよね。ちなみに栃木県は県庁は宇都宮です。さて朝早くに出発。間もなく仙台インターを降りて、会場の東北大学片平キャンパスに到着。前回、打ち合わせにきているので、場所が完璧でした。到着すると、片平キャンパスのさくらホールはボランティアの人でいっぱいでした。車のナンバーも神戸だったり、尾張小牧だったり、各地からかけつけているようです。今回は、阪神淡路大震災の被災者からの応援を込めてという事で、兵庫県の高校生や、関西の歌手の方、ボランティアの方がメインとなっていました。関東からチーム愛つなごうというボランティアが参加して、僕はその中で歌を歌わせていただける事になりました。いきさつは2月にNHK第一ラジオの全国ネット番組「絆歌」から流れた「命~2011からのメッセージ」がはじまりでした。この歌をたまたま聞いた方が、チーム愛つなごうの方で、3月11日にこの歌を届けに行こうというメールをいただきました。3月の土曜日曜はほとんどスケジュールがうまっていたのですが、この日はたまたま空いていたのです(手違いでオルトンの告知をしてしまったのですが、申し訳ありません)メールをくださった方と東北大学に事前に打ち合わせにきたのですがその時驚いたのが、兵庫のボランティアの主宰の方が、僕を知っていたのです。帰り際に「さくまさんはイオン猪名川でも歌っていたでしょう」というのです。イオン猪名川のお店の組合の方もボランティアの仲間だったのです。さらに今回の司会はラジオ関西の方で、以前ラジオ関西も出させていただいたんですとい話もしました。色々な所で、人の縁がつながっているんですよね。当日、チーム愛つなごうの方と初めてお会いして、リハーサルをやりました。そして本日の出演の方の名前を見てびっくり、なんとフォーク界の大大大先輩、高石ともやさんと、なんとなんと!僕の父が一番大好きだった、五木ひろしさんだったのです。第一部は追悼式なので、おごそかに進められたステージでした。その前半での出演でした。満席になったさくらホール、市民の方や、被災された方もたくさんいる中で「命~2011からのメッセージ」を心から歌いました。途中、涙を流して聞いてくださる方もいらっしゃいました。そして「がんばれあなたの命」の所は声を張り上げて歌いました。この歌を作ったときに思ったのです、「がんばれあなた」では荷が重すぎるんです。がんばってという言葉では足りないんです。なので、そのずっとずっと奥にある命に呼びかけたかったのです。そこで「がんばれあなたの命」という歌詞になりました。歌が終わると、一瞬沈黙があった後、割れんばかりの大きな拍手に包まれました。その後は気仙沼で被災された方のメッセージでした。その方が僕の歌詞を言った時にはびっくりしました。「さきほどの歌にもあるように、生きているという喜びは、時として悲しみもつれてくる、生きているという悲しみはいつの日か喜びをつれてくる、まさにその通りです」そう話を続ける方の言葉を聞いていて、涙が出てきました。被災なんてしていない、僕が作った歌の歌詞が、ちゃんと届いているという事に涙が出てきました。そして、気休めだとか、いいきなもんだって思われたらどうしようとずっと思っていた僕の気持ちにある意味、一筋に光を灯してくださいました。この歌をもっともっと自信を持って歌っていこうと心から思いました。出演が終わって、いったん控え室へ行って、後半の高石ともやさんのステージも見させていただきました。高石さんはトークも面白く、歌もみんなで歌いましょうと言って、すごく会場がやわらいでいました。さすがだと思いました。ステージを終えた後、御挨拶をする事ができました。同じジャンルの方なので、すぐに親しくお話をさせていただく事ができました。一誠さんの話にもなりました。高石さんいわく「彼はいつも遠くの方までコンサートに足を運んでくれて、一生懸命な人ですよ」と言っていました。一誠さんの評論家デビューのきっかけはフォークシンガー岡林信康さんのコメントが雑誌で書いてからです。その岡林さんが憧れたフォークシンガーがなんと、高石ともやさんですから、僕にとってどれだけ大先輩かわかりますよね。岡林さんの後に吉田拓郎さんや井上陽水さんがデビューして行くのですから。「高石さんの時代の方が作ってくださった道の上を歩かせていただけて、光栄です」と僕は言いました。