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11.10.29 加須市 まちなかライブパフォーマンス



毎年参加させていただいております、父のふるさと加須市のまちなかライブです!
今回はちょっと違いますよ、なぜなら、10月に加須市の観光大使に任命されてから初の加須でのステージです。



ばりばり父のふるさと加須を宣伝して行きますよ~

会場に到着すると音響の準備がはじまっていました、
以前スタッフだった方のチームが音響で、しかもバンドで出演までするというのです、しかもベースは小野滋久氏です。
ボーカルはヒロ(僕が10代の頃から一緒にライブをやっていた見た目ビジュアルでも、心は優しい人)でした。

そして、さらにビートルズのカバーをやっていたバンドのギターの方が僕の所へ来て、話を聞くと、なんとやっぱり僕が20代前半の頃にお世話になっていたPOWというバンドにいた方だったのです。

そのメンバーは久喜の大名さん(あだな)とベースはCoccoさんのプロデュースをやったり、奥田民生さんのバンドで今も活躍している根岸さん、そしてドラムは今は浜田省吾さん、そしてレベッカのメンバーの小田原さんという最強のメンバーです。

その頃はザフーのドラムキースムーンの追悼ライブというのをやっていてよく僕も参加させていただいていたんです。
参加ミュージシャンもすごかったですよ、アースシェイカーのシャラさんや、ラウドネスの二井原さん、そして子供バンドの方や、コレクターズの方、News等々、沢山のアーティストが出ていました。

渋谷のエッグマンや高円寺のショーボートとかでライブをやっていました。

その頃によく話をしたりしていた方なんです。

僕のスタジオも使っていただいていて、その頃に僕も沢山の方にお会いする事が出来たので、すごく勉強になったんです。
なんせリハーサルを間近で見ていましたからね。

宮原学さんや、ARBの白浜久さん、ドラマーのカースケさん(今ではあらゆるアーティストのバックでドラムをたたいてます)、レベッカののっこさん、キーボードの難波さん、本当に沢山の方が出入りしていた時代がありました。

最近はなかなかお会いする機会がなくなってしまいましたが、こうして久しぶりに
その頃の方に、お会い出来て、話が盛り上がってしまいました。

同窓会のようなリハーサルも終わり楽屋へ行くと
また訪ねて来た方がいました。
よく見ると、僕が19歳頃、セブンイレブンで深夜のバイトをしていたのですが、その時の常連客でした。
同じくらいの歳で、いつも話をして真夜中過ごしていました。
僕はまだ金髪長髪でしたからね~

そして、その彼のお姉さんの子供が誕生する時に、「さくまくんに歌を作ってほしいんだ」って話しをいただきました。
言ってみれば、はじめて誰かの為に作った歌です。
その歌は「たとえばこの人生が」という歌で、ファンクラブの限定CDに入っています。

今は福祉のお仕事をやっているそうでした。


(楽屋で曲作りです)

さて、青空の中でイベントもはじまり、いよいよ僕の時間です。
ヒロがボーカルのバンドの後に僕の出演です。
この流れもすっごく懐かしい感じでした。



17歳の頃に吹上のEVEというスタジオでライブをやっていましたが、その頃は彼はエリーゼ、僕はストリングスってバンドをやっていました。

22年経ってもお互い歌っているとは、その時は想像もしなかったですよね。

「枯れない花」ではじまったライブ、沢山の方が見てくださいました。
そして、さっき楽屋に訪ねて来た彼も、施設の利用者のおじいちゃん、おばあちゃんを車いすで連れて見に来てくれたのです。

会場には親戚の方もいたりして、やっぱり加須!って感じでした。

最後は「隣の芝生は青く見えなかった」を熱唱しました。



2回目のステージと時は従兄弟も来てくれました。

そしてスペシャルゲストとして小野滋久がベースで参加。
カラオケを使わないで2人だけの音でライブをやりました。



なんだかストローの頃を思い出すようでした。
選曲も「I Believe」や「遠い記憶」も歌いました。

最後はアンコールもいただいて、初めて夕焼けの中で「オレンジの想い出」を歌う事ができました。

加須市の観光大使になって初の加須でのライブ。
空のどこかで聞いている父に報告をしたような一日になりました。

きっとこう言っているでしょう
「お前に観光大使なんかできるんかい?」ってね!

オレンジの夕焼けはもしかしたら
父が「がんばれよ」という気持ちを伝えてくれたように想いました。

これからも父のふるさと加須を全国に広めるようにがんばって行きます!!



(リハーサルの写真)



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