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2011年

11.11.10 FM NACK5 おに魂 続・さくま式トリップ

今日の歌はヘイジュードのラテンアレンジ。小林アナさんの素晴らしいタンブリンのリズムに乗せて歌いましたー!古決は懐かしいテレビドラマ。北の国からは大好きなので、ついつい物まねしちゃいました。また来週もがんばります!...

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11.11.5 第34回日本スリーデーマーチ (埼玉県東松山市)

第30回の日本スリーデーマーチから参加させていただき、今年で5年目です。メイン会場は市役所の隣、松山第一小学校です。日本でも最大級のウォーキングのイベントです。世界各国から歩きに来る方もいるくらいです。50キロと30キロ、20キロ、10キロ、5キロとそれぞれコースがあるのですがゴールの時間を合わせるので、スタートがそれぞれ時間が違うのです。50キロに関しては朝の6時頃からスタート。最後は10時半まで、ずっと流動的にメイン会場の東松山第一小学校の校庭から続々とウォーカーがスタートして行きます。午後になるとみなさんがゴールしてきます。そこで、歓迎イベントがステージで繰り広げられます。最初に出演させていただいた5年前は、午後のステージには出れなくて、スタートの午前中に、歩く方がスタートする姿を見ながら「行ってらっしゃい!」って言いながら歌いました。2回目の時に「WalkMyLife」という歌を作って午後のステージに出演。「日本スリーデーマーチのイメージソングになったらいいなソング」と題して歌いました。その時になんと協会の方から応援歌としての認定書をいただき正式に応援歌になりました。3回目、4回目の時からスケジュールに名前が載るようになって嬉しかったです。そして今回5回目はなんと、日本スリーデーマーチのイベント開催パンフレットに写真が載るほどにまでなりました。今回は東日本大震災復興ウォークというタイトルも付いていてなにしろ「命~2011からのメッセージ」を歌ってほしいという強い要望がありました。しかも午後のステージはもちろんですが、ウォーカーがスタートする時から是非歌ってほしいという事でなんと、7時から歌いました。会場に到着するとやっと陽が昇ったばかりという時間でしたが歌う7時には朝日がまぶしかったです。3曲歌って、次は8時から、そして9時からさらに10時からと4回も歌いました。「行ってらっしゃい!!」と行って手を振りながらのステージになりました。本当にみなさんが手を振ってくれるんです。これは最高に嬉しかったです。約10万人の方が歩くというイベントのスタートでこうして歌えて本当に光栄でした。時報のようなステージが終わって、午後のステージまで時間がありました。会場はお店も沢山出ていて、東松山と言えば!やきとりです。豚のカシラ肉をみそで食べる、独特の東松山のやきとりを食べました。相変わらず美味しかったです!!なんで東松山はやきとりなのかな?って思ってネットで調べたりしました。食肉センターが隣町の滑川町にあった事が大きな由来のようですね昭和3年に安く手に入る、カシラ肉を焼いて出した屋台が初めてのようです。ちなみにみそだれを最初に開発したのは、大松屋というお店。一回だけ母と父と一緒に食べに行った事があるお店です。名古屋の手羽先も仙台の牛タンもそうですが、あまり食べないお肉の部分を使った名物という事では、共通点がありますね。元気いっぱいになっていよいよ午後のステージです。衣装も変えて、ステージへ。僕の出番の前はステージでは、東松山市と東松島市の友好都市としての調印式が行われていました。