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大林恭子さん祝賀パーティー   さくま

今日は大林監督の映画のプロデューサーであり奥様の大林恭子さんの藤本賞受賞の祝賀パーティーだ。
パーティーは夜で、お昼に一つ予定があった。
それは 僕の家の近くの老人ホーム(ストローも演奏した事がある)に元エックスジャパンのボーカル Toshiさんが来るのだ。そこの職員はストローのワンマンのビデオカメラマンをやってくれている友人で、キーボードがないので貸してと言われていた。
そこで僕のキーボードを持っていったのだ。もちろん演奏も聴こうと思っていった。
マネージャーさんを紹介してもらって、次に楽屋へ案内されて、トシさんを紹介してもらった。 髪も黒く、すごくいい人で「どうもありがとう」と言って握手してくれた。
2時に演奏が始まった。チャーリーも駆けつけて2人で後ろの方で見ていた。
曲もバラードで詩も心がいやされる感じで良かった。声ももちろん昔のトシのままで張りがあって、ますますいい声になっていると思った。
数曲終わって、エックスの頃の話しもしてくれた。『昔は自分の存在が小さくて、馬鹿にされるんじゃないかと思って、いつも強くなりたいと思っていた。そしてバンドをやって、上を目指した。上がいいもの下が悪いものと、そう思っていたから。そして日本1くらいまで行った。でもそこにはなにもなかった。結局不安なままの自分だった。そして世界を目指したけど、やっぱりそこにはなにもなかった。上にいけば何かある そう信じて来たけど 結局なにもなかったんだと思って、僕はきっぱりドロドロした芸能界をやめました。そして、元々歌いたかった歌を、聞いてくれる人の前で歌う事にしました。
今までは上手に歌わないと嫌われるとか、うまくステージをやらないと馬鹿にされるという怖さがあった必死だったけど。
そうじゃないんだ、歌えるって幸せなんだ、こんな場所でもあんな場所でも歌える、歌ってなにかをもらうんじゃなくて、ただ歌いたいから歌う。そして聞いてくれる人がいる。この事を大事にしていこうと思ったら、すっごく歌が楽しくなって、楽になりました。』
この話しを聞いていて、本物だと思った。芸術だと思った。商品としての音楽でなく 本当の音楽の意味を気づかされた。
あっという間に1時間が過ぎた。終わった後も、トシさんは自ら老人の間に入って、写真を撮った。一人一人にあいさつしてまわっていた。その姿に胸を打たれた。
僕はCDを買って、そこにサインをしてもらった。握手もしてもらうと、僕の方を見て「今日はありがとう」と言って笑ってくれた。僕はすっごく嬉しくなった。
その姿をビデオを撮ってくれている、ここの職員の友人が見て 「いつもはサインしてるさくまが今日はしてもらって、なんか変な感じだね」と言って笑った。