そして、これからの僕の音楽活動のかてになるようなとてもいい言葉、美空ひばりさんが言っていたという、とてもいい言葉もいただきました。何十分も長話をしているうちに、五木ひろしさんのステージです。3曲という短い時間でしたが、「ふるさと」という五木さんのもち歌も歌っていて涙が出そうになりました。終わった後に、五木さんとも御挨拶をする事ができました。「本日、前半で歌わせていただきました、さくまひできと申します!」と言うと五木さんは笑顔になって「見てましたよ」と言ったのです。会場が広くて、まさか見てくださっていたなんて思ってもいなかったので、びっくりしました。そして続けて「ギターが上手ですね」と言ってくださいました。そして、僕の父が五木さんを大好きで、レコードを全部持っていて、五木さんのような歌手を父も目指していて、その影響で僕も歌をはじめたんです。という事を伝えると「そうですか」とじっくりと聞いてくださいました。本当ならお忙しいのに、忙しいそぶりは一切見せずに、じっくりと聞いてくださる姿勢に本当に感激しました。最後に握手をしていただきました。短い時間でしたが、本当に夢のような時間でした。父が夢みた歌手を僕が目指して、僕の中の目標に、デビューというのもありましたがさらに五木ひろしさんと同じステージにたてることというのがありました。これは自分が憧れたアーティストではなく、父が憧れた歌手の人と同じ場所にたてるという自分へのすごく大きな目標でした。3月11日という悲しみがたくさんある日ですが、その日に「命」という歌を歌えてそして、父のあこがれの方にお会いできて(父のあこがれでもあり、僕のあこがれの人でももちろんあります)、一つ一つの点がすべてつながったような一日でした。さらにその出演の予定を組んでいた方が、猪名川で僕を見ていた、まさにつながっていると思いました。陽もくれた頃、ホールの外では、キャンドルを灯しての式、そして復興を願って、風船をみんなで飛ばしました。空高く飛んで行く風船をいつまでもいつまでも、僕は見上げていました。きっとこの空の上で父がびっくりしているでしょうね「五木ひろしさんに会ったのか!?」ってね(笑)そして、二言目には言いそうです「サインもらってこい!」ってね(笑)サインはもらえなかったけど、また一つ心に決めたことがあります。今日はいつか父に報告したかった夢「五木さんと同じ舞台」がかなったのでまた再会できる夢です。一言で再会とは簡単ですが、ようするに五木さんのような立派な歌手に一歩でも前進しなければ再会できないという意味です。まさにこれからの勇気をもらえた一日でした。震災から一年の今日。宮城県で歌った2011年の2月、FM795で初めて「命~2011からのメッセージ」を歌った3月、そして、女川で歌った8月、そしてまた宮城県で歌った今日2012年3月。歌は新曲を出せば、古い歌は色あせてしまうこの時代。「命~2011からのメッセージ」はきっと色あせないまま、ずっと大切に歌っていきたい歌です。今日、五木ひろしさんが最後に歌った歌「ふるさと」「ああ、誰にもふるさとがある、ふるさとがある」というフレーズ。あの歌はまさに僕の心にしみ込んだ歌うです。幼稚園の僕が、いつもレコードに針を落として聞いていた歌だったのです。父もよくレコードに合わせて、「ふるさと」を歌っていました。この歌を五木さんが歌っている時にふと、父の歌声が聞こえてきたような気がしました。「ああ、誰にもふるさとがある、ふるさとがある」3月11日にふるさとをなくしてしまった方もたくさんいるでしょう。ふるさとを離れて暮らす人もたくさんいるでしょう。でも、ふるさとは場所としてもあるけど、心にもあるのだと思います。ふと心の景色を振り返ると、そこにいつでも、歌を歌っている父がいます。震災で家族を失ってしまった方、家を失ってしまった方すべてを失ってしまったとしても、心の中のふるさとまではたとえ津波でも流す事は出来ないのです。こんな僕が言うのも気休めのようですが心のふるさとをずっと持ち続けて、これからの街の復興、そして心の復興をお祈り申し上げます。「必ず 笑顔になれる 命」 ですから。(震災当日の新聞、今でも胸に重くのし掛かるものです)(風船)(高石ともやさんと)(五木ひろしさんと)...