東松島市の市長さんもいらしていて、挨拶の時の東日本大震災の時の話は心を打たれました。ソデで見ていて、急遽選曲を変更。一曲目から「命~2011からのメッセージ」を歌う事に決めました。会場にはウォーキングを達成した方達が沢山見てくださいました。今日は5回目となります、「命~2011からのメッセージ」を歌っていると歌声が空に吸い込まれて行くような感じでした。聞いてくださる方も真剣な表情でした。東松山市と東松島市の調印式の後という瞬間にこの歌が歌えた事に深い意味を感じながら歌いました。そして「どこで暮らしていても」さらに、「ゴール」の時は会場を練り歩いて歌いました。会場はすっごい盛り上がりでした。握手をしながら歌って行くと、舞台監督さんが両手を広げてストップワイヤレスの電波がこの先は届かないという事だと読み取り、すぐに横の通路へ歩きながら歌いました。今回の舞台監督さんはすっごく完璧な方でした。午前中からもすべての段取りを完璧にやってくださる方でした。音がとぎれる事もなく、会場をまわって歌いました。そして、最後は「WalkMyLife」をみんなで歌いました。大きな拍手の中、ステージが終わりました。その後は、東松山ケーブルテレビさんの収録です!おなじみ、季刊さくまひできの秋バージョンです。岡田さんとのトークもすっかり馴染んで来ていて盛り上がりました。放送は11月10日から一週間です。さらにさっくまTVも収録しました。沢山の方に声をかけられました。「去年、クッキーを差し上げたの覚えてますか?」って言ってきた方「ああ!!」って記憶がよみがえりました。会場を歌ってまわった時に、クッキーをいただいて、その場で食べてステージに戻ったらむせちゃってむせちゃって歌えなくなってしまったんです。一年ぶりにまたお会い出来て嬉しかったです。(東松山のマスコット あゆみん)(控え室に帰って行く まっくん)そして、嵐山から来た中学生、地元松山第一中学の吹奏楽部の方達足を運んでくださったファンの方本当に沢山の方とお会い出来て笑顔のままのライブ終了後でした。すべて片づけを終えるとすっかり夕方。いつもは午後のステージがはじまる時間の前に来て、終わってまもなく帰ってしまうので今日のようにまる一日いた事はなかったのですが、後半のよさこいとかすっごい迫力だったし、スタートする時から沢山の方にあえて、その方達がゴールして歌を聴いてくださって、嬉しかったです。いつもは気がつかなかった、スタートの時のやるぞっていう意気込んだ表情と、ゴールした時の充実しか表情が違う事をしりました。何事も歩いてみて、進んでみてたとて疲れても、ゴールした時に達成感があるんですよね。すっかり暗くなった帰り、会場の小学校を出ようを思った時一組のご年配のご夫婦が声をかけてきました。「ひできさん・・・今日はスタートの時からいい歌声を聞かせていただいて、がんばって歩く事が出来ましたよ」とあたたかい言葉をいただきました。「ありがとうございます!」と僕は言いました。話を聞くとなんと、広島からいらした方でした。全国各地、そして世界各国から歩くという一見簡単だけど、ものすごく深い意味をもったこのイベントに集まっている事を知りました。「僕も全国まわってますから、広島に行った時はまたお会いしましょう」と言うと「是非、お待ちしてますよ」と言ってくださいました。ウォーキングをする事はなかったのですが、歌というウォーキングで今日は、まる一日すごく充実した一日を送る事が出来ました。また来年からも是非是非歌いたいと思っています。・・・っていうかいつか歩かないとですね~最高の一日でした!!(楽屋で練習中のリュートハープ)(東松山ケーブルテレビさんが朝から撮影してくれました)(大声コンテスト出ました、この模様はさっくまTVでも紹介します)...

