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行田浮き城まつり  

毎年出演している行田浮き城まつり!!
今年で5年目。はじめて出たのが2000年だった。
初の全国ツアーが札幌で終わって、帰ってきてすぐだったので今でも覚えている。
あのツアーは今考えても、過酷でそれでいて音楽、バンドというものの大切な物はなんなのか、学べたツアーだった。
さて、今年のこのお祭りはご存じの通り、ソロでの活動。
ソロ活動に入ってから、一人でやるべきステージと松井君のピアノのフューチャーしたステージと、色々考えた。
そしてこの大舞台は変わったスタイルでやりたかった。
そこでまずサックスを入れる事でリードソロに魂を入れてもらうため、ソニックのワンマンでも参加してくれた斉藤尚久(タカヒサ)が参加、そしてドラムに古くからの弟子、倉川知也を起用。ピアノにいつも舞台監督&音響をやってくれている黒澤さんの娘さん黒沢早紀を起用。残るはベース。さすがに僕は18歳からバンド活動しているが、沢山のミュージシャンと一緒にやってきたが、ベースだけは決まって小野が弾いていた。
したがって、ベーシストが見つからないのだ、そこで松井君が立ち上がった。
小野と松井君は同じ熊谷出身で仕事以外でもたまに飲みに行ったりしていた。その松井君が得意のベースで参加する事になった。

12時過ぎに会場に到着。ステージの上は風がまったく吹かずサウナ状態でリハーサルをした。みんなTシャツのままプールにでも飛び込んだようにびっしょりになっていた。

リハーサルは1番目で出番は最後の夜8時半。
あまりに時間があったので、一度僕の家にみんなで行った。
スタッフ含めて総勢9名で家のフライと焼きそばを食べた。
ミュージシャン同士ゆっくる話す機会があまりなかったので、すごくいい時間だった。
倉川と松井君は同じ年で僕の3つ下、斉藤君はその1つ下。要するに僕以外はほぼ同年代で話しも合った。
日も暮れてきた頃、「では!いざ出陣です!」と僕が言って、会場に戻った。

準備をしていよいよ本番。
お客さんも沢山集まってくれている。
司会の合図でメンバーがステージに出る。
1曲目は「ChangeMyHeart」サックスのイントロは行田市中に響いた気がした。
そして、新曲の「声がキキタイ」
そしてトークに入ったとたん、御神輿がやってきてにぎやかになってしまったり、放送が入るから待っての合図が出たり、お祭りイベントらしく曲にいけなくなってしまうトラブルがあった。
そして無事に放送も終えて、松井君のピアノで「足でまとい」に入った。
ハーモニカのイントロが僕はすっごく気に入っている。

そして「さよならも言えなくて」ベースソロは「小野さんに泥を塗らないように」と松井君が何度も何度も練習していたので本番もばっちりだった。
最後は「Goodちょっとパラダイス」で盛り上がった。
今日の衣装がタンクトップだったので(スタッフの金井が「肌だしてる方がいいよ」って言うもんだから)腕を上げるのがちょっと恥ずかしかった。
後半はサックスと僕のギターのバトルでステージが終わった。

終わったあとの即売会も沢山の人が並んでくれた。
その中に驚いた顔があった。初め気がつかなかったのだが、よく見たら、僕がかつてプロデュースしていた行田のアーティスト、生出雄一(おいでゆういち)君だったのだ。
「久しぶりです!」と相変わらず愛想良く挨拶する彼を見て、僕も「久しぶり!」と言ってしまった。
僕は24歳頃から色々なアーティストのプロデュースをはじめた。その中でもFMナックファイブの番組で上位まで行ったのは彼だけだった。
いつかプロになりたい!そう思って彼はいつも輝いていた。小野も彼の後ろでベースを弾いた事もあった。
そして3年くらい一緒に活動したが、見切りを付けてきっぱりと別の夢を追い始めたのだ。
音楽をやっていると本当に色々な人に出会う、ミュージシャン、スタッフ、関係者等々。その時代時代で回りに色んな人がいる気がする。
そして悲しいのは同じ道を歩いて来た人が、別の道を歩きはじめる時だ。
でも僕はいつでもその人が選んだ道が一番正しいと思うようにしている。
その人の人生で一番幸せなのは、その人が一番輝ける場所にいる事だと思う。
そう考えると僕は、きっとこのステージにいる時間が一番楽しいし、輝いているのかもしれない。だから普段の僕をしる人から「本当にステージで歌ってたさくまさんですか?別人かと思いました」とまで言われる。
でも本当に歌っていて楽しいし、聞いてくれる人が感動してくれたりする事がなにより幸せを感じる。
これが「僕の道」かな・・?

人はみんな夢に向かって歩いている、きっと夢という名の自分の居場所なんだと思う。
そしてそれに気づいて突き進む事ができる僕は幸せだと思う、これは応援してくれる人がいるから出来る事です。

生出君が「さくまさん!いつ聞いてもいいですね!」と言ったあと、紹介してくれたのは、まだベビーカーに乗った子供だった。そして奥さんもそばにいた。
着実に彼は夢に向かって歩いていたのだ。
帰り際もあの頃より素敵な笑顔で帰っていった。

しばらくその後ろ姿に目をやってこう思った。
「僕もあんな人生でも良かったのかな?」その直後「サインお願いします!」
という声に現実に戻った。
これが「僕の道」だから、これからも輝いていこう!

「ありがとうございます!」
僕の声が真夏のお祭りのにぎわいの中に響いた。


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