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12.3.10 美根ゆり香 クレアこうのすコンサート 飛び入り出演 (埼玉県鴻巣市)

同じふるさとをもつアーティスト、美根ゆり香さんと初めてお会いしたのは、今から3年くらい前だったかと思います。その後はたくさんの場所で一緒にライブをやらせていただきました。昨年のイオンモール羽生では一緒に「サライ」を歌ったり、エルミこうのすではお互いの曲を2人で歌ったり。そのエルミの時はさらに、ライブを見に来たブルートライクのKiyohitoさんをいきなりステージに上げて、地元3人兄弟としてやった記憶も新しい今日この頃です。そして今回は美根ゆり香さんの初めての、ホールでのコンサート。これは是非駆けつけようと思っていたのです。記念すべき日ですから、会場から応援しようと思っていました。ところがマネージャーの方から電話があって、その日一緒に何曲か出演してほしいというお話をいただきました。でも越生梅林のイベントがあったので、終わってからしか行けないのですが大丈夫ですか?というとそれでもOKという事で、是非と参加させていたく事になりました。ところが前日からの雨で越生梅林のライブは延期になって、朝から会場でリハーサルもできることになりました。数ヶ月前の打ち合わせでは、カバー曲をKiyohitoさんも入れた地元の3人兄弟でやろうという事だったのですが僕としては美根さんのコンサートなのだから、お客様サイドから見て、是非、美根さんの曲をいっぱい聞きたいと思うでしょうから美根さんの楽曲を一緒にやりましょうという事になりました。でも僕の歌も一曲歌ってもよいとうお時間をいただけたので、地元鴻巣の交通安全週間から生まれた曲「いま守りたいもの」を美根さんもジョイントした形で歌う事になりました。ようするに美根さんの曲「HANDS」と「いま守りたいもの」の2曲で出演する形。ですが、その後、馬車道で打ち合わせをして、中半から後半にかけて、ずっとギターリストで出演しますよという事になりました。僕とKiyohitoさんが出演する場所のリハーサルは前日の1回、花久の里で行いました。HANDSもギターを弾く予定だったのですが、なんと僕がピアノを弾くことに。僕も調子付いて「僕がピアノ弾くので、美根さんは歌い手になって、歌一本に集中してください」なんて言ってみたものの楽譜を見てびっくり、F#だったり、Dbだったり、結構難しいコードでした。コーラスもあるので、歌詞を書いた上にコードをふった楽譜を作って、それを見てやる事にしました。バンドのメンバーが見ている楽譜は普段、五線紙の上にコードがふってあるものなのですが、僕は歌を生かしたいので歌詞の上にコードをふったものを見るようにしているんです。たまに間奏とか小節数を見失ったりするのですが(笑)当日は朝からクレアこうのすへ行きました。以前エルミで一緒にやったブルースハーププレイヤーの北条さんや、イオンモール羽生で一緒にギターを弾いた貴志さんやブルートライクのKiyohitoさん、貴志さんのバンド仲間の方もいて、すごくにぎやかでした。さらに市役所の方もいたり、美根さんのご家族の方もいました。(舞台裏は笑顔が絶えません)リハーサルの時にふと気がついたのですが、ピアノの上に、ソフトバンクのお父さん犬の小さいのが置いてったのです「かわいいですね」って美根さんに笑顔で言うと、美根さんも笑顔で「ここに置いておくと、お父さんが見てくれているから置いておけって言われて置いたんです」って一瞬言葉につまりました。そして「美根さん、、、、お父様って、、、」すると3年前に天国へ旅立ったという話をききました。僕の父が4年前ですから、その後だったのですね。それを知らなくて、思わず胸が詰まりました。