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11.11.4 加須市立 鴻茎小学校 講演会&コンサート

今日は祝日の昨年に続いて、今年も出演させていただきました。鴻茎小学校の講演会&コンサートです。(最後は総立ち)加須市の観光大使になった事もあって、加須市立の学校なので昨年よりもますます親近感が涌きますね~学校へ到着すると、校庭のフェンスに大きく「11月4日 命 絆 ふれあいコンサート」って書いてあって、びっくり!中へ入ると早速校長先生に再会!「今年も宜しくお願いします!!」そう言って握手をしました。体育館で準備をする時は、教頭先生が機材を運んだり手伝ってくださいました。そして、リハーサル。今回も、もちろん校長先生、エレキギターで参加していただくので一緒にリハーサルもやりました。(入念な打ち合わせ)ハードオフで買ってきたギターとアンプを持ってきてくださいました。実は僕も結構ハードオフで買ったもの使ってまーす。リハーサルが終わり、いよいよお楽しみの給食タイム!!校長室で一緒にいただきましたが今日はそぼろ掛けご飯でした。最初わからなくて、白いご飯とそぼろが別の器だったので、別々で食べていたら先生が「これはかけて食べるんですよ」と言われてしまいました(笑)さらに名物の梨もいただき、柿もいただきました。梨は喉にいいし、柿はお酒を飲んだ時にいいんですよね~僕にはどっちもぴったりです。埼玉新聞さんと、埼玉よみうり新聞さんも取材に来ていただきいよいよ時間です!校長先生と一緒に体育県へ生徒さんと父兄さん、拍手に囲まれての入場となりました。昨年に続いてなので、2年生から6年生は一年ぶりの再会でした。そして、一年生は初めましてという事でした。まずは「どこで暮らしていても」を歌ってはじまった講演会。最初はみんな緊張気味で、って僕も緊張ぎみで「O ME DE TOのうた」を歌う頃にはだいぶうち解けてきました。しかも今日が誕生日という子もいて、ハッピーバースディをみんなで歌いました。話は家族の話、そして命の話しです。「隣の芝生は青く見えなかった」も歌って中半はアニメソングも歌いました。そして、今回初の試み「みんなで曲を作ろう」のコーナーここでは僕は大まかなシチュエーションを考えて、みんなにそこから先の物語を考えてもらいました。これはすっごい盛り上がったですね~母と出かけたという僕の言葉からはじまり、海が出てきて、さらにそこにマンボウがいたとか、イルカがいた、まではよかったのですが、サメまで登場。そして、夕暮れの海最後に答えてくれた子は「いつか僕が母を連れて海にいきた」ってすっごい感動的な詞を応えてくれました。しかも一年生ですよ。こうして笑いもあり、感動もありの名曲「母と行った海」が誕生しました。後半は「命~2011からのメッセージ」を歌って、ゴールで総立ち、さらに校長先生が登場して、今回書き下ろしをさせていただいた鴻茎小学校の応援歌「空を飛びたい」を歌いました。最後はやっぱりみんなで大合唱「校歌」でした。校長先生のエレキもバリバリ輝いてました!こうして、60分予定だった講演会&コンサートも90分という時間をいただいてしまって終わりました。僕も講演会はあまり慣れてはいないので、60分どうやって持たせようかな?って思う事もあるのですが、鴻茎小学校は毎回「もう終わり!?」っていうくらい時間が早く感じます。最後に生徒さんに花束もいただき、お礼の言葉もいただいて嬉しかったです。今日は本当に児童のみなさんの笑顔にパワーをいただきました。こちらから発信をして行くというのが講演会なのですが逆にみんなの言葉や心をいただいて、まるで大きなコンサートをやったような充実感でした。そして、一つ思った事はまたみんなに再会したいという事です。帰る時も先生方がみなさんにお見送りしてくださり「ナックファイブ聞いてますよ」と言ってくださる方もいて本当に笑顔が絶えない一日になりました。校長先生も最後まで見送っていただき、教頭先生も車で出る時まで誘導してくださり本当にありがとうございました。応援歌の中に書いたのですがラカンマキの木というのが校庭にあるんです。明治時代からずっと鴻茎小学校を見守っている木です。みんなもこの木のように、空に向かって大きく伸びて行って欲しいと思いました。そして、僕もこの木のように大きく伸びて行こうと心から思いました。(校長先生、そして教頭先生と)(がちゃぴんが 一匹 二ひき?)...

