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2003年

柏 新星堂  チャーリー

連日のレコ初キャンペーンの最終日の今日はストロー縁の場所、千葉県拍市の新星堂でのインストアーライブです。ストローの名曲「遠い記憶」を語るにはなくてはならないこの場所で新曲はどんな反応をみせてくれるのでしょうか。スタジオに集まっていつもなら機材の積み込みをするのですが連日ライブなので機材は車の中に積んだままだったのでゆとりをもって出発できました。しかし、日曜日という事もあってか道は混んでいて(っていうか高速柏出口から市街地までの16号はいつも混んでる!)現場到着は予定時刻ぎりぎりでした。今回の演奏場所は商店街の通路、新星堂出入口がステージ。人の行き交う中でのセッティングが大変でした。準備を進めていると通行する人達が「だれだれ?!へー、ストローだって。」と言葉を残して通り過ぎて行く。宣伝効果はばっちりだ、とさくま氏はいった。午後4時いよいよ演奏開始。ちょうど商店街を通る人達に向かって歌いかけるようなステージング。見る人はちょうど反対側の壁に沿って見るといった感じでした。はじめは通行人の量が多くて客足も滞っていました。「さよならも言えなくて」を演奏しはじめたら通行中の人達が足を止め始めた。この人達を逃すまいと考えたさくま氏はこの後演奏するはずだったグーチョキぱーを急遽変更してメインの曲「Changemyheart」を演奏してライブを締めくくった。その効果あってか立ち止まった人達はほとんど離れることなく最後まで見ていてくれて、演奏後の即売会もけっこうな賑わいをみせました。満足!最終日もなかなか好調な売れ行きで今回の連日キャンペーンはひと区切りつきました。天気が悪かったのにもかかわらず、連日にもかかわらず応援にきてくれたファンの方々に心から感謝いたします。最後に本日の格言・・・ストローの演奏を聴いて立ち止まった人の耳は「ホンモノ」だ。                    バイ さくまひでき...

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熊谷ニットーモール CD発売イベント 小野

さあいよいよ始まりました。「新曲キャンペーン」。今日から「CHANGEMYHEART」発売開始です。このキャンペーンで7月、8月はストロー大忙しです。今回の会場は、僕「小野」の地元熊谷、「ニットーモール」です。この春から、リニューアルオープンしてとても綺麗になった会場です。そこで新曲の「CHANGEMYHEART」発表なので気分もよかったです。しかし、なんせ初日なのでお客さんが来てくれるかどうかが心配な気持ちでニットーモールに入りました。梅雨の中に天気も良く、でもかなり蒸しあつく機材の搬入、ライブのセッティッングでは、汗がたくさん出ました。自分でも感心するほど出ました。そんなことはさて置き、テキパキセッティッング。急いでいるはずなのに、本番ギリギリまで、かかってしまいました。なんと本番10分前そこから衣装へ着替えなどで、ほんとにあせりました。でも無事に始まるものです。さて、今日の日記は小野ですが、久しぶりにライブの曲順の発表をします。最近小野は曲順書いて無かったからねー。今日は、特別発表します。1・YUMEしかなかった2・friend 3・夕闇の場面 4・さよならもいえなくて 5・Good!ちょっと!!パラダイス!!!6・CHANGEMYHEART で30分のストローの世界を作りました。見に来たファンのみんなありがとうございました。見に来れないファンのみんなは、軽くイメージで楽しんで下さいね。いつものように、ライブが終わると、即売会&握手会でCD買ってくれたお客さんと一言二言ほんの少しですがふれあいました。お客さんが来てくれるか心配でしたが、そんな心配をよそに大好評で安心そしてうれしかったです。まだまだ「新曲キャンペーン」は続きます。チャーリーは倒れ、さくまひできは高熱。体調には気をつけてこの夏を新曲キャンペーンを乗り切りたいと思います。みなさん「CHANGEMYHEART」をよろしくね...