そして僕が「お父さんが見てるからがんばりましょう!」って言いました。リハーサルを終えて、いよいよ本番待ち。僕は出番が中半だったので、モニター画面からコンサートを見ていました。第二部がはじまり、バンドのスタイルになって、盛り上がった行くコンサート。そしていよいよKiyohitoさんと僕の登場です。当初はそこに他のミュージシャンもいてもいいのかどうかのか考えていましたがここのコーナーは鴻巣の3人だけで奏でる音にしてみようという事で3人だけの音で奏でました。出ていく前の楽屋で僕がアクセサリーをつけている、Kiyohitoさんがなにも付けてないことに気がつき市役所の方も「Kiyohitoはいつもそういうの付けないから今日はさくまさんに借りて付けてみたら」ということで腰に付けるアクセサリーを付けてあげました。(3人で爆笑トーク)ステージはそんな話でも盛り上がって、いよいよ「HANDS~大きな手から小さな手へ~」です。ここは僕のピアノとKiyohitoさんのギター、そして美根さんの歌の3つだけの音。イントロは僕から弾き始めます。深呼吸をして、空から見ているお父様に「しっかり聞いていてくださいよ」と心でつぶやいて弾き始めました。そして静かに美根さんが歌いはじめる、後半からKiyohitoさんのギターが入ってくるKiyohitoさんのソロの後は、僕のコーラスも入りクライマックスへ「つむぎだされてゆく糸の中に明日が見えるよう」という歌詞がありますがまさに糸は細いもの、でもそれを紡いでゆけば丈夫なロープや布になって行くお父様とお母様の愛を紡いで、アーティストの美根ゆり香が誕生したのだと思います。その日の歌声は本当に感動でした。その後は「いま守りたいもの」そしてここで帰ろうとする僕とKiyohitoさんを引き止めて、そのままバンドのメンバー登場して、後半は盛り上がっていきました。アンコールも終わり、最後は全員で勢揃いしてステージに並びました。美根さんに「おつかれさま」って言おうと思っていたのですが、そのままロビーの方へ行ってしまったので伝えることができませんでした。片付けを終えて、最後にロビーに行って美根さんに会うと僕を見た瞬間、彼女の目から涙が溢れ出てきました。「おつかれさま」と僕はそっと手を差し伸べました。先輩と言ってしまうとおこがましいのですが、ちょっとだけ長く音楽をやっている僕として初めてのホールコンサートは本当に不安で、そしてある意味今後への架け橋で、今までの集大成で、いろいろな意味を持っています。どんなに周りが支えていても、結果、ステージで歌うときは一人です。すべてのプレッシャーがアーティスト名である自分にふりかかってきます。それを一つの形にして、お客様の心になにかを持って帰ってもらうのですから本当に大変な事です。それを彼女は今回、立派にやってくれたと思います。そしてみんなで写真を撮って、そのまま仙台に行くので先に帰ることにしました。帰り際に美根さんに言いました「これがスタートですからね」とこれからももっともっと素敵なアーティストになって行く美根ゆり香さんを僕も応援したいと思います。そして、僕も同じ鴻巣のアーティストとしてがんばって行きます。もちろんKiyohitoさんも同じ鴻巣のアーティストとしてがんばって行くでしょう。これからも鴻巣三人兄弟(勝手に名前つけてますけど(笑))を応援してください。車に乗り込んで、いざ東北へたくさんの命がなくなった東日本大震災。その空は星は見えませんでしたがきっと雲の向こうにたくさんの誰かを見守る星があるんですよね。今日はクレアこうのすの空にきっと、あたたかい星があった事でしょう。そう、美根さんのお父様の星が。(リハーサルで入念な打ち合わせ)(リハーサル)(いま守りたいもの 歌いました)...

