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3/8行田見沼中学校 3年生を送る会(本編)

3年前くらいに神奈川は厚木の睦合中学校でやって以来の学校公演です。
最初は明日の白岡中学と予定がダブってしまったのですが、教頭先生がものすごくいい人でわざわざ予定をずらしてくれたのだ。
3年生を送る会でのゲストという形だった。
僕と教頭先生はずっと昔から知り合いで、先生もギターを弾く人なのだ。夏の行田浮城祭りを見に来ていただいた事がある人はわかると思いますが、ベンチャーズの曲を演奏している「ロック54」のリードギターリストなのだ。
やっと実現した夢のコンサートだと僕は今日の日を思った。

しかも音響&舞台の黒澤さんの母校で、大夫協力して今回の話しを実現にいざなってくれた。

前日から音響照明チームは仕込みをしていたので、朝僕らが到着すると、体育館に立派な舞台が出来上がっていた。
到着した時点ですぐに教頭先生が走ってきて「さくまさんありがとうございますー」とすごく腰がひくく、僕もどんどん腰が低くなって、地面に付いちゃいそうだった。
楽屋の案内もしてくれて、さすがギターを弾く先生でけあって「ここに鏡があります」とか「コーヒーはここです」「トイレはこちらです」とかまるでコンサートのイベンター並に案内してくれた。

今回のメンバーはドラム:山地厚臣、ベース:小野滋久、キーボード:松井清、サックス:斉藤尚久 という豪華なメンバーだった。
リハーサルも無事終わって、楽屋で待機だった。
すると教頭先生が「お弁当ですー」と言って持ってきてくれた。
「今日は埼玉古墳のそばにあるお店に特別に頼んで作ってもらったお弁当だから美味しいですよ!」と言ってくれた。
いろいろ冗談もとびかって、小野と先生の冗談バトルみたいになってすごく楽しかった。
午後からいよいよコンサートが始まる。
生徒さんが体育館に入る前に舞台袖に入っていた。

照明がおちていよいよ本番が始まった。
僕以外のメンバーがステージに出ていき、山ちゃんのビートからはじまった。
そして、僕が出ていく、・・・するとちょっとノリが悪い「やばい!」と思った。
このままの雰囲気では楽しいコンサートも中途半端になってしまう。
なんとかがんばって「出会えてよかった」「声がキキタイ」を歌った。
そして、初めのトークで、僕は吹上のフライ屋なんです、とか「盛り上がってるかい!」「イェーイ!」掛け合いをやって、どんどん生徒さんがノッてきた。
きっとシャイなだけなんだという事がわかった。
そして「friend」。
3年生を送る会にぴったりの歌だった。
次に校歌を歌った。
普通に歌うのではなく「僕らなりにアレンジしてきました!」と言って
松井君のピアノからしっとりと始まって、バラード風に歌った。
これにはみんなも喜んでくれた。そして2番からリズムが入って盛り上がっていく。
コードも付け替えておしゃれな感じの校歌を歌い終えた。
「校歌好きになった人!?」と言うと大きな拍手がわいた。

そして生徒をステージにあげて、オレンジレンジの「花」を歌ってもらった。
3年生の男子生徒が2人出てきてくれて、しかもばっちり歌えていた。
会場もどんどん盛り上がって行った。

そして命や夢についてのトークをして「三つの願い」そして「さよならも言えなくて」を2曲続けて歌った。
みんなじっくり聞いてくれた。

最後は「Goodちょっとパラダイス」でダンシング。
みんなが一つになって盛り上がった。
最後は斉藤君のサックスと僕のエレキギターの掛け合い。
絶好調の中、ステージが終わった。
最後に花束までいただいた。
アンコールの拍手が止まなかったが、時間がなくなってしまって出来なかったのが残念だった。

ステージ袖にいると、教頭先生が来てくれた、そこで短い階段でちょっと足を滑らせて「いやーあまりよすぎて、感動してよろよろしちゃいましたよー」なんて言ってメンバーみんな大爆笑だった。そしてまた教頭先生の案内で楽屋に戻った。

