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むさしの村

ひさびさ野外で演奏できたむさしの村!
7月以来に外での演奏でした。セッティングをして、リハーサルを開始、今回はマイクが変わったので色々と音をチェックしていたら、あっという間に時間が過ぎていそいで楽屋に入って準備をした。
今回のメンバーは小野と松井君だった。
12:30になって1回目の本番。
無事に終了して、楽屋へ戻るとすでに松井君が戻っていて、ノートに色々と書いていた。なにやら難しい勉強をしているようだった。
なるべく邪魔しないようにして、お弁当を食べた。
スタッフの金井も食べに来て、「じゃあ、戻ってるよ」と言って金井は会場に戻った。
そしてからのお弁当箱を片付けようとしたら、一つだけ重いものがあった。
「だれこんなに残したのー!?」と僕が言うと、小野が「金さんじゃない」
と言った。
なにをこんなに残したんだろうと思って見たら、ご飯はきれいになくなっていて、揚げ物とウィンナーが姿を消していた。それ以外の煮物、魚、キャベツ、漬け物が残っていた。
松井君が「なにをおかずにご飯食べたんですかね?」
と聞いたので、「揚げ物と1本のウィンナーだけだよ」
と僕は応えた。
後で「ちゃんとバランスよく食べないとだめだよ」と金井に言った。
でもふと思い出した。
僕の小学校の頃の食生活だ。
昔からご飯とおかずの2品しか食べていなかった頃があった。
焼き肉に行けば、ご飯は3杯。しかもお代わりではなく、初めから2つは注文してしまうほど。
あとはカルビのみ、そんな食べ方をしていた。
家で牡蠣フライをつくると山盛りの牡蠣フライにしょうゆをつけて、あとはご飯のみ。
そんな食べ方をしていたので、その頃の体重は小学校高学年で80キロあった。
一番すごかったのは、行田駅前にある十勝というラーメン屋(その頃の夕飯の8割はこの店)に行って、焼肉定食とモツ煮定食とチャーハンを頼む。一人で3人前を食べていたのだ。今考えると恐ろしい。
みなさんは是非バランスよい食生活を送ってくださいね。

話しがそれましたが、3時から2回目のステージ。
雨が降りそうでしたが、なんとかふらないまま終了。
最後はアンコールまできて、冬のソナタをやった。でもやっぱりオリジナルで終わりたかったので、さよならも言えなくてのアコースティックバージョンをやって終わった。

終了後に楽屋に戻るとまた松井君がノートを広げてなにやら勉強をしていた。
なにをやってるの?と聞くと、そのノートを小野に渡した。
今後のストローのキャンペーンのやり方、チラシの作成等を色々とアイディアを書いていたのだ。
演奏がもちろん最大に大切な事だ。でもマネージメントがいないストローにとってメンバーもミュージシャンもみんなでアイディアを出してビジネス的な動きもやっている。
本当にありがたい事だ。
音響チームも時にはマネージャーになり、時には販売係になり。僕も時には営業マンになり、小野も時には宣伝マンになる。
でも一つ言えるのはみんな本気でやっているという事だ。自分達で作ったものを自分たちで売っていくという事から生まれる最大の武器だと思う。
これからもその精神でがんばっていきます。

帰る頃はもう暗くなっていて、だれもいなくなってむさしの村を出発。
国道に出てすぐ、犬の鳴く声が聞こえた。
「なんだろう」と僕が思ってみると、普通の民家の庭の犬が国道に向かって吠えていた。
よくみると道路に人が倒れていた。
すぐに車を止めて、みんなでかけよると、その犬の家の人も出てきた。
おばあさんが倒れていたのだ。
「どうしたの!?」と聞くと、「ころんじゃったんだよ」とおばあさんは応えた。
特に外傷もなく、意識もしっかりしていたが、頭を打ったらしい。
「そのまま動かない方がいいよ」と犬の民家の人が言った。
そして救急車を呼んだ。
次から次へ人が集まってきた。僕はおばあさんの横について「もうじき救急車くるからね」と声をかけていた。
「救急車はやだよ」とおばあさんは言ったが、「頭うったんじゃちゃんと見てもらった方がいいから」と言った。
金井はいつのまにか交通誘導をしていた。
そして救急車が来て、無事に運ばれて言った。