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11.11.3 FM NACK5 おに魂 続・さくま式トリップ

今日は祝日の放送です。いつもの電車の感じとちがって、家族連れの方が多かった高崎線有楽町に着いてもなんだかとっても穏やかな感じでした。でも、ルミネがオープンしたので、スタジオへ行く道はすっごく賑やかでした。今日のさくま式アレンジは「桜坂」をさくま風にアレンジでした。あったかいコード感のある曲ですが、ちょっと切ない秋のような感じにアレンジして歌いました。古決は懐かしい本です。またまた沢山のメールありがとうございました。放送で紹介しなかった中で面白かったのは週間プロレスを学生の時に、学校の図書館に置いてくれって先生に頼んだら本当に置いてくれて真面目な書物の中で、なぜか暑苦しい表紙の週間プロレスがあったというメールこれは大爆笑してしまいました。限られた時間の中なので、紹介できなくてすいませんでした。アナさんも今回は歌に参加しなかったのですが来週はまたまた参加していただこうと思っています!来週もがんばります(ヘンな二人)...

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11.11.3 富士電機 工場祭 (埼玉県鴻巣市)

僕の生まれ育った町には富士電機という大きな工場がありました。僕が吹上町という場所がふるさとになるきっかけでもあったのがこの富士電機です。なぜならば、加須市の父と羽生の市の母が移り住んだのが吹上町、その理由は父が富士電機に勤めるからだったのです。昔の父の引き出しの中には18歳頃であろう父が帽子をかぶって、作業着を着て大きな機械に向かっている白黒の写真がいつもありました。やがて父は独立して自分で会社を作って金型の仕事をしていました。「隣の芝生は青く見えなかった」に出てくる汗にまみれ働く姿を見て・・・という歌詞はこの頃のイメージなんです。行田市にあった工場に幼稚園の頃、僕もよく行った記憶があります。高校中退の父が農家から出てきて、家庭を支える為に勤めた富士電機で歌えるという事は本当に光栄な事でした。しかも富士電機の工場祭と言えば、僕が子供の頃は絶対に行ったお祭りでした。小学生の頃は毎年必ず行ってました。ウルトラマンショーがあったり、バンドが演奏していたり、ボールを投げるゲームがあったり、そうだ!ボールを投げてスピードメーターで投球のスピードを測ってくれるゲームもありました。なにしろ楽園のような工場祭でした。その工場祭にでれる!!これは最高に嬉しい事です。事務所からわずか5分で会場へ行くと、フラワーラジオの局長さんと伊藤さんが音響をくみ上げて袖にいました。僕もその横で準備をして、間もなく富士電機の担当の方に控え室を案内していただきました。その頃は体育館ではふじいあきらさんがマジックをやっている・・・さらにメインステージではゴーカイジャーのショー!まさに今でも楽園のようなお祭りです。間もなく出演時間です。正田バンドさんの演奏がすっごい盛り上がっていて袖にいて、僕もノリノリでした。そしていよいよ出番です。「枯れない花」ではじまり「サヨナラの予感」会場は満席でした。さらに富士電機の方も後ろの方で宴会並に盛り上げてくださいました。(立派な看板もありがとうございます)最前列では先日講演会をやった僕の母校、下忍小学校の子達が盛り上げてくれました。リクエストコーナーでは「下忍小学校の校歌」さらに「吹上北中学校の校歌」と母校校歌メドレーでした。不思議なものですが、歌詞を完璧に覚えていました。嬉しかったのはリクエストコーナーで「いま守りたいもの」や「命~2011からのメッセージ」という僕の曲へのリクエストが沢山あった事です。後半はコンサート並に盛り上がってあっという間の30分のステージと名ばかりの50分近いステージが終わりました。さらにアンコールもいただいて「オレンジの想い出」を歌いました。CD即売の時も「名前は知っていたけど初めて本物を聞きましたよ、すごくよかったです」というありがたい言葉を沢山いただきました。ファンの方も沢山いらしていただき嬉しかったです。「ナックファイブ聞いてます」という声も沢山いただきました。父が僕ら家族を支える為に働いていた場所で、今日は歌えた事本当に嬉しく思います。帰る時は誰も通らない工場の裏を通って帰りました。「こんなに古い建物があるんだ」そう思う程昔ながらの工場もあったのです。「あれ?」その時僕は時が止まった気がしました。それはほこりをかぶった古い機械「どこかで見た事あるような・・・?」でも見た事もないこの建物の工場、気のせいかな?そう思った瞬間、あの写真がよみがえってきました。父の引き出しにあったあの白黒の写真・・・・額に汗をかいて、作業着を着て、なにやら熱心に機械に向かっている写真「ここだ・・・」夕陽の光が差し込んだ、オイルで黒ずんだ床と古い機械の前にあの日の父が見えたような気がしました。そして、僕に気が付いて「おお! 元気そうだな がんばってるみたいだな・・」ちょっと笑って、そう言ったような気がした・・・・「さくまさん!ここにいたんですか!?」関係者の方が心配して僕を捜していたようでその言葉にふと我に帰った。「あっ・・・今日はお世話になりました」と僕が言うと「また是非お願いしますね!」と言ってくださいました。11月は父の命日の月でもあります、そして僕の誕生日の月でもあります。4年経った今、また父が「がんばれよ」というメッセージを伝えているようでした。門を出る時に、一度だけ振り向いてから、前を向いた。そして空を見上げて「明日からもがんばろう!」そう心の中でつぶやいた・・・風の中から「今日のステージよかったんじゃなか・・・でもあの歌は音程がいまいちだったな~」なんて父のいつもの言葉が聞こえたような 聞こえなかったような優しい気持ちになれた 帰り道でした。(本番前)...