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ChangeMyHeart先行発売記念コンサート志木ベルセゾン  さくま

ついにきました新曲「ChangeMyHeart」の先行発売記念コンサート。志木駅近くのベルセゾンという結婚式場だ。昨日今日と引き続き結婚式場なんて、僕への当てつけだろうか・・・ という元気もないくらい、今日も37度5分さくまだ。でも39度の頃に比べれば、もう大夫楽だった。14時に吹上のスタジオに集合してリハーサル、18時に会場に入った。しかもちょっとおくれて、30分くらいについて、音響も全て僕らで準備、19:45にはオープンしてしまう、 おおあわてでセッテイングして、リハーサル。それでも15分おしてしまって20時にオープン、僕らはすぐに着替えて、本番をまった。今日はサンドウィッチとケーキ、ドリンクが付く、ミニディナーショー形式だった。20:25、ステージへ登場。いっぱいのお客さんにぼくらも「やるぞ!」と引き締まった。1曲目は「ここにいるから」「星空のコンサート」と続いた。チラっとまん前の円卓を見て、ビックリした。なんと東京宝石という宝石屋(僕の胸のクマもここで手にいれた。チャーリーにトルマリンネックレスも)の社長さんがいらしていた。思わず僕は「東京宝石の社長さまです」と紹介してしまった。「今日、見ていただいて、社長さんがおきにめしたら、ストローの歌が、東京宝石のCMソングになります」と冗談まで言ったしまった(8割本気だが・・)3曲目は「face」そして、昔僕が作ったうた「街角ラブソング」をその頃の声で録音したテープを聴かせて、シングルメドレーになった。ストローはじめた頃はシングルメドレーなんてできると思ってなかったが、思えば5作目になるんだなーと実感してしまった。ソロ時代の「愛を感じたい」「MAP」も入れて歌った。歌っているとその頃のライブやその頃の出来事がいっぱい浮かんできた。「愛を感じたい」で全国有線放送を1人でまわった時の北海道の凍え死にそうになった夜、沖縄の夕焼けの船で見た、鯨の背中、いろいろ浮かんだ。「MAP」でステディーという10人近いバンドと一緒に活動していた頃。「Tearsinthesmile」で不安の中、始まったストローというグループ、この曲が最後と思って作った気持ちが甦った。「遠い記憶」は本当にいい歌だとさらに実感。4人だった頃初の全国ツアーをやって、色んな街で、色んな人に愛された歌だったなーと思った。「Dreamer」この曲からメジャーデビューだったな、 本当に歌にはその時代が甦えらせられる力があるなと思った。メドレーも終えて、「なごり雪」そして「さよならも言えなくて」今日はまたなんともいい声で歌えた。「Goodちょっとパラダイス」でみんなで盛り上がった。各テーブルをまわったりして楽しかった。そして最後は明日発売の「ChangeMyHeart」を歌った。本当は3人だけのアコースティックでやろうと思っていたが、先日考えが変わって、せっかく今回のレコーディングは生の楽器にこだわって、ドラム、ピアノ、ストリングスを入れたのだから、それをそのままスピーカーから出せないだろうか?と考えて、手間をかけて、なんとかドラムとピアノとストリングスを出せる用にした。そして最高を音で「ChangeMyHeart」を歌った。大拍手の中ステージが終わった。外にでるとアンコールがわき上がった。最後に「Mysongforeveryone」を歌った。たくさんの花をいただき、無事に終わった。マイナスな考えはきっとマイナスを呼ぶだけ、だったら何処かでプラスに変えていこう、そういう気持ちで作ったうた、「ChangeMyHeart」ぼく自身も自分の歌に救われことが何度もある。きっとこの歌も僕自身の永遠の応援歌になっていくのだろう、そして多くの人が辛いときにいつもの笑顔の帰れる、そんな道しるべにこの歌がなれたらいいな。そう思った1日だった。...