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12.3.6 加須市立加須北中学校 三年生を送る会 (埼玉県加須)

毎月11月に講演会&ミニライブで出演させていただいている加須市鴻茎小学校の校長先生からお電話があったのは、1月の終わり頃でした。加須北中学校の先生と一緒にギターの練習をしているのですが、3月6日はさくまさん空いてますか?というお話でした。よくよく聞いてみると、三年生を送る会があって、そこで芸術鑑賞で出演して欲しいという事でした。実は鴻茎小学校の校長先生は、以前、加須北中学校の教頭先生だったのです。光栄な事ですので、是非という事でお受けしました。そして、加須北中へ道路の工事をしている場所があって、なんとか裏道を抜けて学校へ到着。体育館ではまだ練習が行われているという事だったので、どこから機材を搬入するかを体育館一周まわって見ていました。車に戻ると担当の佐野先生が待っていてくださって、御挨拶。ちょうど練習が終わって、機材の搬入開始。そしてリハーサルをして、歌いだすと準備をしていた生徒さんが盛り上がってくれて、リハーサルのような本番のような、感じで楽しかったです。(リハーサルです)今回は佐野先生が一緒に3曲もギターを弾いてくださるという事で楽しみでした。リハーサルで「命~2011からのメッセージ」とかをやると、間奏をばっちり弾いてくださってさらにゴールではイントロのフレーズをエレキで弾いてくれてまるで2人組のユニットをやっているようでした。リハを終えて、校長室で給食をいただきました。今日はメロンパンとうどんとチキンナゲット、さらにサラダ。そして事務の方の手作りのお漬け物。最高においしかったです。校長先生は羽生の方で、羽生話で盛り上がりました。教頭先生ともお話させていただきました。教え子が今42歳で というような話を聞くと僕と同じくらいなので、きっと僕が中学の頃にバリバリのこわーい先生だったのかななんて想像してしまいました。僕が中学の頃は田名網先生という野球部顧問のこわーい先生と、斉藤先生というこわーい先生がいました。よくギターを弾いてくれた栗本先生もおこると結構怖くて、でも「さくまはいつかシンガーソングライターになれよ~」と応援してくれました。あの頃の先生はおそらく今の僕よりも若かったのでしょうねなんだか不思議な感じです。先生とのお話も盛り上がっているうちにいよいよ体育館へ移動。生徒さんの司会の合図で登場。たくさんの拍手をいただきました。そして「ただ見つめてただけの初恋」を歌いました。実はこのCDが僕が送ったわけではないのですが、ず~っと前から放送室にあったそうなのです。これはまさに秩父第一中学の時と同じです。誰が持ってきたのかかわらないのですが、ずっとおいてあったそうです。(ただ見つめてただけの初恋にサインしました)そして、途中で佐野先生が登場。校歌をさくま風にアレンジしたので、それを歌いました。後半にいくにつれて盛り上がっていき最後は総立ちでゴール!!先生も父兄さんも生徒さんもみんなで一つになった感じでした。あまりにノッてしまって、ステージからおりていって歌いました。最後はアンコールもいただいて、佐野先生の提案でフォークソングを歌いました。最後は生徒さんからお礼の言葉と花束をいただきました。(ありがとう)三年生を送る会というとてもすばらしい会に参加させていただけるのは光栄な事です。いつか大きくなった時に3年間の想い出を浮かべるとそこに僕の歌があったならシンガーソングライターとしてこれ以上の喜びはないです。まだ寒い季節なのに今日だけは、まるでこの会を演出するかのように暖かい日でした。(退場の時もみんなと握手)(笑顔もいっぱい)(ノリノリです)...

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12.3.4 羽生ビュッフェレストラン オルトン (埼玉県羽生)

毎月恒例のオルトンです。久喜のイトーヨーカドーさんのライブを終えて、移動。準備をして、18時から本番。普段あまり歌わない歌「うれしくて胸が苦して」ではじまったライブ。途中はリクエストコーナーもあって、その時にお客様にマイクをわたして、歌っていただくサプライズコーナーもあり、さらに今日誕生日という方もいて、みんなで歌いました。今、歌を作らせていただいている、アロハガスの社長様もいらしていてほんのさわりだけ、アロハガスのキャラクター「パイプルくん」の歌「パイプルくんロック」を歌っちゃいました。来週三年生を送る会に出演させていただく加須北中学校の先生もいらしていただき、楽しい夜になりました。...

