2009年からはじまった、「家族愛よ全国へ届け」の全国47都道府県キャンペーン。 その時は亡き父への想いを歌にした「隣の芝生は青く見えなかった」のシングルを持って全国を旅しました。 その最後は故郷の埼玉で行おうと思っていて、さて、どこで歌おうか考えていました。 その考えをはじめたのは、羽生市の産業文化会館でした。 その日、市制55周年のイベントに出演して「ムジナもん音頭」や「羽を広げて」を歌ったのです。 その楽屋で、スケジュール帳を見ていて、さていよいよ47ヶ所目の埼玉は、どこかな?って考えていたのです。 最初に浮かんだのは、大宮ソニックシティ小ホールでした。 以前から何度かコンサートをやってきた僕にとっては大舞台です。 でも、キャンペーンは無料で見ていただくショッピングモールが多い中、なぜ最後の埼玉は有料で、しかもホールなの?という考えもあった。 色々と悩んだ結果、だったら格安でコンサートをやろうと思ったのです。 そして、地元の中の地元、鴻巣でやろうという結論になりました。 すぐに外に出て、クレアこうのすに電話して、「小ホール空いてますか?」と聞くと 「その日は小ホールはふさがってますね」と言われて、あきらめた時、クレアの方が 一言、「大ホールなら空いてますよ」 ・・・・・・ 大ホールなんて、そもそも頭の中にはなかった発想でしたが、頭に浮かぶのは、あの大ホールに響きわたる、歌声、そして大きな拍手・・・・ でも、大ホールがうまるはずがない・・・ 一瞬無言になってしまって、その時は「またすぐにかけます」という事で電話を切った。 そして、スタッフにその事を話すと、一言「出来るでしょう、大ホール」というのです。 不安をかかえて、クレアに電話、担当の方に「大ホール、僕でも出来ますかね?」と言うと「本人次第じゃないですか」と・・・ その時、晩年を迎えた父が言った一言がよみがえってきたのです。 「お前も大ホールくらいはれるようになんなくっちゃダメだろ」と すぐに電話口で「その日の大ホール、おさえてください」と言ったのです。 心臓はばくばくでした、でも言ってしまった以上、決めてしまった以上やるしかないのです。 そして、主催は僕で、共催にクレアこうのすが着いてくださる事になって、 まわりの音響、照明、舞台も「やるんですね~大ホール、付き合いますよ!」と そして、FMNACK5へ連絡すると、コンサートスポットやりましょう。 そしてテレ玉は、「CM流しますよ」と、次から次へと大ホールへの道が開きはじめたのです。 打ち合わせを数々進めて、その中で、まだ全国キャンペーンは終わってなくて、四国から電話したり、九州からファックス送ったり、そんな日々が続きました。 そして、チケットを預かった時に、またまた不安が・・・ ドサッ・・・・ こんなにあるんだ~、チケット、紙のチケットがこんなに重いとは、初めて知りました。 そもそも全国キャンペーンは無料でやっていたので、埼玉はホールなので、協力費という形で、1000円でチケットを買っていただく事にしました。 それにしても、分厚いチケットの束です。 その日からそのチケットを軽くして行く日々も同時に続きます。 そして、鴻巣市のお店や、商店の方の熱いご協力で、ポスターも貼っていただけて 駅にもポスター、さらにお客様もポスターを貼る協力をしてくださいました。 46ヶ所目の沖縄でのライブが3月中旬に終わって、いよいよ本格的な準備です。 メンバーもそろえて、ゲストにヒナタカコさんを迎える打ち合わせもして、 そして、2010年4月10日、クレアこうのす大ホールでのステージがはじまりました。 幕が上がると、ほぼ満席のホール・・・・ その瞬間に「やった~、出来たんだ、本当に大ホールでのコンサートが出来たんだ」と 感激に胸が震えました。 あっという間の時間が終わり、幕がしまります。 僕の頭には「また大ホールで歌いたい」という想いがあふれてくる夜でした。 (2010年第一部) (2010年第二部) 後日、クレアですべての残務処理を終えて、たんとうの方が一言 「来年、どうしますか?」 「ええ!!いいんですか、またやっても、いいんですか」という流れで なんと、2011年4月9日に2回目のクレアこうのす大ホールの予定が決まりました。 同じように数々に準備を経てた、3月11日、巨大な地震が日本を襲いました。 東日本大震災です。 もちろんコンサートは延期。 先が不安になった日本でしたが、いつからか、がんばろう東北、がんばろう日本という声が上がってきました。 そして、9月19日に延期という形で大ホールでの予定が決まりました。 (2011年第一部) 4月に開催する時と同じ選曲ではあったのですが、一つ違ったのは「命~2011からのメッセージ」という曲が増えていたという事だ。 (2011年第二部) 2011年のコンサートも大盛況で幕を閉じて、そして2012年も9月16日に予定を入れていただけました。 またまたポスター貼りや、CM活動、毎日チケットを持って動く日々が続き、2回目の全国47都道府県キャンペーンの最後は、またまたクレアこうのす大ホールという流れになりました。 (2012年第一部) (2012年第二部) そしてまたまた2013年9月16日の予定もいただけたのです。 毎回沢山の方が協力してくださって、成り立って行くこのコンサートですが、 毎年悩むのは、選曲と構成とメッセージです。 2012年の9月16日から2013年9月16日までのさくまひできの集大成を お見せ出来るようなコンサートにしようと思って、選曲がはじまります。 そしてゲストも決まります。 そして8月の炎天下でポスター貼り、これは毎年の定番になってます。 さらにFM NACK5のCM,テレ玉のCM、準備が進みます。 そんな時、天気予報では台風・・・・ 一年間楽しみに、そしてそこを目指して、がんばって来たというのに まさか、当日が関東直撃の予報・・・ でも、僕がキセキが起こると信じていました。 やまない雨はない、そして過ぎていかない嵐もない 大雨の中、前日にクレアこうのすに入って、準備をしました。 音響さん、照明さん、舞台さんも、僕よりも早く準備をしていました。 ステージは僕がイメージしたままの素晴らしい形が出来上がっていました。 あとは台風が早く過ぎて行く事を祈って その日は家に帰りました。 明日、なんとか、なんとか台風、それてくれ~という思いでした。 でも、信じていました。 絶対開催出来ると。