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11.11.2 かつしかFM 山口かおると横沢丈二の二人の世界 ゲスト出演

かつしかFMさんでは、六本木モーフ東京の阿部さんのご紹介で、なんどか曲は流していただいた事はあるのですが、出演した事がなかったので是非出てみたいラジオ局でした。今回はなんとも偶然のふりした必然の出会いが今回の出演につながりました。話しは9月11日にさかのぼります。むさしの村でのライブの時。とってもテンションの高い女の子がライブを盛り上げてくれました。これは嬉しかったです。すると最後にCDを買いに来てくださったんです。お父さんと一緒に。その方がなんと僕に「かつしかFMで番組をやっているんで、是非いらしてください」と声をかけてくださったんです。すぐにメールをさせていただき、ゲスト出演を決めてくださいました。さらに、その方はなんとテレビやラジオの脚本家、横沢丈二さんだったのです!!ラジオドラマもやっていて、なんと僕の「あのお化け屋敷はまだあるのかな」をドラマにしてくださったんです。そして「命~2011からのメッセージ」をテーマにさらにラジオドラマにしてくださいました。しかも僕の歌を使っていただきました。そして、今回は9月11日以来の再会!ラジオゲストの日がやってきました。夕暮れの道を車で向かって、日がくれる頃葛飾に到着。スタジオの中に入るといらっしゃいました。久しぶりの再会です。さらにラジオドラマに声優で出演していた方も来ていたので嬉しかったです。間もなく山口かおるさんもスタジオ入り。ご挨拶させていただくとなんと同じレコード会社でした!!さらに自分で会社も作って活動をされている話しを聞いて、すごいパワーをもらえました。いよいよ時間になって生放送。時間が進むにつれてトークもヒートアップして行きまして最後は本当にみんなで大爆笑になってしまう場面もありました。本当に楽しかったです。生歌で「命~2011からのメッセージ」も歌わせていただけて嬉しかったです。僕の出演が終わって、車で帰りにさらに番組を聞いていたのですがまだまだ僕の話題で盛り上がっていて、運転しながら笑ってしまいました。今日はマカロン役とオニオン役の声優さんにもお会い出来てさらに山口さんに会えて、横沢さんと再会出来て。かつしかFMのディレクターさんともメールでのやりとり以来お会いする事が出来て本当に楽しい一日でした。僕も物語を書くのが大好きなのでこれからも横沢さんと一緒になにか創作していけたら最高です!...