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梅林延期

明日、3月10日の越生梅林のイベントは、天候でぬかるみがある為、延期となりました。新しい予定は、3月31日(土)12時~となります。梅祭りの最終日ですので、かなり賑わうと思います。急な変換で誠に申し訳ありません。ホームページのライブ予定も間もなく更新されます。...

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12.3.4 イトーヨーカドー久喜店 (埼玉県)

毎月恒例の久喜イトーヨーカドーさんです。2月は結構日射しも強くて暖かだったのですが、3月の今日はめちゃめちゃ寒かったです。(寒い中沢山の方が見てくださいました。)近くでダンスのイベントもあって、賑やかでしたので、気持ちはホットでしたがリハーサルの時からお客様が来てくださり、ますますホットに。ダンスイベントが終わると、向こうで司会の方が「次はそちらのステージでさくまひできさんのライブです!」と言ってくださりそれをうけて「はい!さくまひできです!寒い中お疲れ様でした~」とまるで二現場のライブ中継みたいでした。リクエストのコーナーでは僕が歌がわからないのがあって、お客さんがみんなで歌ってくださいました。まるで歌声喫茶でした。アンコールもいただいて、嬉しかったです。前回いらしていただいた方も来てくださったり、偶然買い物に来た方も僕を知っていたり、毎回足を運んでくださる方も、みんな嬉しかったです。また来月も4月28日がんばって歌います!次はさすがにあったかいよね~(リハーサルです)(弦が切れてしまって、張り替えてます)(笑顔もいっぱいでした)...

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12.3.3 鴻巣びっくりひな祭り (埼玉県鴻巣市役所特設ステージ)

日本一背の高いピラミッド形のひな壇が自慢のふるさとのイベント、鴻巣びっくりひな祭りの最終日です。開会の日に歌わせていただいて、そして閉会の日に歌わせていただいて最初と最後を努めさせていただけるなんて本当に光栄です。当初、スケジュールに混乱があって、別の日に告知をしていた事を深くお詫び申しあげます。今日は朝から天気もよくて、さらに会場の市役所の隣のグランドではパンジーマラソンも開催されていて、ものすごくにぎわっていました。正面から渋滞で車が入れなくて、このままではライブの時間になってしまう!と思って裏から入る事に・・・(さすが地元民です(笑))でも、警備の方が立っていて×を出されてしまいました。でも、髪の色が紫だったので、それを見てすぐに笑顔になって「どうぞ~!!」ってそして、その先に居る方に「さくまひできさん到着でーす」と大声で言いました。オレンジの髪ならわかると思うのですが、紫でもわかるのですね~(笑)11時からの本番。沢山の方が見て下さいました。(またまた客席乱入)パンジーマラソンで走ってきましたという学生さんもいたり、いつもフライ食べに行ってるよと声をかけて下さる方もいたりすごく楽しいリラックスしたライブになりました。次の13時までの時間があったので、裏でひなたぼっこをしていました。こんな時になんでも積んである車は便利ですね~イスを出して座ってしまいました。放って置くと、もうちょっとでテーブルを組み立てて、CDプレイヤー出してきて宴会が始まっちゃう所でした(笑)さて2回目のステージもノリノリでした。アンコールもいただきました。僕が作って歌っている「日本一こうのすびっくりひな祭り」は最高に盛り上がりますね~歌詞の中に、「3月3日の空の下で宴をはじめる」ってあるのですがこの歌詞をモロ3月3日に歌ったのは初だったのですごくはまっていました。年々高さを増して行く、ピラミッドひな壇、さて来年は天井を突き抜けてしまいそうでうね~日本一のイベントが故郷にあるって最高ですね~心あたたかで、最高に楽しかった一日でした。ちなみになんで紫の髪かというと、本当はももの節句なので、ピンク色で来ようと思ったのですが、すぐに見つからなくて、そこにあった紫ヘアーになってしまいました。来年はピンクでやるぞ~(笑)(途中でフラワーラジオの生中継に出演)(ひなちゃんも登場)(みんなでヘイ!)(でました!ひなたぼっこ)...

