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10.11.24 三島市 柿田川ホーム



最近は一年に一回しか行けなくなってしまいましが
いつでも「みんな元気でいるかな?」って気にしている
三島の柿田川ホームさんでのステージでした。

毎回行くたびに、僕の好きなクマさんのぬいぐるみを置いていてくれるのですが、
しかもその季節に合わせて、クマが変身しているんです。

梅雨時のコンサートは、レインコートを着ていたり、
クリスマス時期はサンタの格好だったり、
5月だと、折り紙のカブトをかぶっていたり

職員の方が、毎回すばらしい企画をしていてくださるんです。

今回は?

(職員の方と)

行ってみると、クマがなんとオレンジのトレーナーを着てオレンジのバンダナをかぶっていたんです。

到着した時は、僕は黒髪だったのですが、
それを見て職員の方が「オレンジじゃないんですか~!?」と言うので
本番その期待に応えて、オレンジヘアーで歌いました。

最初はオリジナル「あのお化け屋敷はまだあるのかな」ではじまり、
「HappyBirthdayブルース」。

そして昭和のエンターテイメントで帝国ホテルで行った時の
昭和の曲メドレーをやりました。
おじいちゃん、おばあちゃんも知っている歌が出てくると
一緒に口ずさんでくれて、嬉しかったです。



童謡のメドレーもやったり
もみじを一緒に歌ったり

後半は「Goodちょっとパラダイス」でみんなで「グー」「チョキ」「パー」で
盛り上がりました。



アンコールもいただき、
そこでリクエストが殺到
職員の方も「枯れない花」をリクエストしてくださいました。

「アンコールが長くなりそうですね~」と僕が言うと
「第二部!第二部!」と盛り上がりました。

すっごく楽しかった、久しぶりの柿田川ホームさんでのライブでした。

終わった後に、突然、みんなでハッピーバースディトゥーユーを歌ってくれて
お花と柿田川ブレンドコーヒーをいただきました。
これにはびっくり、&嬉しかったです。

柿田川ホームで歌いはじめたきっかけは
僕を2002年頃から応援してくださっている方からの紹介でした。
その方のおばさまが実は、ここの入所者さまなのです。

最初に三島で歌ってみない?という話をいただいた時は
「遠い~」って正直思ったのですが
おばさまも、職員の方も楽しみに待ってます・・・という話を聞いて
音楽をやっている人間として
待っている人がいるのであれば、飛んで行きますという
気持ちで、第一回目を迎えました。

「さくまひできってだれ?」という中ではじまった一回目ですが
ライブが終わる頃にはすっかり、みなさんのうち解けて
ついつい「またきますね!」と言って
2回目、3回目・・と続きました。

そのおばさまも、毎回楽しみで待っていてくださいました。
今回のステージで伺う時には、おばさまもなんと101歳!

ところが、運命のいたずらなのか
僕が歌いに行く、2日前に、長き人生を全うして、天国へ旅立ってしまったのです。
しかも火葬される時間は
11月24日14:00
それは、僕が柿田川ホームで歌いはじめる時間だったのです。

中止という雲行きもあったのですが
これは逆に、僕のステージ、そして歌で天国へ送ってあげるべきなのではないだろうか?と考えて、精一杯ライブを決行する事にしました。

途中、いつも前の方にいた、おばさまを想いながら歌いました。
まわりの方からいただいた、リクエストで「アメイジンググレイス」も
天国にささげるように歌いました。

人が生まれて、そして去って行く
これは、逃げる事のできない現実で、それが故に
人生って宝物で・・・・

でも、おばさまの人生の中に、僕の歌が、ライブの記憶があったという事は
最高な事です。


ライブを終えて、帰る時に
「次は・・・」という空気が流れていました。

きっかけだった、おばさまがいなくなった今、
柿田川ホームへ行くきっかけがなくなってしまったわけです。

でも、僕は明るく言いました。
「違いますよ、おばさまが天国へ行ってしまったから、終わりじゃなくて、おばさまが生きていた証、それこそが、僕が柿田川ホームに歌いに行くという事なんですよ」
2年、5年、10年・・・
柿田川ホームでさくまひできは、なぜ歌っているのか
わからない時がきても
「かつて、ここに入所していた方がいて・・・・」という話をするたびに
おばさまは生きているんです。

そして、そのきっかけで
こんなに素敵な職員の方、こんなに素敵なおじいちゃん、おばあちゃんに出会えてんです。

また絶対に歌いに行きますよ!!

だって、みんな待っていてくれるのですから。


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