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明治生命イベント 行田アイトピア  さくま

僕が明治生命さんに加入したことや、色々な流れで、つながっていった企画。明治生命の熊谷近辺に営業所の成績のいい人だけが参加できるイベントで、そのゲストでよばれた。・・・なのに、僕は宇都宮の夜からのどが痛く、翌日は39度の熱で起きられなかった。病院に見てもらうと、へんとうせんが化膿して腫れ上がっているらしく、とうぶん熱が下がらないと言われた。そして意地でもこの日までに直そうと3日間寝込んだ、が一向に熱が下がらず、ちょっと下がってもすぐに38度くらいまで上がってしまう。結局、今日本番2時間前まで家で寝ていた。15時に遅れて会場いり、メンバーは11時に入っていたので、すでに準備も進んでいた。音響はワンマンコンサートの舞台監督でもる黒沢さんだ。会場は行田市のアイトピアという結婚式場。16時頃からリハーサルをはじめて、ぼくはヒエピタとマスクをしたままリハーサルをした。熱ももちろん38度ちょっとあった。大丈夫かな?と思いつつも本番の声がかかる、楽屋からステージ袖にいくともう満席の人達。やるしかない、そして「ストローのみなさんです!」と呼ばれて、客席の扉から登場。熱の事はすっかり忘れていた。「IBelieve」を唄って、会場内も盛り上がった。途中お客さん(明治生命のやりて営業ウーマン)をステージにあげて、カラオケで「銀座の恋の物語」等をデュエットしたりもした。最後はもちろん「さよならも言えなくて」で60分のステージを無事終えた。へんとうせんが腫れていたが、歌声にはあまり影響しなかった。逆に高音がでて調子づいて唄ってしまった。そして迎えを呼んで、僕だけすぐに家に帰った。うがいをして布団で横になると急に疲れがでてきた、・・・よく歌えたなー と自分でも不思議な気持ちがした。ステージとはなんと魔法が使える場所なのだろう、と思った。どんなに辛くても、悲しい事があっても、体がだるくても、そこに上がったとたん、まるで別人に様に、「どこにこんな力が残っていたんだろう」と思うほど、がんばれてしまう。明日もあさってもしあさっても、ステージで歌える、この幸せをかみしめて、おやすみなさい。...

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宇都宮BIGAPPLEチャーリー

話は少しズレるのですが今日からストローは今までの機材車に別れを告げて新しい車になりました。それがまた大きいのなんのって・・・。今までの車とサヨナラする気持ちと新しい車に乗れる新鮮さなどが入り混じって複雑な気持ちでした。そしてなによりその大きさに慣れるまで運転が大変だなぁとめまいを感じました。ちなみに今まで世話になった機材車はスタジオ脇に「倉庫」として新しい役目を果たしています。そんなこんなではじまりました本日のライブは宇都宮BIGAPPLEです。ストローはここでライブをする時は何故か他では出ないテンションがあります。そういう意味でBIGAPPLEでのライブは貴重だと自分では感じています。この日の編成は3人。アンプラグドです。朝早めにスタジオに集まって今日のおさらいリハーサルをしました。そして少し早めに出発。現場に行く前に栃木のFM放送局「レディオベリー」にストローをPR、そのあと8月10日にインストアライブが決定している新星堂宇都宮店に挨拶にいきました。現場に到着して例によって急な階段を上って機材搬入。中は8月28日にBIGAPPLEさんの企画する(ストローも参加します)イベントのポスター一色で目を見張るものがありました。してその後リハーサル。差し入れのサンドイッチをありがたく頂きながら本番を待ちました。今日は3バンド中3番目。持ち時間は長いし最後だしBIGAPPLEだし絶対にさくま氏はリハーサルにないことをやらかしてくれるだろうな・・・と思っていたけどやっぱりやってくれました。でもそこがまた楽しいところではありますが。っていっても見ていた皆さんには分かりませんよね。はい。演奏が終わってアンコールが来たのも嬉しかった。しかも二回も!僕と小野君はなにを歌うのだろうかとヒヤヒヤでした。見てくれた皆さんは満足してくれたでしょうか。...