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12.2月 香川県の空に・・・

今回のキャンペーンは徳島と高知でしたがなぜか香川へ行きました。それには理由がありました。今年1月に天国へ旅立った音楽仲間のさとし。いつもみんなを盛り上げてくれた最高なやつでした。彼は川口に住んでいたのですが、地元は香川の丸亀だったのです。病気を知ってからは最後の時間はふるさとの丸亀で過ごしていたそうです。前回香川に来たのは12月、その時に知っていればお見舞いに行けたのにその出来事を知ったのは亡くなってからでした。お墓参りくらいしたいなと思って、香川まで行ったのですが、実家の住所もわからない、そこで丸亀市役所に聞いてみると、何度か「待ってくださいね」と言って待たされて、最後の最後はきっと住所がわかったようで・・・でも「すいません、個人情報なので、お伝えする事が出来ないんですよ」「どうしてもですか」「はい・・・」という結末に香川が一望出来る場所、そうだ屋島に登ろう・・・そう思って屋島に行きました。お墓がわからなくても、きっとあいつはこの香川の空の下で眠っている。丸亀まで一望出来る場所でそっと手を合わせました。「さくまさん!!来てくれたんすか!!」と彼が笑って言ってくれたように感じました。「ああ、来たよ、これからもおまえの分もがんばって音楽やって行くからな・・・」そうつぶやいて屋島を後にしました。やけに晴れた空の向こうで、ベースを抱えて笑っている彼が そこに あの頃のようにいるようでした。...

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12.2.26 全国33カ所目 徳島県 フジグラン北島

今日はイベントが3つ重なっていると聞いていましたが、会場へ行くと音響が組んでありまして、バンドのセットがしてありました、東京から来るツアーバンドが5組出演、そしてヤマハのエレクトーンの発表会のコンサート、さらにさくまひできという3組ならぬ、7組。しかもおかしかったのが、みんな音響機材を持っていたので、どれを使うかという話に・・・3組がみんなでそれぞれ音響組んだら、ステージが全部スピーカーになっちゃいますねなんて言って笑っていて、バンドのイベントの音響で来ている方のスピーカーをお借りする事になりました。スケジュールはガチガチだったのですが、逆にヤマハさんとも、バンドの音響さんとも仲良くなれて、和気藹々とイベントが進んで行きました。僕のライブは12時と15時からでした。ラジオを聴いてきて下さった方がまたまた沢山いらしゃいました。しかも、お仕事の休憩中に来てくださった方もいました。バンリクを聞いた方、となりのラジオを聞いた方、FM徳島を聞いた方それぞれいらっしゃっていて、ラジオのパワーのすごさを感じました。そして、わざわざ時間を作って来てくださった方と出会えてのも最高の喜びです。バンドの方ともお話が出来ました。すると「さくまさんってテレ玉出てましたよね」と聞かれて「はい、出てました」と言うと「楽屋で、みんなでさくまひできさんってテレ玉出てたよね」って話題になっていたんですと言ってくださいました。四国まで来て東京のバンドさんとお会い出来るのも嬉しかったですがまさかテレ玉の話が出きるなんてまたまた嬉しかったです。ヤマハの方も僕のステージを見てくださって「リクエストもやるなんてすごいですね~しかも機材まで積んですごいですね」と言ってくださいました。フジグランの店長さんともご挨拶出来て、楽屋まで用意してくださって「寒かったら暖房入れてくださいね」と沢山お気遣いいただきました。のっぽ風船を作るパフォーマーの方もいたり、なにしろ盛りだくさんの一日ですっごく楽しかったです。そして、出会えて方、再会出来た方本当に嬉しかったです。今日のイベントは2年前同様、広島のイベンターさんが入れてくださった予定でした。今回も快く入れてくださって、終わってから電話をすると「さくまさんまた車で帰るんですよね~埼玉まで気をつけてくださいね」と言ってくださいました。すっごい楽しい一日でした。...