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11.10.30 羽生市民音楽祭 羽生市産業文化ホール

結婚式の会場を後にして、羽生へ羽生市音楽祭でのサプライズ出演です。サプライズという告知をしていなかったので、パンフレットを見て僕の名前が書いてなくて、沢山の方を困惑させてしまった事お詫び申し上げます。到着して、スーパーケンゾーの社長さんとご挨拶。このイベントのゲストが「ザ・ランクス」さんでそのメンバーがケンゾーの社長さんなんです。以前からグループサウンドをやっていた社長さんですから大人気のバンドです!そのザ・ランクスさんの出演の後にサプライズで僕が出させていただきました。「ただ見つめてただけの初恋」を歌って「ムジナもん音頭」を歌いました。会場には市長さんもいらしていて、本番前にもご挨拶をさせていただきました。最後は「命~2011からのメッセージ」でした。2年くらい前に市制55周年の時にここで歌った以来でしたがすっかり羽生市産業文化ホールはおなじみになってきました。雨の中足を運んでくださった方、ありがとうございました。終わった後も「さくまさんが出るなんて知らなかった、来てよかった」って言ってくださる方もいました。「道の駅でみたよ」って言ってくださる方や「ケンゾーでよく流れてるね」って言ってくださる方「ムジナもんと遊ぼうは小学校の運動会の入場で使ったんです」と言ってくださる方もいました。これからも母のふるさと羽生での活動もがんばって行きます!!(本番前)...

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11.10.30 結婚式で歌いました

結婚式で歌う経験は沢山あるのですが、友達や関係者。ですが、今回はファンの方からの依頼でした。鴻巣でのライブをよく見に来てくださるご家族のお父様から最初に事務所で電話をいただき、息子さんが結婚するという事だったのです。ご結婚をするお二人も僕のライブに見に来てくださったりして、話しが進んで行きました。メールもいただいたりして、なにしろご家族想いの方でした。僕も心を打たれて出演させていただく事にしました。3曲の披露でしたが3曲目は書き下ろした曲を歌いました。幸せの式の中で歌うと、不思議と歌も幸せな感じで心から出てきます。僕も暖かくなった一日でした。お似合いのお二人さん!お幸せに!!また2人でライブ来てくださいね。いずれは3人かな!!?(控え室で練習中)...

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11.10.29 ORTON 埼玉県羽生市

父のふるさと加須を後にして、次は母の故郷羽生です。毎月恒例のオルトンでのディナーライブです。セッティングをして、終わるとすぐに、羽生市産業文化ホールへ移動。明日の音楽祭のリハーサルをやりました。またオルトンに戻ってすぐにライブです。客席はなんと満席!!!さっき加須で会った、コンビニ時代の友人も奥さんと来てくれました。途中で「たとえばこの人生が」のリクエストもいただいたのですが、サビしか歌えなくてすいませんでした。次回は歌えるようにしてきますよ~むさしの村の方もいらしていただいて、羽生市役所の方もいらしていただいて、そしてお客様も同じ時間を過ごしていただいて、本当に幸せなライブでした。あっという間に予定をオーバーして、たっぷりと歌ったオルトンでした。次回は11月26(土)です。がんばって歌います!!...

