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吹上祭り  さくまひでき

やっときました!念願の故郷吹上でのステージ!!
吹上祭りは毎年、夏休みが始まった、その日から2日間あって、子供の頃から、この祭りがくると、夏休みの始まりだー って感じで、毎年のように想いでがあります。
その祭りで歌えるなんて、幸せです。
夕方5時に歩行者天国になってしまうので、4時に会場に行った。吹上神社の横に大きなステージが出来るのだ。
そして楽器をおろして、お祭りの方々も運ぶのを手伝ってくれた。
そして、車を5時前に移動した、もちろん実家において、自転車でまた吹上神社に向かった。ライブに自転車移動なんて初めてだった。
リハーサルをして、裏の集会所で休んだ。お祭りとあって、気合いの入った人が、沢山いて僕らも楽しかった。そして、今回このお話を持ってきてくださった、根岸さんという方が、向こうから、挨拶しにきてくれた。この方は30年以上このお祭りを仕切っている方だ。本当は僕らから行かなくてはいけないのに、すいませんと言うと。「いいえ、こうやって、奉仕の心でお祭りを盛り上げてくださるという事は、本当に感謝します。」といった。そして続けて「そのような心の集まりがお祭りにつながるのです」と言った。本当にそうだと思った。お祭りは一つのものに向かう、心×人数なのかもしれない。
日も暮れてきて、6時半から地元吹上中学の生徒のソーランがあった。活気があった、すごかった。そしてその後に、ストローの出番だった。「吹上のみなさんこんにちわ、僕らは埼玉県出身、しかも吹上出身です。ドイトの前のフライ屋、仙道のせがれです!最後までよろしく!」と、気合いを入れて「IBelieve」で始まった。メンバーも勢い付いて、すでに舞台から飛び降りて、観客の中をねり歩いていた。すっごく気分がよかった。
そして、「世界に一つだけの花」をやって、「川の流れのように」もうすっかりお祭りにとけ込んだ名曲だと思った。
浴衣の娘もところどころにいて、ねじりはちまきの若者もいっぱい、しかも家の両親まできていた。
そして、「さよならも言えなくて」を歌う頃には、かなりの人数になっていた。
昔は吹上北中に通っていた、小学校は下忍小、幼稚園は大日幼稚園です、。昔、朝日新聞でバイトしてた事もあります。とい昔話しをして、「Goodちょっとパラダイス」もうステージからみんな降りて演奏していた。最高に盛り上がった。
最後は新曲「ChangeMyHeart」で締めくくった。
終わったあとはすぐに舞台を片づけるのだが、CD即売のサインに追われて、嬉しい悲鳴だった。久しぶりのサイン会の盛り上がりだった。さすが吹上!と僕は思った。
一段落して、みんなで射的やろう!という事で、祭りの通りを歩いて行った。
そして、僕が射的をやっていると、小野が「さくまのその真剣な眼差しは、ギター弾いてる時だけかた思ったら、射的の時も、同じ目なんだー」と言って、笑った。
でも僕はチョコボールを3つ取った。その後チャーリーもやって、チャーリーも2つとった、みんなで祭りを満喫した。
今日はなんだか良く眠れそうだ。生まれて30年、ずっとこの町にいて、変わっていく姿も、変わらない姿も、全部見てきた。
そして、今日は同じお祭りに久しぶりに行って、あの頃、家族で歩いた祭り、自分の身長が低く、ちょっと怖く感じたこのお祭りを味わって、「自分の心は変わっていない」と初めて知った。小学生の頃手を引かれて、歩いたお祭りも、中学の頃、友達と悪ふざけして、騒いだお祭りも、20歳すぎて、歩いたお祭りも、そして、ステージに出演するくらいになって、やってきたお祭りも、みんな吹上祭りなんだ、そして、僕が生まれ育ったこの街はちょっとずつ変わっても、僕の心はなにも変わっていない、昔のままなんだと思った。きっと、それが夢を追いかける、原点にあるから、いつでも根っこをはってがんばれるんだと思う。
メンバーで騒いでやって、射的の時に言った、小野の一言「ギター弾くときと同じ目・・」きっと、ステージにいる時が、心は夢を追いかけ始めた少年のままだと思う。そして、射的の銃をかまえた僕は、10年前、いや20年前に、父と母に連れられて射的を構えた、あの日と同じ目だったのかもしれない・・・・。



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