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12.2.25 全国32カ所目 高知県 イオンモール高知 タワーレコードイベント

昨日の夜は高知のホテルがどこも空いていなくて、四国放送の出演後になんとか空いていた、徳島の民宿 港に泊まりました。これがまた自分の家にいるようで、お部屋もいい感じ、お風呂も自分の家にいるような感じでした。朝、徳島を出発して、高知へラジオを聴いていると、聞き覚えのある声、そうです、四国放送「となりのラジオ」の宗我部さんでした。なんかお会いした方がラジオでしゃべってるって不思議な感動ですね。もちろんその局の方ですから当然なのですが、嬉しかったです。2年半ぶりのイオンモール高知に到着。記憶ってすごいですね、到着するとすぐに搬入口を思い出して、そこからステージまでの道のりも想い出すんですよね。準備をして今日はCPも使う事にしました。14時からの本番。最初は見てくださる方が少なかった会場もだんだんと増えてきて盛り上がって行きました。昨日のラジオをたまたま車の中で聴いていて、今日来てくださった方が沢山いました。2回目のステージも「これもご縁だからね」とCDを手にしてくださる方もいて嬉しかったです。タワーレコードさんが即売をしてくださったのですが店長さんがずっと変わらない方で、2年半ぶりに再会が出来ました。以前は髪が長かった店長さんですが、今はさっぱりしていました。お互いに髪が随分変わったのは事実ですね(笑)本当に毎回お世話になってありがとうございます。帰りにイオンさんにもご挨拶すると「大盛況でしたね」と言ってくださいました。【その夜】ライブが終わり、そのまま徳島へ行こうと思っていたのですが、高知の帯屋町にたい焼きの木村家さんがある事を知って、ご挨拶して行こうと思って行ってみました。鰹のたたきがおいしい「ひろめ市場」のすぐ近くにありました。僕が近づいて行って「こんばんは~さくまひできです」と言うと店長さんがものすごい笑顔で、「待ってましたよ~!」と言ってすごく歓迎してくださいました。ラジカセからは僕の作った「たい焼きシャッフル」がずっと流れていました。店長さんが「この歌、誰の歌ですか、ってよくきかれるんですよ、みんな僕が歌っていると思っているようで、高知では7不思議になっているんですよ」と言って大爆笑。でも、僕が来た事を気遣ってそう言ってくださったのだと思っていました、帰り時までは・・・たい焼きもいただいて、次はなんと店長さんが「食事してって」と言ってひろめ市場へ連れて行ってくださいました。何軒もお店があってにぎわっていましたが、その中の「ここがおすすめや」って言って案内してくださったのが「吉照」(よししょう)さんです。僕が座ると、一緒に食べるのかと思いきや、店員さんに耳打ちして帰ってしまいました。すると出てくる出てくる、高知郷土料理の数々。いわしのしらす、かつおの刺身、かつおのたたき、・・・・すっごくおいしかったです。お店の方も料理を持ってくるたびに説明してくださってありがとうございました。食べ終わって木村家に戻ると、一人の女性がたい焼きを買っていました。そして店長さんが僕に気がついて、にっこりして指をさしたのです。その女性は「ええ!」という驚いた顔で僕を見ていました。なんと、「この歌は誰が歌っているんですか?」とちょうど店長さんに質問していた所だったのです。こんな出会いもあるんですね。でも、店長さんが言っていた言葉は本当だったのだとわかりました。「これからも毎日流してますから、いつかライブやりましょう」と言ってくださいました。高知へ行かれた際は、是非ひろめ市場のすぐ近くの木村家さんに行ってみてください。めちゃめちゃテンションの高い、最高の店長さんがいますので。たまにたい焼きのかぶり物している時もあります(笑)最高の高知での出来事でした。...

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