トシさんに別れを告げて、僕は恵比寿に向かった。
大林恭子プロデューサーの藤本賞受賞祝賀パーティーだ。
6時半に恵比寿ガーデンプレイスでメンバーと待ち合わせた。
みんなスーツにネクタイできまっていた。
7時 日仏会館1階の会場に入った。中に入ると、100人から200人くらいの人がいた、その中には俳優さんや女優さんも沢山いた。峰岸徹さん岸辺一徳さん小林念侍さん等すごい顔ぶれだった。メンバーもみんなあがってしまった。
監督に挨拶して 恭子さんに「おめでとうございます」と言って花束を渡したら、すごく喜んでくれた。
立食のパーティーだった。ざわついた緊張の中ぼーっと立っていたら、小野がとなりで「ちょっと見て!」と僕に耳打ちした、振り返るとそこに かぐや姫のそして「なごり雪」の作者 伊勢正三さんがいた。
僕は夢のようだった。 あこがれたいたアーティストに生で会えた、でもあまりの緊張で話しは出来なかった、すると小野が「なんか突破口見つけて声かけちゃえ」と言ってきた。今だ!僕は「どうもストローです」と言って声をかけて、メンバーもすぐに便乗した。伊勢さんも快く会話をしてくれた、「僕は風(伊勢さんのやっていたグループ)もかぐや姫も好きで、色々歌ってます」と言うと「そうなんだー いっぱいいい曲作るといいよ、メロディーと言葉、これが勝負だから」そう言ってくれた。そしてストローのCDをプレゼントした。 中野サンプラザでお世話になった根田さんもいらして、一緒に歌った女優の勝野雅奈恵さんもいて話しをした、もちろんおとうさんの勝野洋さんもいた。
ステージでは関係者の挨拶があって、それが終わると、監督さんが僕を見て「そうそうやろうか」と言った。そして監督さんがステージに出て「はい!本番!」と大声を出した。場内は静かになった。映画撮影の時の本物の声を聞いたのだ。そして「新しい仲間を紹介します。ストローというグループで・・・」と紹介してくれた。僕らは楽器を持って、緊張していた。監督は「では 今日はなごり雪を歌ってもらいましょう、・・・そうそして今日は正(ショウ)やんもいるので、ストローと一緒に歌ってもらいましょう」と言った。僕らはもうステージにいることを忘れるくらい喜んでしまった。そして会場の関係者の人もみんな 「これはすごい」と言わんばかりに注目していた。
そして伊勢さんは僕の隣に来て、僕はイントロを弾いた。「汽車をまつ君の横で僕は~」とすぐ横で 本物の伊勢さんが歌っている。そしてサビから 僕はハーモニーを入れた、すると伊勢さんは僕と目を合わせて、歌ってくれた。2番からは僕が主旋律をとった。なんの打ち合わせもないのに、こうしてどこを誰が歌うとか きまっていく、まさに音楽は強烈な共通語だと思った。
最後は伊勢さんとストローのハーモニーで終わった。大拍手だった。
そして監督が「もう1曲やってみよう」と言って、「泣く前」という曲。、これは映画「なごり雪」の制作中に出来た曲で詩が監督さんで曲が伊勢さんだ。これは監督さんも歌で参加した。最高の時間だった。
その後も俳優さんの挨拶があったり、監督の挨拶もあって、楽しかった。
そして最後の大林恭子さんの挨拶の時に チャーリーがなんと倒れてしまった。場内は慌ただしくなった、チャーリーも意識がなく、すぐに救急車を呼んだ。その間勝野洋さんがずっと「チャーリー大丈夫?!」と声かけてくれていて、感謝です。
救急車が到着して、僕は小野に「あとは任せた」と言って一緒に乗っていった。
レントゲンや脳、心電図も取って、調べたら、以上はなかった。そして点滴をやって帰って大丈夫ですと言われて、一安心だった。
すぐに監督さんの関係者に電話して「無事なので大丈夫です」と言ったら、「よかったー」と言って安心してくれた、そして続けて「今日は緊張したんじゃない?伊勢さんとも一緒に歌えてねー」と言った。
小野が到着したのは深夜の12時頃だった。
点滴をうつチャーリーはもう意識もあった「大丈夫?」と聞くと「すいません」といった。そして「ギターは?」と聞くので「持ってくたよ」と言った。よっぽどギターが好きなんでしょう。
夜中2時近くまで点滴をして、車にのせて帰った。とりあえず無事で良かった。
なにしろ緊張した1日でした。
今日感動したのは最後の監督さんの挨拶だった。
以前パリに行った時、恭子さんが街を見たいと言って、監督さんと出かけたそうです。ブティックでもいくのかと思ったら、市場に寄って、イチゴを見ているたそうです。向こうのイチゴは山積みで売っているらしく、それをかごにのせていくそうです。そして恭子さんは「このいちごは大きいからこれと、これはまだ青いからここに置いておいてあげよう、これはもう悪くなりそうだから早く食べてあげないとだから買っていこう・・・」こうして1つ1つを選んでいて、結局ブティックも行けずに1日市場にいたそうです。でもその恭子さんの姿を見て、「僕の映画を一緒に作っていけるのは、こいつしかいない」と思ったそうです。 この話しを聞いて涙ぐんでいる恭子さんを見て、僕も泣きそうになりました。一人の人を最高のパートナーとして信じていく、それに気がつくのは本当にささいな事なのだなと思った。でもささいな事だけど、きっとその瞬間は嘘や偽り、飾りはないんだと思う、素の姿にそう真実が生まれるんだと思った。

翌日 監督さんの事務所に電話をした。はじめは事務所の人が出て「昨日は大丈夫だった?」と、まず心配してくれた。そして「ちょっと待ってね」と言って「きのうはありがとう」と恭子さんが出た、僕は「最後のお話中にメンバーがすいませんでした」と言うと「いいのよ なんでもなかったならそれが一番だから」と言ってくれた。そして電話を切ろうとしたら「ちょっと待ってね」と言った。すると「きのうはあつかれさま、ありがとう、大丈夫だった?」  そうです 監督さんが自ら電話で話してくれたのです。
そして「ご心配かけました、大丈夫でしたので」というと「良かったー」と心から言ってくれた。
そして僕は続けて「昨日はストローの事を、新しい仲間と紹介してくれた事が、すごく嬉しかったです」と言った。監督さんも「うん うん そうだね こうれからも一緒にがんばっていこうね また会えるといいね」と優しい声で言ってくれて、そして電話を切った。
パーティーに集まった人は、みんな家族みたいで、大林宣彦監督の偉大さを改めて知った。そして、その仲間として紹介された事、胸にしっかりとしまって、これからもがんばっていこうと思った1日でした。

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