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熊谷ニットー

すっかりやりなれた熊谷ニットーモール。
準備をしていると、新星堂の店長、川端さんがやってきた。
川端さんは僕と同じ吹上の方で奥様も町の事業を熱心にやっている。
前回(10月31日吹上公民館での生涯学習フェスティバル)のライブも教育委員長の吉田さんと奥さんが中心になっていた。

店長さんはなにやら封筒を持っていた。
奥さんが今日は見にこれないので、手紙と今度、吹上の公報に載る記事を渡してほしいと、持ってきたのだ。
読んでみると、前回耳が聞こえない人に風船を抱いてもらって、音楽を感じてもらった事と、なんとその本人(耳の不自由な方)の文章もあった。

内容なこうだった『私は音楽は苦手だった、たまたまホールにいたのですが、風船をふくらませて持たせていただき、音楽を楽しむ事が出来た・・・。』
僕は嬉しかった。本当にちょっとした、黒澤さん(ソニックの舞台監督&音響)の一言で風船を用意した。でもこうして、今まで音楽が苦手だった人が、音楽を楽しめるようになれたのは本当に嬉しい事だ。
僕も音楽をやっているが、実は音楽ってそんなに大切ではないと思う、なぜならもしもこの世界が大不況で明日食べるものもないような時代になったら、はじめに手放すのはなにか?そうです。娯楽の部分。要するに音楽や映画、演劇、テレビ、ゲーム・・・そういった楽しむ物を手放す。そして食べるもの、着るもの、住む所、の順で必要なものを手にする。それは仕方ない事だ。
でも、そんな時こそ必要なのが、さっきは娯楽と呼んだ、芸術なのでしょう。
戦後の貧しい時に美空ひばりさんがこの日本にどれだけ安らぎを与えてくれたか、勇気をなくした日本にテレビという小さな四角い箱から、勇気を与えてくれた力道山もいた。
僕は思う、歌っていられるという事は幸せな時代の証なのかもしれない。
そして、いざ心に隙間風が吹いた時に、それを助けてくれるのは、食べものでも、着るものでも、住む所でもない。音楽なのだ。

今回も音楽が苦手だった人が好きになってくれた。これは本当に幸せな事です。


13時、1回目の本番がはじまった。
今回は松井君も参加してくれて、熊谷人2人と吹上人1人。本当に地元スペシャルのメンバーだった。
お客さんも沢山集まってくれて、嬉しくて僕は、やっぱり2階まで行ってしまった。
2回目のステージでは、松井君の良くいく飲み屋、「はっかい」(熊谷に数店舗あって、ストローのポスターも貼ってある)の店員さんも来ていた。
「今日は松井君がよく飲みに行くお店の人もきてますよ。昨日も行ってなんじゃないのー?」なんてステージで話したが、・・・・実は僕も夕べははっかいで飲んでいた(謝)

さすがに地元だけあって、本当に最高の1日でした。
帰りに事務所に挨拶にいくと、ニットーモールの人が、嬉しそうに言った。
「さっき、お客様から電話が来て、『たまたま買い物に来たら、ストローさんが歌っていて、今日はすごく落ち込んでいたけど、すごく勇気が出ました、今日ニットーモールに来てよかったです』という事だったんです」
「本当にですか!?」僕もすごく嬉しかった。

落ち込んでいる人が、たまたまニットーモールにきて、たまたまその日歌っている僕らを聴いて、勇気が出た。これはまさにはじめに話した事だと思う。

もちろん人が落ち込んでいる所から勇気がでるまでの変化はその人自身の問題だと思う。でもそのほんのちょっとのお手伝いが出来る。これが音楽のすばらしさだと実感した。

「僕の方こそ、今日ここで歌ってよかったです!」
事務所に響き渡った僕の声に、みんな笑顔になった。
「またやってくださいね」
「もちろんです。また宜しくお願いします」

日が大夫、短くなった。
すっかり暗くなった、熊谷の街が、とても暖かく見えた・・。





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