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むさしの村  小野

梅雨の中休みなのか昨日の錦糸町アルカキットは中止になってしまいましたが、今日は真夏を思わせる暑さで楽しかったですけど、その暑さで大変でした。今朝は、軽く遅刻してしまい、メンバーの皆様ごめんなさい・・・。僕が「朝8時集合!」と言ってあったのに僕は何故か「8時30分」と勘違いしていて8時9分頃、8時30分集合場所到着予定で車を走らせていたら携帯電話(スタッフから)が、鳴りました。僕はてっきり電話(スタッフ)が遅刻しそうなので、「ごめんなさい電話」かと思い、勘弁してやろうとしたら、「今、どこに居ますか?」の声、はじめは「何、言ってんの?」と思ったけど、良く考えると、現場に、「8時40分入りなのに、8時30分の集合で、移動時間が10分しか無いじゃん。そんな無理なスケジュール誰が考えたんだ!8時集合に決まってんだろ!」と当然思いました。が、今僕は、8時30分集合場所到着予定で車を走らせています。「あれ!俺は、何をしているんだ?!ひょっとして、俺が遅刻かっ?」軽いパニックにおちいりました。やっぱり僕が遅刻をしていました。8時20分に、到着したら機材車に積み込みはすでに整っていて、重い空気となぜか異状にテンションの高い「さくまひでき」がいました。原因は不明です。そんな僕の軽いドラマがあった朝でした。皆さんはこんな経験はありますか?人事であってほしいものです。さて、話は変わって、むさしの村です。日曜日だし、天気は良いし最高な日です。ステージの準備などは、自分たちで作るのですが、もう3回目。慣れたものでテキパキサクサク出来ました。むさしの村も開村して、ストローも12時30分の本番を待つばかりになりました。その間にメンバーは食事をしたりします。そして本番!今日は爆発するぞと意気込んでステージに立ちました。そしたらステージは木陰で涼しいが、お客さんの場所は日向で、お客さんか余りの暑さで爆発しそうでした。2回目のステージでは、お客さんが、爆発しないように短いステージに構成を変えて、本番に望みました。今度は、爆発しないで、聞いてくれて、安心しました。直射日光はやっぱりつらいですよね。見てくれた人は、ほんとにありがとうございました。今度は、木陰で演奏する予定になりました。なので次回も来て下さいね。次回は8月の14日と15日の二日間やります。次回もお楽しみに! ...