あのまま誰も気が付かなかったら車にひかれてしまっていたかもしれない、そう考えると恐ろしい事だ。
でも人が気が付いて本当に良かった。
というか、一番最初に気が付いたのは犬だった。
きっと「だれかきて!大変だよ!」と犬も精一杯言っていたんでしょう。
本当に偉いです。
動物って、みんな人間以下という見方をしてしまうが、実は動物の方がすぐれている時がたくさんあると思う。
人は人に力があるのではなく、人が作った文化に力があるのだと思う。
ようするに、人が裸になって、なにももたなくて、いざ自然に立ち向かったらどうなるだろう?きっとすぐに命つきてしまう気がする。
真っ暗な山奥で道に迷うと、それだけでもう終わりかも?なんて思ってしまうのだろう。でも電気があれば、車があれば、銃があれば大丈夫なのでしょう。
最近、自然界で生きている熊が何匹も射殺されていますね。
農家の人が作ったものを荒らしてしまう、とう事も確かにあるのですごく難しい問題だと思うけど。では元々地球はどうだったのか?という事をいつも僕は考えます。
空があって、大地があって、海があって、緑が育ちはじめて、川が流れて。
そして生き物が生まれる。
ミツバチは花粉を運び花は子孫を残し、動物は他の動物を食べて、そしていつかまた大地に帰って大地を肥やす。
そんないとなみがあったのを、はじめて壊してしまったのが人間の誕生だったような気もする。人は壊す事はいくらでもやる、それは人のみが住み良くなるため。
すべての物を壊していく、では人がこの自然界、地球にいる意味はなんなんでしょう?
なにをしてあげられるのかな?ってよく考えたりします。
元々熊の住んでいた場所に人が入って行って、共存も出来ずに、駆除という自然界にいきるものとして考えがたい言葉で射殺してしまう。
本当に勝手な事だと思う。もちろん大変な問題と解っているが、人間の安易な行動が果たして地球にどんな影響を与えるのか、不安になる。

なんだか難しい話しになってきてしまいましたが、僕が考えるには、人が住む場所と自然のままにして置く場所を分ければいいと思う。
日本の国土をすべて人間が手にいれているから問題になるような気がする。
ここから先は絶対に入っていけない、開発をしてはいけない、住んではいけない。そういう場所をちゃんと守っていけば、みんな(動物も草も花も木も山も)が仲良く暮らせると思うのです。
でも、人は欲があるから、広大は土地はどうしてもお金になると思ってしまう。

とある海外の映画監督が行ったすばらしい行動がある。
大金持ちになった時になんと誰も手をつけていない広大な大地を買った。
普通に考えればリゾート開発をしてさらにビジネスをするのかと思う、ところが違った。なんとなにもしない!というのだ。
地球のすべての土地に人が手を加えても、ここだけは俺の物だから手をださせない。
という考えだったのだ。
宮崎駿夫さんの作品にもそんな優しさを見える。
風の谷のナウシカでは虫が出てくる。ラピュタでは最後にロボットの人間以上の愛情を描いている。平成狸合戦では開発の寂しさ。千と千尋ではなくしはじめている日本人の美しい心、そして人が汚してしまった神様がお風呂に入るにくるシーン、みんなに臭いと避難されるが千がきれいにしてあげる。
そんな色々はメッセージが入っていると思う。
人間がちょっとづつでも自然や他の生き物へ優しい気持ちが芽生えればきっと変わっていくと思う。
だって、犬だってその本能で一人のおばあさんの命を救う事ができるのですから。

だいぶ話しが横に行ってしまってすいません。
人の優しさをテーマにしている僕ですが、人の優しい場面を描いているのではなく、聞いていただく人が、「なんで自分はこんなに優しい気持ちになれるんだろう?」という感じで誰の心にもある自分の優しさに気づいてほしいとうテーマなのです。
「すごく感動しました」そう言ってくれる方がたくさんいます。そんな人の心から優しさを感じます。
これからもたくさんのが優しさに気づいてくれるような歌を作ってがんばっていきます。
これからもみなさん是非応援してくださいね

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