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11.7.14 鴻巣市立下忍(しもおし)小学校 家庭教育学級 講演会&ライブ



人生の長さって、長くても100年、平均で80年くらい?
でも、その決められた長さを生きていくにあたって、いつも思っているのが
どうせ生きるなら一瞬一瞬で楽しい事を見つけていきたいって思うんです。
それは身勝手な楽しさではなく、時には苦労をするかもしれないけれど
その先にある楽しさを見つけるとか・・・
そんな感じなのですが。



そしてもう一つ僕が大切にしているのが「想い出」
せっかく歩いて行く人生ですから、一瞬一瞬をちゃんと想い出として残して行きたいと思っているんです。
それは想い出を作る為に生きるって事ではなくて、精一杯楽しい事を見つけた事により
想い出が鮮明に残るという事です。

小学校の頃の想い出を浮かべてみても、数え切れないほど、記憶がよみがえります。

池があって、そこでいじめられていた魚を学校のすぐ隣に流れている川に助けてあげた事、
その時は一瞬学校から出たから、先生には怒られましたけど
事情を話して許してもらいました。

あとは今はなき木造の校舎で、ぞうきんがけの時にバケツをひっくりかえして、下の階まで水が漏れてしまって、怒られた事。

上越新幹線のすぐそばにある校舎だったので、開通して初めて通る新幹線を学校の全員が先生の指導で、屋上に上がって、みんなで通りすぎる新幹線を見た事。

仲のよかった友達が転校してしまった事。

いっぱいいっぱい、しかも鮮明に浮かんでくるんです。

体育館で見たお芝居(プロの人が来てやってくれた)を見た時も
はっきり覚えてます。
終わった後に、体育館の横に行って、片づけをしている主役の人に握手してもらった事。

その体育館でなんと初の母校での講演会&ライブでした。

いつもお世話になっている熊谷のアズの方がPTAでして
前回の熊谷3館イベントの時に話がはじまったのですが
こんなに早く実現するとは思っていなくて、しかも校長先生もノリノリだと聞いて
すごいスピードで決まりました。

学校の近くでさっくまTVの撮影をしてから、体育館へ行くと
もうPTAの方々が椅子を並べて準備をしてくださっていました。
記録的な暑さの中、みなさん大汗かいて、動いてくださっていました。

僕も機材をセッティング。
内気だったさくま少年がまさかこのステージでしかも一人で立つ日が来るなんて思ってもいなかったです。



(みんなにちゃんと歌が届くように、あらゆる場所で音のチェック)

リハーサルをやって、校長室で待機。




校長先生はもちろんその頃とは違う方ですが、なんと僕の卒業した時の文集を持ってきて
「さくまさんはどこに写っているのかな?」って
僕も久しぶりに見る卒業文集・・・探してみると
なんと当時80キロも体重があったまん丸な僕がいました。
これじゃ先生もわかならいわけですよね(笑)

プロフィールには好きな食べ物にすし、焼き肉って書いてあって
将来の夢はなんと映画俳優でした。
そう考えると、大林宣彦監督の「理由」に出演しているので
この夢は達成ですね~

尊敬する人は「ブルースリー」って書いてありました。
あの頃はほんとうにブルースリーやジャッキーチェンが大好きでしたからね~


(僕が卒業した時の文集 カンフー一色って感じ(笑))

さて、あっという間に時は過ぎて、本番です。
PTAの司会の方の紹介で後ろから生徒さんの間を通って登場!


(大歓声の中の登場)

みんな元気な笑顔で迎えてくれました。
最初に自己紹介したのですが、下忍小学校での想い出も沢山話ました。
そして、「ただ見つめてただけの初恋」を歌って
夢について話
をして、中半は校歌をアレンジ!
みんなで一緒に歌おうって言うと、ものすごい大声で歌ってくれました。
そして、アドリブで曲を作るコーナーは
出てきたテーマが「高校野球と猫とガリガリくん」
この3っつをテーマに歌を作って盛り上がりました。



そして、またまじめなお話をして
後半は「ゴール」で最高潮!

まるで体育館がどこかのアリーナみたいでしたね~


最後は「命~2011からのメッセージ」を歌ってあっという間の60分の講演会&ライブが終わりました。



ナックファイブを聞いてくれている子や、僕のスタジオを知っている子、
中には僕と同級生のお子さんとかもいて
本当に母校っていいな~って思いました。

27年くらい先輩ですが
すばらしい後輩の姿をみて、将来が楽しみになりました。

最後に校長先生に今日の感想と改めて僕の紹介をいただいて
6年生の生徒さんに花束をいただきました。
お礼に僕からサイン色紙もプレゼントしました。






先生方もPTAの方も喜んでくださって本当によかったです。

片づけを終えて、帰る時に、内気そうな子が僕を見て
手を振ってくれました。
僕も笑顔で「がんばれよ!」ってふりかえしました。

その子に、あの頃の僕が重なって見えました。

校長先生も見えなくなるまでずっと見送ってくださいました。

今は木造校舎もなく、あの池もないけど
想い出の中にはあの頃がしっかりと浮かんできます。
そして、今の下忍小学校の子供達が、いつか大人になった時に
きっと僕と同じように、この母校がすばらしかった事を想い出の中に1ページに
刻んで行くのでしょう。

僕の担任だった江川先生は10年くらい前にこの世を去りました。
校長先生が言った一言がいまでも胸に残っています。
「江川さんが生きていたら、きっと涙を流して喜んだでしょうね」
タイヤ飛びをペンキで先生と一緒に塗って、休憩する時に
青リンゴのアイスを手伝っている子供達の分、買ってきてくれた先生でした。

あの日の青リンゴのアイスの味は今でも覚えています。

学校を出る瞬間、ふと振り返ると
あの木造校舎のあったあたりで、笑顔を浮かべている
江川先生が見えたような気がした・・・

そして、内気だったあの頃の僕が、池の方からきょとんと見ているような気がした・・・

心で僕がつぶやきました。
「先生、ありがとう! そしてさくま少年! 夢をあきらめるなよ!」・・・・と。

35度を越える暑かった一日も
夕焼けの風は、どこか優しく感じた帰り道でした。



(先生方と。僕の左となりが校長先生です)

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