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大林恭子さん祝賀パーティー   さくま

今日は大林監督の映画のプロデューサーであり奥様の大林恭子さんの藤本賞受賞の祝賀パーティーだ。パーティーは夜で、お昼に一つ予定があった。それは 僕の家の近くの老人ホーム(ストローも演奏した事がある)に元エックスジャパンのボーカル Toshiさんが来るのだ。そこの職員はストローのワンマンのビデオカメラマンをやってくれている友人で、キーボードがないので貸してと言われていた。そこで僕のキーボードを持っていったのだ。もちろん演奏も聴こうと思っていった。マネージャーさんを紹介してもらって、次に楽屋へ案内されて、トシさんを紹介してもらった。 髪も黒く、すごくいい人で「どうもありがとう」と言って握手してくれた。2時に演奏が始まった。チャーリーも駆けつけて2人で後ろの方で見ていた。曲もバラードで詩も心がいやされる感じで良かった。声ももちろん昔のトシのままで張りがあって、ますますいい声になっていると思った。数曲終わって、エックスの頃の話しもしてくれた。『昔は自分の存在が小さくて、馬鹿にされるんじゃないかと思って、いつも強くなりたいと思っていた。そしてバンドをやって、上を目指した。上がいいもの下が悪いものと、そう思っていたから。そして日本1くらいまで行った。でもそこにはなにもなかった。結局不安なままの自分だった。そして世界を目指したけど、やっぱりそこにはなにもなかった。上にいけば何かある そう信じて来たけど 結局なにもなかったんだと思って、僕はきっぱりドロドロした芸能界をやめました。そして、元々歌いたかった歌を、聞いてくれる人の前で歌う事にしました。今までは上手に歌わないと嫌われるとか、うまくステージをやらないと馬鹿にされるという怖さがあった必死だったけど。そうじゃないんだ、歌えるって幸せなんだ、こんな場所でもあんな場所でも歌える、歌ってなにかをもらうんじゃなくて、ただ歌いたいから歌う。そして聞いてくれる人がいる。この事を大事にしていこうと思ったら、すっごく歌が楽しくなって、楽になりました。』この話しを聞いていて、本物だと思った。芸術だと思った。商品としての音楽でなく 本当の音楽の意味を気づかされた。あっという間に1時間が過ぎた。終わった後も、トシさんは自ら老人の間に入って、写真を撮った。一人一人にあいさつしてまわっていた。その姿に胸を打たれた。僕はCDを買って、そこにサインをしてもらった。握手もしてもらうと、僕の方を見て「今日はありがとう」と言って笑ってくれた。僕はすっごく嬉しくなった。その姿をビデオを撮ってくれている、ここの職員の友人が見て 「いつもはサインしてるさくまが今日はしてもらって、なんか変な感じだね」と言って笑った。トシさんに別れを告げて、僕は恵比寿に向かった。大林恭子プロデューサーの藤本賞受賞祝賀パーティーだ。6時半に恵比寿ガーデンプレイスでメンバーと待ち合わせた。みんなスーツにネクタイできまっていた。7時 日仏会館1階の会場に入った。中に入ると、100人から200人くらいの人がいた、その中には俳優さんや女優さんも沢山いた。峰岸徹さん岸辺一徳さん小林念侍さん等すごい顔ぶれだった。メンバーもみんなあがってしまった。監督に挨拶して 恭子さんに「おめでとうございます」と言って花束を渡したら、すごく喜んでくれた。立食のパーティーだった。ざわついた緊張の中ぼーっと立っていたら、小野がとなりで「ちょっと見て!」と僕に耳打ちした、振り返るとそこに かぐや姫のそして「なごり雪」の作者 伊勢正三さんがいた。僕は夢のようだった。 あこがれたいたアーティストに生で会えた、でもあまりの緊張で話しは出来なかった、すると小野が「なんか突破口見つけて声かけちゃえ」と言ってきた。今だ!僕は「どうもストローです」と言って声をかけて、メンバーもすぐに便乗した。伊勢さんも快く会話をしてくれた、「僕は風(伊勢さんのやっていたグループ)もかぐや姫も好きで、色々歌ってます」と言うと「そうなんだー いっぱいいい曲作るといいよ、メロディーと言葉、これが勝負だから」そう言ってくれた。そしてストローのCDをプレゼントした。 中野サンプラザでお世話になった根田さんもいらして、一緒に歌った女優の勝野雅奈恵さんもいて話しをした、もちろんおとうさんの勝野洋さんもいた。ステージでは関係者の挨拶があって、それが終わると、監督さんが僕を見て「そうそうやろうか」と言った。そして監督さんがステージに出て「はい!本番!」と大声を出した。場内は静かになった。映画撮影の時の本物の声を聞いたのだ。そして「新しい仲間を紹介します。ストローというグループで・・・」と紹介してくれた。僕らは楽器を持って、緊張していた。監督は「では 今日はなごり雪を歌ってもらいましょう、・・・そうそして今日は正(ショウ)やんもいるので、ストローと一緒に歌ってもらいましょう」と言った。僕らはもうステージにいることを忘れるくらい喜んでしまった。そして会場の関係者の人もみんな 「これはすごい」と言わんばかりに注目していた。そして伊勢さんは僕の隣に来て、僕はイントロを弾いた。「汽車をまつ君の横で僕は~」とすぐ横で 本物の伊勢さんが歌っている。そしてサビから 僕はハーモニーを入れた、すると伊勢さんは僕と目を合わせて、歌ってくれた。2番からは僕が主旋律をとった。なんの打ち合わせもないのに、こうしてどこを誰が歌うとか きまっていく、まさに音楽は強烈な共通語だと思った。最後は伊勢さんとストローのハーモニーで終わった。大拍手だった。そして監督が「もう1曲やってみよう」と言って、「泣く前」という曲。、これは映画「なごり雪」の制作中に出来た曲で詩が監督さんで曲が伊勢さんだ。これは監督さんも歌で参加した。最高の時間だった。その後も俳優さんの挨拶があったり、監督の挨拶もあって、楽しかった。そして最後の大林恭子さんの挨拶の時に チャーリーがなんと倒れてしまった。場内は慌ただしくなった、チャーリーも意識がなく、すぐに救急車を呼んだ。その間勝野洋さんがずっと「チャーリー大丈夫?!」と声かけてくれていて、感謝です。救急車が到着して、僕は小野に「あとは任せた」と言って一緒に乗っていった。レントゲンや脳、心電図も取って、調べたら、以上はなかった。そして点滴をやって帰って大丈夫ですと言われて、一安心だった。すぐに監督さんの関係者に電話して「無事なので大丈夫です」と言ったら、「よかったー」と言って安心してくれた、そして続けて「今日は緊張したんじゃない?伊勢さんとも一緒に歌えてねー」と言った。小野が到着したのは深夜の12時頃だった。点滴をうつチャーリーはもう意識もあった「大丈夫?」と聞くと「すいません」といった。そして「ギターは?」と聞くので「持ってくたよ」と言った。よっぽどギターが好きなんでしょう。夜中2時近くまで点滴をして、車にのせて帰った。とりあえず無事で良かった。なにしろ緊張した1日でした。今日感動したのは最後の監督さんの挨拶だった。以前パリに行った時、恭子さんが街を見たいと言って、監督さんと出かけたそうです。ブティックでもいくのかと思ったら、市場に寄って、イチゴを見ているたそうです。向こうのイチゴは山積みで売っているらしく、それをかごにのせていくそうです。そして恭子さんは「このいちごは大きいからこれと、これはまだ青いからここに置いておいてあげよう、これはもう悪くなりそうだから早く食べてあげないとだから買っていこう・・・」こうして1つ1つを選んでいて、結局ブティックも行けずに1日市場にいたそうです。でもその恭子さんの姿を見て、「僕の映画を一緒に作っていけるのは、こいつしかいない」と思ったそうです。 この話しを聞いて涙ぐんでいる恭子さんを見て、僕も泣きそうになりました。一人の人を最高のパートナーとして信じていく、それに気がつくのは本当にささいな事なのだなと思った。でもささいな事だけど、きっとその瞬間は嘘や偽り、飾りはないんだと思う、素の姿にそう真実が生まれるんだと思った。翌日 監督さんの事務所に電話をした。はじめは事務所の人が出て「昨日は大丈夫だった?」と、まず心配してくれた。そして「ちょっと待ってね」と言って「きのうはありがとう」と恭子さんが出た、僕は「最後のお話中にメンバーがすいませんでした」と言うと「いいのよ なんでもなかったならそれが一番だから」と言ってくれた。そして電話を切ろうとしたら「ちょっと待ってね」と言った。すると「きのうはあつかれさま、ありがとう、大丈夫だった?」  そうです 監督さんが自ら電話で話してくれたのです。そして「ご心配かけました、大丈夫でしたので」というと「良かったー」と心から言ってくれた。そして僕は続けて「昨日はストローの事を、新しい仲間と紹介してくれた事が、すごく嬉しかったです」と言った。監督さんも「うん うん そうだね こうれからも一緒にがんばっていこうね また会えるといいね」と優しい声で言ってくれて、そして電話を切った。パーティーに集まった人は、みんな家族みたいで、大林宣彦監督の偉大さを改めて知った。そして、その仲間として紹介された事、胸にしっかりとしまって、これからもがんばっていこうと思った1日でした。...

