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韓国1日目

朝8時に成田に着いた。
まるで吉野屋のカウンターが巨大になったようないるUの時につらなったカウンターは羽田では味わえない景色だった。
大韓航空の窓口で手続きをして、別の窓口で両替もした。
韓国のお金はウォンで表す。日本円の約10倍だ。要するに、10000ウォンは1000円という事になる。
最大のお札は10000ウォンなので、数万円両替すると、ものすごい枚数が帰ってきてしまう。
出国の警備はさすがに厳重で靴まで脱いでサンダルでチャックするのだ。
でも、ここが安全に飛行機にのる為に重要ですからね。ご苦労さまです。
飛行機に乗って約2時間で韓国は仁川空港に到着した。
「沖縄より近い・・・」そう思った。
寒いと聞いてはいたけれど、天気がいいせいもあるのか、日本と変わらない感じだった。空港を出る時に入国手続きがあるのだが、これまた初体験。どうしていいかわからなくて、ただ列に並んでいたら、みんななにやら小さな紙を持っている。これはどういう事だ?
順番が来てパスポートを見せてその紙がなんなのかわかった。
入国の書類だったのだ、それを書いてから持ってくるのだったのだ。
すぐに戻って、その書類があるところを見つけた。銀行のテーブルの様に書き方の見本が書いてあるところがあって、そこに紙もあった。
・・・・するとまた困った。英語と韓国語で書いてあるのだ。
迷っていると、係の人が来てくれて、片言の日本語で説明してくれた。
僕が韓国におじゃまするのだから言葉くらい覚えてこなくてはいけないのに、今回は初めてなので、少ししか勉強してこれなかった。
とり合えず、入国を済ませて、荷物を受け取り、車で街へ向かった。
空港は海沿いで、ソウルから1時間くらいの場所だったので、大夫時間がかかった。
車に乗っていて、ふと、不思議な気持ちになった・・・・「なんだこの違和感は・・」
と思ってその答えがわかった。
日本とは逆の右側通行なのだ。
対向車が左にいる。なんとも違和感があった。「こっちの車は左側通行なんですねー」と運転席に訪ねてまたびっくり!!なんと運転者さんがいないのだ!
よくみたら左ハンドルなので、反対の席にいただけだったのだ・・・・。

ソウルが近づいて来た。
はじめて見るソウルの感想は、工事中のビルがやたら多い事だ。
オリンピック以来急発展をしている様子がよくわかった。
ふと思い返せば、見慣れていてわからなかったけれど、東京も工事中の道やビルが絶えない。どこの国も発展をし続けているのだと思った。

2時頃ホテルに到着。わりと大きなホテルだったので日本語も通じたが、なるべくハングルを使うようにした。
「アニョハセヨ」で挨拶すると「アニョハセヨ」で帰ってくる、普通の会話がすごく感動だった。
中には僕が日本人とわかってしまうホテルマンの人は「アニョハセヨ」と言うと「いらっしゃいませ」と帰ってきてしまう、これはちょっとがっかりだった。

