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13.9.16 クレアこうのす大ホール (今までの歩み) 2010年~2012年

2009年からはじまった、「家族愛よ全国へ届け」の全国47都道府県キャンペーン。
その時は亡き父への想いを歌にした「隣の芝生は青く見えなかった」のシングルを持って全国を旅しました。
その最後は故郷の埼玉で行おうと思っていて、さて、どこで歌おうか考えていました。
その考えをはじめたのは、羽生市の産業文化会館でした。
その日、市制55周年のイベントに出演して「ムジナもん音頭」や「羽を広げて」を歌ったのです。
その楽屋で、スケジュール帳を見ていて、さていよいよ47ヶ所目の埼玉は、どこかな?って考えていたのです。
最初に浮かんだのは、大宮ソニックシティ小ホールでした。
以前から何度かコンサートをやってきた僕にとっては大舞台です。
でも、キャンペーンは無料で見ていただくショッピングモールが多い中、なぜ最後の埼玉は有料で、しかもホールなの?という考えもあった。
色々と悩んだ結果、だったら格安でコンサートをやろうと思ったのです。
そして、地元の中の地元、鴻巣でやろうという結論になりました。
すぐに外に出て、クレアこうのすに電話して、「小ホール空いてますか?」と聞くと
「その日は小ホールはふさがってますね」と言われて、あきらめた時、クレアの方が
一言、「大ホールなら空いてますよ」
・・・・・・
大ホールなんて、そもそも頭の中にはなかった発想でしたが、頭に浮かぶのは、あの大ホールに響きわたる、歌声、そして大きな拍手・・・・
でも、大ホールがうまるはずがない・・・
一瞬無言になってしまって、その時は「またすぐにかけます」という事で電話を切った。
そして、スタッフにその事を話すと、一言「出来るでしょう、大ホール」というのです。
不安をかかえて、クレアに電話、担当の方に「大ホール、僕でも出来ますかね?」と言うと「本人次第じゃないですか」と・・・
その時、晩年を迎えた父が言った一言がよみがえってきたのです。
「お前も大ホールくらいはれるようになんなくっちゃダメだろ」と
すぐに電話口で「その日の大ホール、おさえてください」と言ったのです。

心臓はばくばくでした、でも言ってしまった以上、決めてしまった以上やるしかないのです。
そして、主催は僕で、共催にクレアこうのすが着いてくださる事になって、
まわりの音響、照明、舞台も「やるんですね~大ホール、付き合いますよ!」と
そして、FMNACK5へ連絡すると、コンサートスポットやりましょう。
そしてテレ玉は、「CM流しますよ」と、次から次へと大ホールへの道が開きはじめたのです。

打ち合わせを数々進めて、その中で、まだ全国キャンペーンは終わってなくて、四国から電話したり、九州からファックス送ったり、そんな日々が続きました。
そして、チケットを預かった時に、またまた不安が・・・
ドサッ・・・・
こんなにあるんだ~、チケット、紙のチケットがこんなに重いとは、初めて知りました。
そもそも全国キャンペーンは無料でやっていたので、埼玉はホールなので、協力費という形で、1000円でチケットを買っていただく事にしました。

それにしても、分厚いチケットの束です。

その日からそのチケットを軽くして行く日々も同時に続きます。
そして、鴻巣市のお店や、商店の方の熱いご協力で、ポスターも貼っていただけて
駅にもポスター、さらにお客様もポスターを貼る協力をしてくださいました。

46ヶ所目の沖縄でのライブが3月中旬に終わって、いよいよ本格的な準備です。
メンバーもそろえて、ゲストにヒナタカコさんを迎える打ち合わせもして、
そして、2010年4月10日、クレアこうのす大ホールでのステージがはじまりました。

幕が上がると、ほぼ満席のホール・・・・



その瞬間に「やった~、出来たんだ、本当に大ホールでのコンサートが出来たんだ」と
感激に胸が震えました。
あっという間の時間が終わり、幕がしまります。
僕の頭には「また大ホールで歌いたい」という想いがあふれてくる夜でした。


(2010年第一部)


(2010年第二部)


後日、クレアですべての残務処理を終えて、たんとうの方が一言
「来年、どうしますか?」
「ええ!!いいんですか、またやっても、いいんですか」という流れで
なんと、2011年4月9日に2回目のクレアこうのす大ホールの予定が決まりました。
同じように数々に準備を経てた、3月11日、巨大な地震が日本を襲いました。
東日本大震災です。
もちろんコンサートは延期。
先が不安になった日本でしたが、いつからか、がんばろう東北、がんばろう日本という声が上がってきました。
そして、9月19日に延期という形で大ホールでの予定が決まりました。


(2011年第一部)


4月に開催する時と同じ選曲ではあったのですが、一つ違ったのは「命~2011からのメッセージ」という曲が増えていたという事だ。

(2011年第二部)

2011年のコンサートも大盛況で幕を閉じて、そして2012年も9月16日に予定を入れていただけました。
またまたポスター貼りや、CM活動、毎日チケットを持って動く日々が続き、2回目の全国47都道府県キャンペーンの最後は、またまたクレアこうのす大ホールという流れになりました。


(2012年第一部)


(2012年第二部)

そしてまたまた2013年9月16日の予定もいただけたのです。
毎回沢山の方が協力してくださって、成り立って行くこのコンサートですが、
毎年悩むのは、選曲と構成とメッセージです。
2012年の9月16日から2013年9月16日までのさくまひできの集大成を
お見せ出来るようなコンサートにしようと思って、選曲がはじまります。
そしてゲストも決まります。
そして8月の炎天下でポスター貼り、これは毎年の定番になってます。
さらにFM NACK5のCM,テレ玉のCM、準備が進みます。

そんな時、天気予報では台風・・・・
一年間楽しみに、そしてそこを目指して、がんばって来たというのに
まさか、当日が関東直撃の予報・・・
でも、僕がキセキが起こると信じていました。
やまない雨はない、そして過ぎていかない嵐もない
大雨の中、前日にクレアこうのすに入って、準備をしました。
音響さん、照明さん、舞台さんも、僕よりも早く準備をしていました。

ステージは僕がイメージしたままの素晴らしい形が出来上がっていました。

あとは台風が早く過ぎて行く事を祈って
その日は家に帰りました。

明日、なんとか、なんとか台風、それてくれ~という思いでした。
でも、信じていました。
絶対開催出来ると。
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