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北の国から    さくま

いよいよ札幌最終日、今日はとくに予定もなく帰るだけだ。でも飛行機は夜7時なので時間はあった。チャーリーが富良野に行きたいと言い出した。そうだ「北の国から」の故郷を見たいというのだ、僕は富良野にはゆうせん放送キャンペーンで行った事はあるが、さすがに佐川急便なみに移動していたから観光はしていないので、行きたいと思った。朝食もとらずに、9時にホテルを出発。レンタカーで富良野に向かった。と行ってもかなりの距離、到着したのは12時をすぎていた。ラベンダー畑を見て(まだそんなに咲いてない)富良野駅を見た。小野とチャーリーが「ここなの?なんか雰囲気違う」と言った。確かにドラマで出てくる駅はこんな近代的ではなかった。そして麓郷(ロクゴウ)へ向かった。そこがロケ地だ。途中 布部という駅がある「この布部って聞いたことない?」という事で駅へ行ったみた。小さな道の角を曲がって駅が見えた。みんな「これだ!!」と歓声をあげた。ドラマで出てくる駅がまさにここにあった!僕らは感動して、駅へ入った。無人駅でホームまで行ける。そして感動を抱いたまま、次はゴミで作ったゆきこおばさんの家に行った。山道を走っていくと、見えてきた。だいぶ観光化されていて、人もたくさんだった。中に入ると、昔の五郎さんの家や中ちゃんに材木屋、大介が携帯を投げ捨てられた場所とか色々あった。3人はずっと興奮したままだった。そして、車にのって、さらに奥に行くと、メインイベント「五郎の石の家」がある。車をおいて、ちょっと歩くと 草原の中に建っていた。近くまでは行けないようになっているが、逆にそれが神秘的でドラマを立体で見ているような気がして、今にも五郎が出てきそうだった。 チャーリーに「向こうから歩いてくるシーンあるよねー」と僕が指さすと、他の観光のカップルも数組みんな指さしていた(笑)きっと同じ話しをしているんだろう。「カップルかいいなー」と僕とチャーリーは話して、まだ見たいロケ地はいっぱいあったが、時間がなくなったので、今度は各自カップルで来る事にして(笑)午後3時 麓郷を後にして、空港へ向かった。帰りの飛行機は爆睡してしまって、あっという間に羽田に着いた。高速バスで大宮まで帰った。 バレーにストリートライブに北の国から。楽しい3日間だった。今回の旅で思った事、昨日も言ったが、どれをとっても人を感動させるものバレーも僕らの音楽も 北の国からのドラマも すべてが、その一つの事に対して、1つたりとも手抜きをしていない事、それが本物であり、結果人の心を動かす事になる、そう実感した旅でした。...