体育館でのすべてのイベントが終わってから後かたづけに入った。
今回はものすごい数のスピーカーなので大変だったが、生徒さんも先生も手伝ってくれて本当に嬉しかった。

体育館の扉を開けるとすぐに階段で、そこから下に降ろして、トラックに積み込むという流れだった。
目の前に武蔵水路が流れていて、夕日がものすごく紅くて、きれいだった。

ところが事件はこの後、起きた。
機材は決して軽いものではない、だからみんな真剣に運んでいるのだが、ちょっとしたミスで大事故になる事もある。
なんと巨大なスピーカーが音響チーフの黒澤さんの足の上に落ちてしまった。
うずくまってしまって動けない黒澤さんを見てみんな心配した
教頭先生も「湿布持ってこようか?」と言ってくれたが、いつも強気な黒澤さん
「大丈夫です、」と言ってちょっと休んですぐに積み込み始めた。

すべて終了して先生方に挨拶をして、出発した。

音響チームはこのまま白岡中学校のセッティングに向かい、メンバーと僕は帰宅するという当初の予定だったが。
さすがに黒澤さんの足が心配だったので僕とスタッフの金井だけはそのまま白岡中学に行くことにした。

夜8時近くに白岡中学校に着いた。
黒澤さんも思ったよりも大丈夫そうだったのと、生徒さんが大勢で手伝ってくれたので、早めに仕込みも終わった。
生徒さんが帰った後も、スタッフは残って準備をして結局10時半頃になってしまった。
その間も白岡中学の先生がコーヒーを出してくれたり、煎餅を出してくれたりしてすごく親切にしてくれて嬉しかった。

そして夜11時頃に学校を出発した。
帰りに黒澤さんに「足は大丈夫ですか?」と聞くと
「明日まではちゃんと乗り切るから大丈夫だよ」といつも通りに言っていた。
プロの根性というのを思い知った。
いかなる状況でも、そこにお客さんがいる限り、そこにコンサートがある限り、いいわけもなく成功させる。これがプロなのだと実感した。
思えば大夫、昔の話しだが、黒澤さんがなんとなく落ち込んで見えた舞台の日があった。休憩している時に僕は「どうしたんですか?」と聞くと、なんと育ての親が入院していて、夕べは徹夜で病院にいたというのだ、そして今もどうなるかわからない状態。
結果的には残念だが、この世を去ったのだが、黒澤さんはその時こういった「この仕事の一番やな所は親の死に目にあえない事かな」
作り笑いで言ったその横顔に確かなプロ根性を見た。

「きっと明日も根性で乗り切るれるのだろう」僕はどこかで確信はしていた。
僕自身もコンディションを整えて、明日に挑まなければならない。
明日もがんばろう。

この日記の最初に書いたが、やっと実現した夢のコンサートだった見沼中学校。
その理由は、教頭先生と3年くらい前に浮城祭りのコンサートで会った時に「さくまくんうちの中学校に資料(プロフィール)が届いたよ」と言った。
当時は別の中学校で先生をやっていた。
「是非、やってほしいんだけど、なかなかチャンスがなくてね」
僕も
「いえいえ、是非機械がある時でいいので待ってますので、是非よんでください」
と言っていた。
それから何度も一緒にイベントに出たりしていて、会うたびにそんな話しになった。
「この人なら絶対、かなえてくれる、学校公演を夢から現実にしてくれる」そう信じていた。
そして3年。
本当に現実にしてくれたのだ。
時間が短かったからとか長くかかったからというのは問題ではない。
ただ、夢を現実にしていく意識が本物ならば、夢は現実に変わるのだ。
本当に「いつかさくまくんのステージを学校でやりたい」そう言い続けてくれた教頭先生に感謝します。

生徒さんも喜んでくれたようで、先生も喜んでくれて、そして僕らも楽しかったステージ。今日は最高のステージでした。



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