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11.11.3 富士電機 工場祭 (埼玉県鴻巣市)



僕の生まれ育った町には富士電機という大きな工場がありました。

僕が吹上町という場所がふるさとになるきっかけでもあったのが
この富士電機です。
なぜならば、加須市の父と羽生の市の母が移り住んだのが吹上町、その理由は
父が富士電機に勤めるからだったのです。

昔の父の引き出しの中には18歳頃であろう父が帽子をかぶって、作業着を着て
大きな機械に向かっている白黒の写真がいつもありました。

やがて父は独立して自分で会社を作って金型の仕事をしていました。
「隣の芝生は青く見えなかった」に出てくる汗にまみれ働く姿を見て・・・という歌詞はこの頃のイメージなんです。

行田市にあった工場に幼稚園の頃、僕もよく行った記憶があります。

高校中退の父が農家から出てきて、家庭を支える為に勤めた富士電機で歌えるという事は
本当に光栄な事でした。

しかも富士電機の工場祭と言えば、僕が子供の頃は絶対に行ったお祭りでした。

小学生の頃は毎年必ず行ってました。
ウルトラマンショーがあったり、バンドが演奏していたり、ボールを投げるゲームがあったり、そうだ!ボールを投げてスピードメーターで投球のスピードを測ってくれるゲームもありました。

なにしろ楽園のような工場祭でした。

その工場祭にでれる!!これは最高に嬉しい事です。



事務所からわずか5分で会場へ行くと、フラワーラジオの局長さんと伊藤さんが音響をくみ上げて袖にいました。

僕もその横で準備をして、間もなく富士電機の担当の方に控え室を案内していただきました。
その頃は体育館ではふじいあきらさんがマジックをやっている・・・
さらにメインステージではゴーカイジャーのショー!
まさに今でも楽園のようなお祭りです。

間もなく出演時間です。
正田バンドさんの演奏がすっごい盛り上がっていて
袖にいて、僕もノリノリでした。

そしていよいよ出番です。



「枯れない花」ではじまり「サヨナラの予感」
会場は満席でした。

さらに富士電機の方も後ろの方で宴会並に盛り上げてくださいました。


(立派な看板もありがとうございます)

最前列では先日講演会をやった僕の母校、下忍小学校の子達が盛り上げてくれました。

リクエストコーナーでは「下忍小学校の校歌」さらに「吹上北中学校の校歌」と母校校歌メドレーでした。
不思議なものですが、歌詞を完璧に覚えていました。

嬉しかったのはリクエストコーナーで「いま守りたいもの」や「命~2011からのメッセージ」という僕の曲へのリクエストが沢山あった事です。

後半はコンサート並に盛り上がってあっという間の30分のステージと名ばかりの50分近いステージが終わりました。



さらにアンコールもいただいて「オレンジの想い出」を歌いました。

CD即売の時も「名前は知っていたけど初めて本物を聞きましたよ、すごくよかったです」というありがたい言葉を沢山いただきました。
ファンの方も沢山いらしていただき嬉しかったです。



「ナックファイブ聞いてます」という声も沢山いただきました。

父が僕ら家族を支える為に働いていた場所で、今日は歌えた事
本当に嬉しく思います。

帰る時は誰も通らない工場の裏を通って帰りました。
「こんなに古い建物があるんだ」そう思う程
昔ながらの工場もあったのです。

「あれ?」

その時僕は時が止まった気がしました。

それはほこりをかぶった古い機械

「どこかで見た事あるような・・・?」

でも見た事もないこの建物の工場、気のせいかな?
そう思った瞬間、あの写真がよみがえってきました。

父の引き出しにあったあの白黒の写真・・・・

額に汗をかいて、作業着を着て、なにやら熱心に機械に向かっている写真

「ここだ・・・」

夕陽の光が差し込んだ、オイルで黒ずんだ床と古い機械の前に
あの日の父が見えたような気がしました。

そして、僕に気が付いて
「おお! 元気そうだな がんばってるみたいだな・・」
ちょっと笑って、そう言ったような気がした・・・・



「さくまさん!ここにいたんですか!?」
関係者の方が心配して僕を捜していたようで
その言葉にふと我に帰った。

「あっ・・・今日はお世話になりました」と僕が言うと
「また是非お願いしますね!」と言ってくださいました。

11月は父の命日の月でもあります、そして僕の誕生日の月でもあります。
4年経った今、また父が「がんばれよ」というメッセージを伝えているようでした。

門を出る時に、一度だけ振り向いてから、前を向いた。
そして空を見上げて「明日からもがんばろう!」そう心の中でつぶやいた・・・

風の中から
「今日のステージよかったんじゃなか・・・でもあの歌は音程がいまいちだったな~」
なんて父のいつもの言葉が聞こえたような 聞こえなかったような
優しい気持ちになれた 帰り道でした。




(本番前)



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