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吹上北中学校(母校) ふれあい講演会

夢にまでみた、母校での公演! というより 講演でした。
9月頃に校長先生から電話をいただき、「ずっと声をかけようと思っていたのですが・・」という言葉に「僕もずっと出演したいと思っていました」と返した。
お互い思っていても行動を起こさないと実現しないものですが、今回は校長先生の方から声をかけていただき本当に光栄でした。
僕が吹上北中学校を卒業したのは1986年でした。僕の兄の世代(2つ上)までは吹上には1つしか中学校がなくて、兄が1年の時に、北中が出来て、半分にわかれました。僕は純粋に北中から入学した2期生、トータルで、5期生の卒業生になるわけですか? あまりに昔でちょっと曖昧ですが、でもこの学校で、学び、音楽の夢を抱き、初めての恋をして、初めての失恋を味わい、夏の水泳部に燃えて、友達と笑い、ステージに初めて立った、本当に原点です。

朝、学校に着くと、音響の黒澤さんがすでに準備を終わらせていてくれた、生徒さんもお手伝いしていただいたようで、ありがとうございました。
いざステージを見ると、「広い!」こんなに広かったかな?と思うほど、体育館は広く感じました。
ギターを出してリハーサルをした。いくつもの想い出がよみがえってきました。
ちょっと時間があいたので、今はなくなった、水泳部の活動場所、プールの方に歩いてみた。あの頃と全然変わらない建物に雑草がからまりついていて、なんだかなつかしような寂しいような気持ちになりました。

12時過ぎに校長室で給食をいただきました。僕が在学中の給食とちょっと違っていましたが、味はあの頃の味でした。
牛乳の変わらない、大沢牛乳でした。(仙道も大沢牛乳です)
肝心は先生は、というと、授業は教わった事はないのですが、僕がいた頃の先生は2人いらっしゃった。しかも今回の講演会を担当している先生は僕が3年の時に新しく入ってきた先生で、今ではあの頃とは違う、教師の風格を持っていました。

13時30分いよいよ講演がはじまります。
僕はずっと校長先生とお話をしていて、時間になると「では行きましょうか」と校長先生自ら僕を案内して体育館に連れて行ってくれた。
館内に入ると、生徒さんがみんな振り返った。
「同じ制服」それだけで、親近感がわきました。
僕が着ていたのと変わらない、袖に緑のラインの入った学欄でした。

校長先生の紹介の後に僕は話しをはじめた。
「最初に1曲聞いていただいてから、お話をしていきます」
そういうと、生徒さん達も歓声をあげてくれた。
「さよならも言えなくて」を歌い出したが、途中でのどが詰まってしまって、「ごめん!もう一回やりなおすね!」と言って会場の緊張もほぐれて笑顔になった。

歌っている時もサビの部分に3年生の女子生徒さんがストローをペンライトみたいに降ってくれて、すっごく嬉しかった。

話しに内容は主に僕の夢へのヒストリーでした。
出だしは、「この体育館のステージで僕は初めて歌いました」そして、教室にギターがあって、担任の先生がギターが好きな先生で、そのギターで作ってきた歌をクラスメイトに披露していました。という所から始まっていく。
すべてを日記で書くのは無理なので、機会があればファンクラブの新聞にでも掲載しようと思います。

沢山の話しにみんな笑い、そしてうなずいてくれた。
年は大夫違うがまさに、後輩に話しをしているような気がした。

最後の質疑応答でも楽しい質問がきた。
「今日のファッションのポイントはどこですか?」
これには僕もうけてしまいました。
特にキメて行ったわけではないので、答えに困ってしまったが、「一応ベルトもお洒落なのしてるんですよ」と言って見せてあげた。
それと「辛い時と嬉しい時はどんな事がありますか?」という質問には、辛い時は歌を創る時、嬉しい時はそれを聞いて、感動してくれた人を見た時、と答えた。

大きな拍手に見送られて、校長先生と体育館を後にした。
校長先生も「いやー!いいお話でした!、説得力があります」と言ってくれて、本当に良かったと思いました。
新聞の取材に方にもお褒めの言葉をいただき、嬉しかったです。
終わった後も校長室に生徒さんが沢山やってきて、みんなと握手しました。
その中の一人がBBSにカキコしてくれましたね!ちゃんと覚えてますよ!ありがとう!

校長先生としばらく校長室でお話をした後で、「では、懐かしい学校を見てまわりますか?」と校舎を案内してくれました。
各階で色が変わる階段もあの頃より、古くなって歴史を感じました。もちろん僕が入った時は出来たばかりの学校でしたからね。
図書館を見て、思わず「初めてきました!」と言ってしまった。
いかに、在学中、図書室に縁がなかったかがわかってしまいますね。
教室の方へいくと、なにやら歌声が聞こえてきました。
そうです、明日は合唱コンクールがあるようで、全クラスが各教室で練習していたのです。
校長先生と一緒に、廊下を歩いて、各クラスの練習風景を見させていただきました。
休憩中のクラスでは、みんなが僕に挨拶をしてくれた。
中には追いかけてきて、握手を求めてくれる嬉しい生徒さんも沢山いました。
歌の練習を見て、校長先生に僕は思わず言いました。
「変わらないですよ僕の頃もみんな大声で歌っていました。!北中はみんなまじめで、歌も一生懸命歌って、本当にいい生徒さんばかりですよ、安心しました」
そう言うと校長先生も幸せそうな笑顔になった。

沢山嬉しい事があった一日ですが、涙が出そうになった事が一つありました。
それは。
講演が終わって、校長室に帰ってきて、「さくまさんが、教室にあったギターを弾いたと言ってましたが、なに先生だったのですか?」と聞かれて、僕は忘れもしない、2年の時の担任に名前を言いました。(アルバム、スカイラインの「教室のナポレオン」の元になった先生)
すると校長先生が色々面倒をみた方で、「では彼に電話してみようか?」と言って電話をしてくれた。
「○○先生かな? 今ねー、あなたのギターを弾いて夢に進んで行った、さくまひできさんが講演をしてくれて、大盛況でしたよ!」
と言ってくれた。
もう10年以上会っていなかったが、僕の青春の記憶には必ずこの情熱的だった先生がいる。
「変わりますね」と言って僕に変わってくれた。
懐かしい声が受話器から聞こえてくる、あの頃となにも変わらない優しい声でした。
「お世話になりました、さくまです!覚えてますか?」と言うと、「あたりまえじゃないか! やったな!故郷に錦を飾ったじゃないか!」とすごく喜んでくれた。
取材もあったので、長くは話が出来なかったが、一瞬であの14歳の心が戻ってきた。
いつも夢の話しをすると、その先生は「さくまはシンガーソングライターになりたいんだよな」と僕の名前を出してくる、そして、その道に進む事を応援してくれた先生だった。
「がんばれよ」の声に「はい!」とまるで中学生のようにはっきりと応えて電話を切った。

帰りは職員の出入り口から出て、わざと遠回りで、グランドの脇を通って帰った。
部活動がはじまっていて、ボールを追いかけて走る姿、「あの頃と同じ景色だ」
そう思った。
「さようなら!」みんなが声をかけてくれた。

学校を出る時、一度振り返っると、
そこには放課後の穏やかな風の中、
制服を着て大きな夢に向かって輝いている、
僕がいるような気がした。


 

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