最近は一年に一回しか行けなくなってしまいましが いつでも「みんな元気でいるかな?」って気にしている 三島の柿田川ホームさんでのステージでした。 毎回行くたびに、僕の好きなクマさんのぬいぐるみを置いていてくれるのですが、 しかもその季節に合わせて、クマが変身しているんです。 梅雨時のコンサートは、レインコートを着ていたり、 クリスマス時期はサンタの格好だったり、 5月だと、折り紙のカブトをかぶっていたり 職員の方が、毎回すばらしい企画をしていてくださるんです。 今回は? (職員の方と) 行ってみると、クマがなんとオレンジのトレーナーを着てオレンジのバンダナをかぶっていたんです。 到着した時は、僕は黒髪だったのですが、 それを見て職員の方が「オレンジじゃないんですか~!?」と言うので 本番その期待に応えて、オレンジヘアーで歌いました。 最初はオリジナル「あのお化け屋敷はまだあるのかな」ではじまり、 「HappyBirthdayブルース」。 そして昭和のエンターテイメントで帝国ホテルで行った時の 昭和の曲メドレーをやりました。 おじいちゃん、おばあちゃんも知っている歌が出てくると 一緒に口ずさんでくれて、嬉しかったです。 童謡のメドレーもやったり もみじを一緒に歌ったり 後半は「Goodちょっとパラダイス」でみんなで「グー」「チョキ」「パー」で 盛り上がりました。 アンコールもいただき、 そこでリクエストが殺到 職員の方も「枯れない花」をリクエストしてくださいました。 「アンコールが長くなりそうですね~」と僕が言うと 「第二部!第二部!」と盛り上がりました。 すっごく楽しかった、久しぶりの柿田川ホームさんでのライブでした。 終わった後に、突然、みんなでハッピーバースディトゥーユーを歌ってくれて お花と柿田川ブレンドコーヒーをいただきました。 これにはびっくり、&嬉しかったです。 柿田川ホームで歌いはじめたきっかけは 僕を2002年頃から応援してくださっている方からの紹介でした。 その方のおばさまが実は、ここの入所者さまなのです。 最初に三島で歌ってみない?という話をいただいた時は 「遠い~」って正直思ったのですが おばさまも、職員の方も楽しみに待ってます・・・という話を聞いて 音楽をやっている人間として 待っている人がいるのであれば、飛んで行きますという 気持ちで、第一回目を迎えました。 「さくまひできってだれ?」という中ではじまった一回目ですが ライブが終わる頃にはすっかり、みなさんのうち解けて ついつい「またきますね!」と言って 2回目、3回目・・と続きました。 そのおばさまも、毎回楽しみで待っていてくださいました。 今回のステージで伺う時には、おばさまもなんと101歳! ところが、運命のいたずらなのか 僕が歌いに行く、2日前に、長き人生を全うして、天国へ旅立ってしまったのです。 しかも火葬される時間は 11月24日14:00 それは、僕が柿田川ホームで歌いはじめる時間だったのです。 中止という雲行きもあったのですが これは逆に、僕のステージ、そして歌で天国へ送ってあげるべきなのではないだろうか?と考えて、精一杯ライブを決行する事にしました。 途中、いつも前の方にいた、おばさまを想いながら歌いました。 まわりの方からいただいた、リクエストで「アメイジンググレイス」も 天国にささげるように歌いました。 人が生まれて、そして去って行く これは、逃げる事のできない現実で、それが故に 人生って宝物で・・・・ でも、おばさまの人生の中に、僕の歌が、ライブの記憶があったという事は 最高な事です。 ライブを終えて、帰る時に 「次は・・・」という空気が流れていました。 きっかけだった、おばさまがいなくなった今、 柿田川ホームへ行くきっかけがなくなってしまったわけです。 でも、僕は明るく言いました。 「違いますよ、おばさまが天国へ行ってしまったから、終わりじゃなくて、おばさまが生きていた証、それこそが、僕が柿田川ホームに歌いに行くという事なんですよ」 2年、5年、10年・・・ 柿田川ホームでさくまひできは、なぜ歌っているのか わからない時がきても 「かつて、ここに入所していた方がいて・・・・」という話をするたびに おばさまは生きているんです。 そして、そのきっかけで こんなに素敵な職員の方、こんなに素敵なおじいちゃん、おばあちゃんに出会えてんです。 また絶対に歌いに行きますよ!! だって、みんな待っていてくれるのですから。