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札幌ストリート  さくま

朝8時頃起きた。小野とチャーリーは一緒の部屋で、僕だけシングルだから、二人の部屋に集合して、朝食を食べに2階のバイキングへ行った。やはり小野はご飯は食べない、パンメインだ。チャーリーはヨーグルトをいっぱい食べる、僕は鮭とご飯とみそ汁と漬け物。なんか三人バラバラだ。食事を終えて部屋で仕事をした。お昼過ぎにチャーリーがレンタカーを借りに行って、それに楽器を積んで出発。まずはFMノースウェーブに挨拶に行った。次にいつも顔を出すCD店 パルス21の玉光堂に行って担当の人と挨拶した。ここの人は必ずライブに来てくれるのだ、たいてい「いきます」と言ってこないパターンが多いが、ここの担当の人は2000年のツアーの時から札幌でやると毎回来てくれるのだ。もちろんストローのCDも置いてある。次にテレビ塔の事務所に挨拶。ここは大通り公園という札幌の名所(雪祭りがあるところ)で夏は夏祭りでにぎわう、しかも2000年のツアーの時このステージで出演させてもらった事もあるので、再び訪れた。 そして夜のストリートまで時間があまったので、僕はレンタカー屋にもらった、観光マップを見た。すると石狩平野を見渡せる、藻岩山というのがあることに気づいた。すぐに向かった。車を置いて、ロープウェイとリフトで登っていくと 頂上は寒かった、でもすっごく景色がよく、札幌市内はもちろん、遙か彼方の街まで見えた。そこに土産屋とレストランがあった、帰ろうと思ったらそこの人が「これから夜景が綺麗になるんだよ」と言ったので、レストランで休憩した。そこでチャーリーは念願だったジンギスカンを食べた。僕と小野はもちろん、もらって食べた。さすが札幌のジンギスカンはおいしかった。みるみるうちに暗くなって、札幌の街に灯がともりはじめた。そのレストランも気を使って、証明を暗くしてくれる。北の大地! という感じですっごく綺麗な夜景に変わっていった。そして下山して。車に乗って、市内に向かった。そしていつもの狸小路商店街についた。すると2001年のツアーで知り合った男の人が待っていてくれた「久しぶり!」と挨拶した。彼は「あっちの方があいてますよ」と案内してくれた、歌う場所が決まった。その場所に行く途中なんと、熊川哲也さんのバレーの先生(女性)にお会いした。なんと僕らを待っていてくれたのだ。楽器を広げて歌い始めると、みるみる人が集まってきた。先生もじっくり聞いていてくれた。途中「なごり雪」を入れたりして、時間は過ぎていった。 後半一人の女性が僕らの曲で踊りはじめた。スタイルも良く踊りもカッコイイ人だ。そして先生と話しをしている、どうやら知り合いらしい。そして岡山のファンクラブの会員の人も来てくれた。 最後の曲はもちろん「さよならも言えなくて」札幌で初披露。しかも狸小路商店街の雰囲気をストローの色で塗り替えているような気さえした、それくらい気分良く歌えた。最後にCD販売をして、秋田から社員研修で来ていた女の子グループがみんなで買ってくれた。先生も「さいごの曲いいですねー、今度、哲也にも聞かせます」と言って喜んでくれた。そしてさっき踊っていた人も紹介してもらった。聞いてびっくり、なんと黒柳徹子さんの妹さんだったのだ。そして黒柳さんの案内で「ラーメンでも食べる?」って事になって、ラーメンやに行って色々話しをしてくれた。大道芸は基本だという話しに僕も共感した。そして 次に黒柳さんの知り合いの外国人がやっているお店に行った。そこでワインをのんだ。熊川さんの先生も色々話してくれた。哲也さんの子供の頃の話しはすごかった、やはり世界1になる人は努力が違いと思った。僕らもがんばらなくてわ!と心から思った。時計はもう夜一二時半をまわっていた。お店を出て、みんなと別れた。「今度はいつ来るの?また会おうね」の黒柳さんの言葉。「本当にがんばって、応援してます」と何度も頭を下げて、握手してくれた先生の言葉。僕は来て良かった。そう思った。そして アーティストという物、本物という意味を心に深く刻み込む事が出来た。僕はホテルに帰る車の中でふと思い出した一言があった。先生が言った「哲也は本気で舞台をやっている、本物だからこそ、人が目を向けてくれる、 今日ストローが歌ってる時に私に声かけてきた人がいてね、『ほかの人とは全然違いますね、つい立ち止まってしまいました』と言っていた、これは、あなた達が本気でやっているからなのよ、そう意味ではストローも本物なんだから、がんばって」ストローが世界一にいや日本一でもいい、そうなれる日はいつなのか、もしかしたらそんな日はこないのかもしれない。でも一つだけ心に決めた事がある。それはいつまでも、本物でいる事だ。 ...