韓国はあちこちにヨン様いる。看板やポスター。やっぱり一番人気のようだ。
さて行くぞ!心を決めて、初の明洞(ミョンドン)というソウルの中心街に行った。
街の雰囲気は池袋になんとなく似ている気がした。
人もたくさんいて、マクドナルドもあった、セブンイレブンもある。
でも、日本のお店はそれ以外はほとんどなくて、長年文化交流がなかった事がよくわかる。はじめての挑戦は売店で(韓国は自販機がほとんどなくて、その代わりに街のあちこちにキヨスクのような売店がある)新聞を買った。別に新聞は読めないのだが、ただ買い物に挑戦したかったので、いざお店の前に行った。
「すいません!」という言葉がわからなくて、もじもじしていると「いらっしゃい」と言われてしまった。
明洞は日本人観光客が多いので、お店の人は少しは日本語が出来るのだ。
せっかくのチャレンジだったのだが、結局に日本語で終わってしまった。ただ最後に「カムサハムニダ」と言ったら、帰ってきた事がうれしかった。
あとは日本で見ない景色の一つに、屋台の串焼き屋・・・って言ったらいいのか?
フランクフルトとか串に刺した唐揚げとかがどっさり積んで屋台で売っている。これが何カ所もあるのだ。
そこで、若い女性や高校生が立ち食いで食べているのだ。
これは変わっている、挑戦だ!と思って、そこの前に行って、チキンの唐揚げを指さして「イゴ!」と言った。「イゴ」は「これ」という意味だ。最後にジュセヨとつけると、これくださいになる。
通じたようで、そこで食べていた。『よし、よし、韓国人になりきっているぞ!』と思って、食べていたら。「お兄さん、ちょっと切るよ」と言ってお店の人が食べづらくなった、う上の方の串を巨大ははさみで切ってくれた。「カンサムニーダ」と僕は言った。
そうか、こうやって、切ってくれるんだ。と知った。
「おいしいですか」と聞かれて「ネー」「はい」と応えた。
・・・・ん?なんか変だぞ。
お店の人は笑って「韓国はどうですか?」と聞いてきた。
そうだ、日本人ってばれていたのだ。
しかもずっと日本語で会話してくれていた。これにはちょっと恥かしくなった。
でも、こうしてハングル語が話せて嬉しかった。
ホテルに帰ってちょっとのんびりして、夜の明洞に行った。
まだ賑わっていて、一回りした。途中でラジカセからBOOWYが流れているのを聞いた。
明洞の入り口あたりに、デパートがあって、そこの本屋に行った。
向こうの音楽雑誌を買ってくるのも一つの目的だったからだ。
でも、音楽雑誌なんてほとんどなくて、びっくりした。
日本だと何種もの音楽雑誌があるが、ほとんどないのだ、3冊くらい積んだ1種類の雑誌を買った。
すぐ横にCDショップもあって、そこでCDを見ていた。日本のCDもたくさんあった。
・・と言ってもやっぱり韓国人のアーティストがほとんどをしめていた。
色々見ていると、お店の人が「なにかお探しですか?」と言ってきた。
やっぱり日本人とばれてしまったらしい。でもCDショップで言葉が通じるという事は都合がよかった。
「韓国で売れているCDはどれですか?」と聞くと、親切にリストを持ってきてくれて、そこのランキングを見せてくれて、「これが、これ」と色々説明してくれた。店員さんも日本語は片言だったようだが、僕も「ハーングンマルチャルモッテヨ」と言って笑った。(韓国語はちょっとしか話せません)という意味だ
「日本の歌手は売れてますか?」と聞くと、それもリストを見せてくれて、「これがJポップです」と言って指さした。リストの紙を見て、「平井堅さんと、ゴスペラーズ・・・」僕が読んでいると、「ヒライケン?」と聞いてきたので、文字を指さして「これがヒライケンで、これがオオツカアイ・・」説明してあげた。
歌手名はわかるのだが、そのリストの紙は日本語なので、どの文字が誰かがわからなかったようだ。
お互い色々情報交換ができてよかった。
CDを数枚買って、帰りに「マイ、イルボンアーティスト、明日マイCDプレゼント」と3カ国語入り交じって、お店の人に言った。
そして、ホテルに帰って、後日が待てずに、すぐに持っていった、韓国語バージョンの「さよならも言えなくてのCDを持ってまたお店に行った。
ハングル語で作ったチラシも作っていったので、それを読んでもらえればすぐにわかってもらえると思った。
「アニョハセヨ」と言って入っていくと、お店の人もまた最高の笑顔で向かえてくれた。
CDを渡して、「プレゼント!」と言うと、「わー!」と喜んでくれて、すぐにサインを求めてくきてくれた。
CDもすぐに流してくれて、そのデパートの7階に「さよならも言えなくて」のハングルバージョンが鳴り響いた。
「またあいましょう!」と約束をしてお店を後にした。
充実した第1日目がこうして終わった。ホテルでテレビを付けると、みんな韓国語でやっている。これも勉強だと思って、BSの日本語の番組もあったが、あえて、韓国の番組を見てから、休んだ。

明日はいよいよストリートライブだ!

写真:南大門の市場で食事(正確には4日目の写真)



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