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11.10.29 加須市 まちなかライブパフォーマンス

毎年参加させていただいております、父のふるさと加須市のまちなかライブです!今回はちょっと違いますよ、なぜなら、10月に加須市の観光大使に任命されてから初の加須でのステージです。ばりばり父のふるさと加須を宣伝して行きますよ~会場に到着すると音響の準備がはじまっていました、以前スタッフだった方のチームが音響で、しかもバンドで出演までするというのです、しかもベースは小野滋久氏です。ボーカルはヒロ(僕が10代の頃から一緒にライブをやっていた見た目ビジュアルでも、心は優しい人)でした。そして、さらにビートルズのカバーをやっていたバンドのギターの方が僕の所へ来て、話を聞くと、なんとやっぱり僕が20代前半の頃にお世話になっていたPOWというバンドにいた方だったのです。そのメンバーは久喜の大名さん(あだな)とベースはCoccoさんのプロデュースをやったり、奥田民生さんのバンドで今も活躍している根岸さん、そしてドラムは今は浜田省吾さん、そしてレベッカのメンバーの小田原さんという最強のメンバーです。その頃はザフーのドラムキースムーンの追悼ライブというのをやっていてよく僕も参加させていただいていたんです。参加ミュージシャンもすごかったですよ、アースシェイカーのシャラさんや、ラウドネスの二井原さん、そして子供バンドの方や、コレクターズの方、News等々、沢山のアーティストが出ていました。渋谷のエッグマンや高円寺のショーボートとかでライブをやっていました。その頃によく話をしたりしていた方なんです。僕のスタジオも使っていただいていて、その頃に僕も沢山の方にお会いする事が出来たので、すごく勉強になったんです。なんせリハーサルを間近で見ていましたからね。宮原学さんや、ARBの白浜久さん、ドラマーのカースケさん(今ではあらゆるアーティストのバックでドラムをたたいてます)、レベッカののっこさん、キーボードの難波さん、本当に沢山の方が出入りしていた時代がありました。最近はなかなかお会いする機会がなくなってしまいましたが、こうして久しぶりにその頃の方に、お会い出来て、話が盛り上がってしまいました。同窓会のようなリハーサルも終わり楽屋へ行くとまた訪ねて来た方がいました。よく見ると、僕が19歳頃、セブンイレブンで深夜のバイトをしていたのですが、その時の常連客でした。同じくらいの歳で、いつも話をして真夜中過ごしていました。僕はまだ金髪長髪でしたからね~そして、その彼のお姉さんの子供が誕生する時に、「さくまくんに歌を作ってほしいんだ」って話しをいただきました。言ってみれば、はじめて誰かの為に作った歌です。その歌は「たとえばこの人生が」という歌で、ファンクラブの限定CDに入っています。今は福祉のお仕事をやっているそうでした。(楽屋で曲作りです)さて、青空の中でイベントもはじまり、いよいよ僕の時間です。ヒロがボーカルのバンドの後に僕の出演です。この流れもすっごく懐かしい感じでした。17歳の頃に吹上のEVEというスタジオでライブをやっていましたが、その頃は彼はエリーゼ、僕はストリングスってバンドをやっていました。22年経ってもお互い歌っているとは、その時は想像もしなかったですよね。「枯れない花」ではじまったライブ、沢山の方が見てくださいました。そして、さっき楽屋に訪ねて来た彼も、施設の利用者のおじいちゃん、おばあちゃんを車いすで連れて見に来てくれたのです。会場には親戚の方もいたりして、やっぱり加須!って感じでした。最後は「隣の芝生は青く見えなかった」を熱唱しました。2回目のステージと時は従兄弟も来てくれました。そしてスペシャルゲストとして小野滋久がベースで参加。カラオケを使わないで2人だけの音でライブをやりました。なんだかストローの頃を思い出すようでした。選曲も「I Believe」や「遠い記憶」も歌いました。最後はアンコールもいただいて、初めて夕焼けの中で「オレンジの想い出」を歌う事ができました。加須市の観光大使になって初の加須でのライブ。空のどこかで聞いている父に報告をしたような一日になりました。きっとこう言っているでしょう「お前に観光大使なんかできるんかい?」ってね!オレンジの夕焼けはもしかしたら父が「がんばれよ」という気持ちを伝えてくれたように想いました。これからも父のふるさと加須を全国に広めるようにがんばって行きます!!(リハーサルの写真)...

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