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2004年

『名阪ツアー』名古屋MUJICA(ムジカ) チャーリー

ストロー名阪ミニツアーの日がやってきました。本日は第1弾の名古屋の日です。早朝の6時にスタジオを出発。2、3日前から具合の悪かった小野君はこの日もダメで、病院で点滴をうってもらってから後から新幹線で名古屋にかけつけて現地で合流する事になった為さくま氏と僕の二人での旅立ちとなりました。運転手はスタジオから名古屋に着くまでずーっとさくま氏で、僕はといえば夢見ごこちでした。・・・運転ゴクローサマデシタ。12時過ぎには名古屋に到着。今回の主催者が用意してくれた今夜の宿泊先のホテルで主催者(音楽の専門学校)の生徒さん達、先生と合流。HMVとタワーレコードにCD営業の挨拶に行ってその後名古屋のコミュニティーFMのFMダンボへ。生徒さん達とラジオ番組に出演して今日のライブPRをしてきました。反響があるといいですね。ラジオ終了後、ライブハウスの入り時間までにはまだ時間があったしお腹も空いていたのでダンボの裏にあるみそかつ屋「矢場とん」で名古屋名物のみそかつを食べました。これで名古屋に来た気になりました。そんなこんなで入り時間が迫ってきたので、名古屋駅に到着した小野君を迎えに行って(会ったときの彼の姿は言いようの無い痛々しさがありました・・・)演奏場所であるライブハウスMUJICAへ。このライブハウス、実は1990年代前半、南浦和に「ポテトハウス」というライブハウスがあって(現在は名前が「エアーズ」になって北浦和に移転しました。MUJICAはこのエアーズの系列のライブハウスなのです)ストローのメンバー(当時はそれぞれ違うバンド)が大変お世話になったスタッフが数名このライブハウスにいるという事を聞いていたので感動の再会、当時の思い出話など大いに期待していました。ライブハウスの中に入ってまず笑っちゃ・・・いや、感激したのは、内装の造りがエアーズとほぼ一緒だった事。「へー」って感じでした。始めに対バン、スタッフが集まって挨拶するところなんか相変わらずで、懐かしさいっぱいでした。リハーサルをして、終了後楽屋で懐かしいスタッフさん達と会って案の定、思い出話や今の状況の話なんかで盛り上がってました。その話の中で、今もあの頃同様変わらずに音楽活動を続けてくれていて、しかも大きくなっていて、そしてまた音楽を通して再会できるなんて本当に嬉しい。というような事を言われて、音楽活動を続けていて本当に良かったと思いました。今回は主催者の学校の生徒さんが数名始終手伝ってくれていたので機材の搬入、搬出から各手続き、段取りなどみんなやってくれていたので何から何までとっても楽でした。有難い事です。そうこうしているうちに時間がやってきてメンバー、スタッフ一同気合を入れてステージに。厳密に言うと違うけど、事実上今年初めてのストローステージです。地元からかけつけてくれたファンの方が数名、去年の路上ライブツアーでうちらを気に入ってくれた人達が数名いる他は対バンを見に来たり主催者に招待されたストローを知らない人達です。どんな反応が返ってくるのでしょうか。30分という短いステージでしたが満足のいくステージができたような気がしました。反応も良かったと思うし、CDもライブハウスのわりにはそこそこ売れてました。お客さんが帰り際「よかったよ!」なんて声をかけてくれたりして、成功したんだなぁって気がしてきました。良かった良かった。去年の路上ライブで会った人なんかは音響を通したステージを見るのは初めてで、あらためて気に入っていただけたようでした。彼らが今日、ここに足を運んでくれた事によって、去年の路上ライブをやったイミがあらためて見えてきました。小野君同様、具合が悪かったにもかかわらず見に来ていただいて・・・感激でした。すべてのバンドの演奏が終わって、さくま氏はオリジナルエプロンを自らつけてお客さんにCD,グッズの販売活動。小野君は体調を気遣って一足先にホテルへ。機材の搬出も大勢での作業だったためとてもスムーズにできました。撤収が済んで、引き上げる前にライブハウスのスタッフに挨拶をした時、あの頃こうやって挨拶をしてかえったなぁ、と当時の自分達を思い出してお互いニヤニヤしてました。このライブハウスが名古屋の拠点となってストローの活躍の場が広がっていけたら良いですね。外に出てスタッフ同士の挨拶をしてこの日はそのまま解散。「今日の部」が終了しました。明日は二日目であって、最終日でもあります。場所は移って大阪でのライブです。ここではドラムの山地がかけつけてくれてバンド形式での演奏です。あのひたむきなクルー達と共にどんな一日になるだろう、と考えると今から楽しみです。...

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