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札幌出発 熊川哲也さんのバレー  さくま

今回札幌に行く目的は2つです。新曲「ChangeMyHeart」のキャンペーンでストリートライブをやる事そしてもう一つは熊川哲也さんのバレーをみる事です。同じステージで感動を与える職業として、勉強になるからです。朝9時だいの全日空の飛行機で羽田を出発、チャーリーはやっぱり離陸の時は寝ていました。あの瞬間がどうしても嫌いみたいです。11時新千歳空港到着、高速バスで札幌に向かった。すぐにホテルに入って、一休みして僕の好きなラーメン「味の時計台」に行った。札幌に行くとチェーン店でいっぱいあって、そこのホタテバターラーメンを食べた。おいしかったー やっと札幌に来たって感じになった。色んな人にサインがあって、グレイのサインもあった、「ストローのサインはいらないのかな?」なんて冗談を言って(いつか冗談でなくしたいけど)、お店を出た。ホテルに戻って、ちょっとパソコンで仕事をして、夕方北海道厚生年金会館へ向かった。会場にはもうたくさんのファンが来ていた、さすが地元だなーって感じだった。中に入ってコーヒーを飲んでいたら、岡山の人で熊川さんファンでそしてストローのファンクラブの会員にもなっている人が来て、「久しぶりです」って挨拶した。いよいよ本番、かの有名な「白鳥の湖」だ。 バレーは台詞はなく、音楽はオーケストラが生で演奏する。いわゆる、オーケストラの演奏とバレーの踊りだけど ストーリーを伝えるからすごいと思う。1幕が終わった、ロビーで休憩していたら、熊川さんのお父さんがいて、以前に紹介されていたので「ご無沙汰してます」と挨拶した。お父さんも笑顔で応えてくれた。2幕が始まった。 後半のクライマックスはすごかった、会場内われんばかりの拍手だった。 カーテンコールではみんな総立ちだった。僕らも立って拍手した。そしてホテルに帰って、その日はすぐに寝てしまった。いつもステージをみて思うことがある、どんな小さなステージを見ても思う事(日光江戸村の舞台のような短時間なものでも)だが、会場に入る前までは、普通だった物が、会場を出る時にはなにか違う自分がいる、そんな気がする。たかが30分でも2時間でも、その空間にいたそれだけで、さっきまでの自分とは違う。外見が変わる訳ではない、なにかを手にした訳でもない、なのにさっき会場の外にいた時の自分と今会場の外にいる自分は明らかに違う、きっとそれは心が変わったんだと思う。そしてやる気と勇気と感動が明日へにエネルギーになる。すばらしいと思う。そして僕も同じ仕事をしてるんだと思うと、すっごく幸せな気分になる。今日思った事は ストローのステージも見てくれた人全員が来た時の自分と帰る時の自分が一回りも二回りも変われるような、感動を与えられるステージをやれるように、がんばっていこうという事だ。 では今夜は白鳥の湖の夢をみながら寝よう。おやすみなさい...

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