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本八幡サードステージ  さくま

2月以来のサードステージでした。
会場につくと、チャーリーさんが「携帯が落ちてる」と言った。
なんと誰が落としたか、携帯電話道ばたに落ちていました。
「きっとこまっているに違いない」
そう思ったのです。
僕も2001年の全国ツアー中、札幌で携帯を落として、もう移動していて、どうしよう?と思っていたら、小野に僕の携帯から電話がきた。
そうだ、ひろった人が着信履歴で小野にかけてきてくれたのだ。
「助かったー」
そう思って、その男性と話しをして、「実は全国ツアー中でもう北海道にいないのです、必ずお礼と送料を払いますので、次の町のライブハウス(仙台)に送ってほしいのです」とその会場の住所を伝えた。
「わかりました」と言ってその人は電話を切った。
「なんていい人なのだろう」と本当に感謝をしていた・・・・
が、数日後仙台の会場に行っても届いていなかった、その後も何度も電話したが結局僕の携帯は届く事はなかった。確かに偶然ひろった知らない誰かのものを、手間をかけて送るの面倒である。きっと返事はしたものの、送ってはくれなかったのだろう。
それはそれで仕方ないと思った。
そんな事もあったので、サードステージの前でひろった携帯電話をなんとしても持ち主に届けよう!という気持ちになった。
そこで失礼と思いつつ、着信履歴を見た。するとなんと素晴らしい事に「お母さん」という履歴が残っていた。
「これだ!」
すぐにその電話でかけてみると、不思議そうにお母さんらしい人は出た。
携帯に貼ってあったプリクラから見ると、どうやら若い女性の持ち物だと思えた。
娘の携帯の着信から、なぜ僕という男がかけてくるのか、きっと不思議だったのだろう。
すぐに「この携帯が落ちていた拾ったものですが・・・」と事情を話すと、お母さんは「でありがとうございます。すぐに取りにいきます」と言って、一応僕の番号も教えておいた。

サードステージに入って、楽器の準備をして、今回はストリングスを結構使うのでその機械の確認をしていた。
あれから40分は過ぎただろうか、サードステージの人が僕を呼びにきた。
出てみると、なにやら包みを持った女性が立っていた。
そうだ、僕は圏外になるといけないので、サードステージの場所も教えておいたのだ。
その人は落とした人のお母さんだった。「本当に助かりました」と言って僕にその包みを差し出した。
僕は「そんなとんでもないです」と言うと
「いいえ、受け取ってください」と言った。
結局それをありがたくいただいた、中身はケーキだと言っていた。
そして携帯を返した。(もちろん着信履歴以外、中は全然見てません。)
『これで任務を果たせた』そんな気持ちになった。
その後も落とした本人からもお礼の電話があった。
あたり前のように人が困っている時に手間だけで、なにかをしてあげる。それって最近ではあたり前ではなくなって来たのかな?そんな風に思った。
これからも困っている人がいたら助けてあげられる自分でいたいと思った。

さて、話しが長くなってしまいましたが、リハーサルも終えて。
メンバーと山ちゃん(ドラム)とスタッフの金井と5人で裏通りの「なりたけ」にラーメンを食べに行った。
そして、時間があったので、僕は本八幡見学で散歩に行った。
ちょっと歩くと大きなショッピングモールもあってびっくりした。
夕日もすごく綺麗だった。
7時頃に会場に戻って準備をした。
そしていよいよ本番。
1曲目「usuallove」2曲目「ミカン色の時期」と続いた。
久しぶりの曲だという事と、2001年ツアーのオープニング曲という事もあって、なんだが気分がよかった。
そして2000年ツアーのメインソング「遠い記憶」、ストローのデビュー曲「さよならも言えなくて」と続いた。
今回はなんだかツアーの頃をいっぱい振り替えれる選曲だった。
夜、河原でカップラーメン(カップヌードルカレー味)をみんなですすって夢を語った事を思い出した。

「さよならも言えなくて」はストリングスもピアノもMTR(打ち込んでおく機械)から出して、僕はエレキギターで歌った。すっごく広がりのある演奏が出来た。
そして、最後にChangeMyHeartで幕を下ろした。

曲は5曲と少なかったが、色々ストローの過去そして今、そして未来をなんとなく感じ取れたステージだった。
終わった後もサードステージの入り口(外の酒屋の所)で4人そろって色々音楽について、これからについて話した。まるで2000年のツアーの時のようで、すごく刺激があった。
ストローがこれからどうしていくか、どこに向かうか、色々話しをした。
結果的には、アーティストの名前が世の中に知れ渡る時、同時にそのヒット曲が知れ渡る。要するにアーティストがビックになるには代表曲が必要だという事になった。
そうだ、まさに「さよならも言えなくて」がそれだと思う。
この歌が沢山の人に広まって、誰もが知っている歌になった時に「ストロー」という名前も一緒に広まる。
でも僕はこう付け加えた。
「でも1曲ではだめだよ、それで終わってしまう人も沢山いる、だから3曲だよ、3曲ヒットが出れば、きっと10年20年歌っていけるよ」
色々なアーティストを見て僕も研究しているが、やはりさだまさしさんにしても「精霊流し」「雨やどり」「関白宣言」(もっともっとあるけれど)代表曲がある。谷村新司さんも「昴」「いい日旅立ち」「チャンピオン」。ミスターチルドレンも「イノセントワールド」「トゥモーローネバーノウズ」「エス」とやはり3曲以上のヒット曲がある。
だからきっと「さよならも言えなくて」がヒットした時に、2作目はもっと悩むのだろう、と今から覚悟している(ヒットするつもりで語っています)。そして3曲目はもっともっと悩むのだろう(2作目もヒットするつもりで語っています)。
でも、大好きな音楽です。これからも「いい歌」をどんどん作っていきます。
まずは「さよならも言えなくて」この大切な歌をもっともっと沢山の人に聞いて欲しいですね。その為にもっともっとがんばっていきます。






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